第1章
1:1人々から出たのでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者たちの中から起こした父なる神とを通して使徒とされたパウロ、
1:2ならびに私とともにいるすべてのきょうだいたちから、ガラテヤの諸教会へ。
1:3父なる神と、私たちの主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平和がありますように。
1:4キリストは、私たちの神また父の御心に従い、現在の悪い時代から私たちを救い出すため、私たちの罪のために御自身を与えられました。
1:5この神に、栄光が世々限りなくありますように。アーメン。
1:6キリストの恵みによってあなたがたを招いた方から、これほど早く離れ、異なる福音へ移っていることに、私は驚いています。
1:7もっとも、別の福音があるわけではありません。ただ、あなたがたをかき乱し、キリストの福音をねじ曲げようとする者たちがいるのです。
1:8しかし、たとえ私たちであろうと、天からの御使いであろうと、私たちがあなたがたに告げた福音に反するものをあなたがたに告げるなら、その者は呪われたものとなれ。
1:9私たちが前に言ったとおり、今もう一度言います。あなたがたの受け入れたものに反する福音を告げる者がいるなら、その者は呪われたものとなれ。
1:10というのも今、私は人々を説得しようとしているのでしょうか、それとも神をでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようとしているのでしょうか。もし私が今なお人々を喜ばせていたなら、キリストの奴隷ではなかったでしょう。
1:11というのも、きょうだいたち、私が告げた福音について、あなたがたに知らせておきます。それは人間に由来するものではありません。
1:12実際、私はそれを人から受け取ったのでも、教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって受けたのです。11
1:13あなたがたは、かつて私がユダヤ教にいたころの振る舞いを聞いています。私は度を越して神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしていました。
1:14そして、同胞の中の同年代の多くの者よりもユダヤ教に精進し、先祖から受け継いだ伝承に対して、はるかに熱心でした。
1:15しかし、母の胎内にいた時から私を取り分け、御自身の恵みによって招いた方が、よしとされ、
1:16御子を私の内に現し、私がその方を諸民族の間で福音として告げるようにされた時、私はすぐに、血肉に相談することをせず、1
1:17私より前に使徒となった人々に会うためエルサレムへ上ることもしませんでした。かえってアラビアへ出て行き、その後、再びダマスコへ戻りました。
1:18それから三年後、私はケファを訪ねるためエルサレムへ上り、彼のもとに十五日間滞在しました。21
1:19しかし、ほかの使徒には誰にも会わず、ただ主の兄弟ヤコブに会いました。
1:20私があなたがたに書いていることについて、見よ、神の前で言います。私は偽りを語っていません。
1:21その後、私はシリアとキリキアの地方へ行きました。
1:22けれども、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られていませんでした。
1:23彼らはただ、「かつて私たちを迫害していた者が、以前は滅ぼそうとしていた信仰を、今では福音として告げている」と聞いていただけです。
1:24そして彼らは、私のことで神をたたえていました。
第2章
2:1それから十四年を経て、私はバルナバとともに再びエルサレムへ上り、ティトスも連れて行きました。
2:2私は啓示に従って上り、自分が諸民族の間で宣べ伝えている福音を彼らに示しました。とりわけ、重立った人々には個別に示しました。今走っていることも、これまで走ってきたことも、無駄にならないためです。
2:3しかし、私とともにいたティトスでさえ、ギリシア人でありながら、割礼を強いられませんでした。
2:4しかし、忍び込んだ偽のきょうだいたちのために――彼らは、キリスト・イエスにあって私たちが持つ自由をひそかに探り、私たちを奴隷にしようと入り込んできたのですが――12
2:5私たちは、そのような人々に服従して、一時でも譲ることはしませんでした。それは、福音の真理があなたがたのために保たれるためでした。
2:6何者かであると見なされていた人々は――彼らが以前どのような人であったかは、私には何の違いもありません。神は人をうわべで選び分けないからです――私に何も付け加えませんでした。
2:7それどころか、ペトロが割礼を受けた者たちへの福音を委ねられたように、私が無割礼の者たちへの福音を委ねられていることを見て取り――
2:8ペトロの内に働いて、割礼を受けた者たちへの使徒とした方は、私の内にも働いて、諸民族への使徒とされたからですが――
2:9また、私に与えられた恵みを知って、柱と見なされていたヤコブ、ケファ、ヨハネは、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し出しました。私たちは諸民族のもとへ、彼らは割礼を受けた者たちのもとへ行くためです。
2:10ただ、貧しい人々を覚えていてほしいとのことでした。そのことは、私自身も熱心に行おうとしてきたことです。
