教会の迫害者から転じて、ユダヤ人でない人々への宣教に生涯を捧げた使徒。新約聖書の手紙の多くが彼の名で伝えられる。
- 訳文中の表記
- パウロ、サウロ、サウル
イエスの死後に活動した使徒の中で、最もよく知られた人物である。小アジア南東部キリキア地方の町タルソスで生まれたユダヤ人で、ベニヤミン族の出身であり、律法を厳格に守るファリサイ派に属していた(フィリピ書3:5)。使徒言行録によれば、エルサレムで律法の教師ガマリエルのもとで学び、ローマ市民権も持っていた。ユダヤ名を「サウロ」といい、「パウロ」はギリシア・ローマ世界で用いた名前である。
パウロは、はじめイエスを信じる人々を激しく迫害していた。ステファノが石で打たれた場面にも居合わせている。しかし、ダマスコへ向かう途中で、天からの光に照らされて「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」という声を聞き、復活したイエスに出会ったと語られる(使徒言行録9章)。パウロ自身は手紙の中で、この体験を、神がユダヤ人でない人々に御子を告げ知らせるために自分を召した出来事として語っている。
その後パウロは、小アジア、マケドニア、ギリシアの諸都市を巡って教会を建て、手紙によってそれらの教会を指導した。手紙の中でよく知られた主張の一つは、人は律法の行いによってではなく、キリストを信じることによって神に正しい者と認められる、というものである。そのため、ユダヤ人でない信者に割礼や律法の遵守を求める必要はないと説いた。宗教改革者ルター以来、この主張はパウロの思想の中心と見なされてきた。一方、近年の研究(「パウロに関する新しい視点」など)では、この主張を、ユダヤ人と異邦人がともに神の民に加わるという課題の中で読み直し、パウロの関心の中心をそちらに見る見方も有力である。
最後にパウロはエルサレムで捕らえられ、皇帝に上訴してローマへ護送された。使徒言行録は、パウロがローマで二年間、自分の借りた家で人々を迎え入れて宣教したところで終わっている。伝承では、皇帝ネロの時代にローマで殉教したとされる。
新約聖書には、パウロの名で書かれた手紙が13通収められている。そのうち、ローマ書、第一・第二コリント書、ガラテヤ書、フィリピ書、第一テサロニケ書、フィレモン書の7通は、パウロ自身が書いたことがほぼ確実とされている。残りの手紙については、弟子たちが彼の名で書いたとみる研究者も多い。
主な登場箇所
- 使徒言行録 7:58
彼を町の外へ追い出し、石を投げつけた。証人たちは、自分の上着を、サウロという若者の足もとに置いた。
- 使徒言行録 8:3
しかし、サウロは教会を荒らしていた。家々に入り、男も女も引きずり出して、牢に引き渡した。
- 使徒言行録 9:4
彼は地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と、自分に語る声を聞いた。
- 使徒言行録 13:9
サウロ、別名パウロは、聖霊に満たされて彼をじっと見つめ、
- 使徒言行録 17:22
パウロはアレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち、あなたがたは、あらゆる点で、とても神々を敬う方々だと見受けます。
- 使徒言行録 28:30
パウロは丸二年、自分で借りた住まいにとどまり、訪ねて来る者を皆、迎え入れた。
- ローマ書 1:1
キリスト・イエスの奴隷、使徒として召され、神の福音のために取り分けられたパウロから。
- ガラテヤ書 1:1
人々から出たのでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者たちの中から起こした父なる神とを通して使徒とされたパウロ、
- 第二ペトロ書 3:15
また、私たちの主の忍耐を、救いと考えなさい。私たちの愛する兄弟パウロも、与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。
AI利用について
2026年10月20日にClaude Codeを用いて、収録人物の選定、解説文の作成、主な登場箇所の選定を行った。2026年10月21日にCodexを用いて、使徒言行録に登場する7人の項目を追加した。登場箇所は本サイトの訳文と照合し、引用する節に人物名が実際に含まれることをビルド時に検査している。
人物詳細ページの肖像画像は、2026年10月20〜21日にCodexの画像生成機能で作成した。人物の外見は想像によるイメージであり、歴史上の容貌を復元したものではない。
人間の専門家による内容の校閲は、まだ行っていない。解説は一般的な理解の手引きであり、研究や教育に用いる際は、聖書本文と信頼できる注解書・事典で確かめてほしい。