2:11しかし、ケファがアンティオキアへ来た時、私は面と向かって彼に反対しました。彼は咎ありとされていたからです。
2:12ヤコブのもとからある人々が来る前、ケファは異邦人たちと一緒に食事をしていました。ところが彼らが来ると、割礼を受けた者たちを恐れ、身を引いて離れていきました。
2:13ほかのユダヤ人たちも彼とともに偽りの振る舞いをしたため、バルナバまでも彼らの偽りに引き込まれました。
2:14しかし、彼らが福音の真理に沿ってまっすぐ歩んでいないのを見た時、私は皆の前でケファに言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人のようにではなく、異邦人のように生きている。それなのに、どうして異邦人たちにユダヤ人のように生きることを強いるのですか。」13
2:15私たちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人出身の罪人ではありません。
2:16しかし、人が律法の行いによってではなく、イエス・キリストの信実を通してこそ正しい者と認められると知り、私たちもキリスト・イエスを信じました。それは、律法の行いによってではなく、キリストの信実によって正しい者と認められるためです。律法の行いによっては、いかなる肉なる者も正しい者と認められないからです。2
2:17ところで、キリストにあって正しい者と認められようとするうちに、私たち自身も罪人であると明らかになったのなら、キリストは罪に仕える者なのでしょうか。決してそうではありません。
2:18というのも、私が壊したものを再び建てるなら、私は自分自身を違反者として示すことになるからです。
2:19実際、私は律法を通して律法に死にました。神に生きるためです。私はキリストとともに十字架につけられています。
2:20もはや生きているのは私ではなく、キリストが私の内に生きておられます。今、肉にあって生きているこの命を、私は神の御子の信実によって生きています。御子は私を愛し、私のために御自身を渡されました。3
2:21私は神の恵みを無効にはしません。もし正しさが律法を通して得られるのなら、キリストは意味もなく死なれたことになるからです。
第3章
3:1ああ、思慮のないガラテヤの人々よ。誰があなたがたに魔法をかけたのですか。あなたがたの目の前には、十字架につけられたイエス・キリストが、はっきりと描き出されていたではありませんか。22
3:2あなたがたから、これだけを知りたいのです。あなたがたが霊を受けたのは、律法の行いによるのですか。それとも、信仰を伴って聞いたことによるのですか。14
3:3あなたがたは、それほど思慮がないのですか。霊によって始めたのに、今、肉によって完成しようとするのですか。
3:4あれほど多くのことを経験したのは、無駄だったのでしょうか。もし本当に無駄だったのならですが。
3:5それでは、あなたがたに霊を豊かに与え、あなたがたの間で力ある業を行う方がそうなさるのは、律法の行いによるのですか。それとも、信仰を伴って聞いたことによるのですか。14
3:6それは、アブラハムが神を信じ、それが彼の正しさと認められたとおりです。
3:7ですから、信仰による者たちこそ、アブラハムの子であると知りなさい。23
3:8聖書は、神が信仰によって諸民族を正しい者と認めることをあらかじめ見通し、「あなたにあって、すべての民族が祝福される」と、前もってアブラハムに福音を告げました。
3:9したがって、信仰による者たちは、信仰に生きたアブラハムとともに祝福されます。
3:10というのも、律法の行いによる者は皆、呪いの下にいるからです。こう書かれています。「律法の書に書かれているすべてのことを、行うべきものとして守り続けない者は皆、呪われている。」
3:11律法によって神の前で正しい者と認められる人が誰もいないことは明らかです。「正しい者は信仰によって生きる」からです。
3:12しかし律法は、信仰によるものではありません。むしろ、「これらを行う者は、これらによって生きる」とあります。
3:13キリストは私たちのために呪いとなり、律法の呪いから私たちを買い戻してくださいました。「木に掛けられる者は皆、呪われている」と書かれているからです。
3:14それは、アブラハムの祝福がキリスト・イエスにあって諸民族へ及び、私たちが信仰を通して、霊の約束を受けるためでした。
3:15きょうだいたち、人間の場合を例にして話します。人間が正式に定めた遺言でさえ、誰も無効にしたり、付け加えたりはしません。
3:16さて、約束はアブラハムとその「子孫」に告げられました。多くの者を指すように「子孫たちに」とは言わず、一人を指すように「あなたの子孫に」と言っています。この子孫がキリストです。4
3:17私が言いたいのは、こういうことです。神によって前もって正式に定められた契約を、その四百三十年後に成立した律法が無効にして、約束を効力のないものにすることはありません。
3:18というのも、相続が律法によるのなら、もはや約束によるものではないからです。しかし神は、約束を通してアブラハムに相続を恵みとして与えられました。
3:19それでは、律法は何のためにあるのでしょうか。律法は違反のために付け加えられ、約束を受けた子孫が来る時までのものです。そして、御使いたちを通し、仲介者の手によって定められました。5
3:20仲介者は一者のものではありません。しかし、神は一者です。15
3:21それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。決してそうではありません。もし命を与えることのできる律法が与えられていたなら、確かに正しさは律法によって得られたでしょう。
3:22しかし聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。それは、イエス・キリストの信実による約束が、信じる者たちに与えられるためでした。16
3:23信仰が来る前、私たちは律法の下で見張られ、やがて現される信仰に向けて閉じ込められていました。
3:24こうして律法は、キリストが来るまで私たちの養育係となりました。それは、私たちが信仰によって正しい者と認められるためでした。6
3:25しかし、信仰が来た今、私たちはもはや養育係の下にはいません。
3:26実際、あなたがたは皆、キリスト・イエスにある信仰を通して、神の子なのです。17
3:27キリストへと洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを身に着けたからです。
3:28ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男性と女性もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。
3:29あなたがたがキリストに属するなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束に基づく相続人です。
第4章
4:1私が言いたいのは、相続人が幼いうちは、すべてのものの主人でありながら、奴隷と何も変わらず、
4:2父が定めた時まで、後見人や管理人の下にいるということです。
4:3同じように私たちも、幼かった時には、世界の諸要素の下で奴隷にされていました。7
4:4しかし、時が満ちると、神は御子を遣わされました。御子は女から生まれ、律法の下にある者となりました。
4:5それは、律法の下にいる人々を買い戻し、私たちが子として迎え入れられるためでした。
4:6あなたがたが子であるので、神は御子の霊を私たちの心の中へ遣わされました。その霊は、「アッバ、父よ」と叫びます。
4:7したがって、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であるなら、神による相続人でもあります。
4:8けれども以前、あなたがたは神を知らず、本来は神々でないものの奴隷となっていました。
4:9しかし今、神を知り、むしろ神に知られているのに、どうして再び、あの弱く貧しい諸要素へ戻ろうとするのですか。もう一度、初めからそれらの奴隷になりたいのですか。7
4:10あなたがたは、日、月、季節、年を注意深く守っています。
4:11あなたがたのことが心配です。あなたがたのために苦労してきたことが、無駄になったのではないでしょうか。
4:12きょうだいたち、お願いします。私のようになってください。私もあなたがたのようになったのですから。あなたがたは私に何も悪いことをしませんでした。
4:13あなたがたが知っているとおり、私が初めてあなたがたに福音を告げたのは、肉体の弱さのためでした。24
4:14そして、私の肉体に関わるあなたがたの試練を、あなたがたは軽蔑せず、唾を吐いて退けることもしませんでした。むしろ、神の御使いのように、キリスト・イエスのように、私を迎えてくれました。
4:15それでは、あなたがたのあの祝福は、どこへ行ったのでしょうか。私は証言します。できることなら、あなたがたは自分の目をえぐり出して、私に与えてくれたでしょう。
4:16それなのに、あなたがたに真実を語ることで、私はあなたがたの敵になったのでしょうか。
4:17あの人々はあなたがたを熱心に求めていますが、その求め方は良くありません。彼らはあなたがたを締め出し、自分たちを熱心に求めさせようとしているのです。
4:18良いことのために熱心に求められるのは、いつでも良いことです。私があなたがたのそばにいる時だけではありません。
4:19私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみを味わっています。
4:20今すぐあなたがたのそばにいて、話し方を変えたいと思います。あなたがたのことで、どうすればよいか分からないからです。
4:21律法の下にいたいと願う人たちよ、私に答えてください。あなたがたは律法を聞いていないのですか。
4:22そこには、アブラハムに二人の子があり、一人は女奴隷から、もう一人は自由な女から生まれたと書かれています。
4:23女奴隷から生まれた子は肉に従って生まれ、自由な女から生まれた子は約束を通して生まれました。
4:24これらのことは比喩的に語られています。この二人の女は二つの契約を表します。一つはシナイ山から出て、奴隷となる子を産む契約であり、これがハガルです。8
4:25このハガルはアラビアにあるシナイ山を指し、今のエルサレムに対応します。今のエルサレムは、その子どもたちとともに奴隷となっているからです。
4:26しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です。
4:27こう書かれているからです。「喜べ、子を産まない不妊の女よ。産みの苦しみを知らない女よ、声を張り上げて叫べ。夫のある女の子どもより、見捨てられた女の子どものほうが多いからだ。」
4:28きょうだいたち、あなたがたはイサクと同じように、約束の子どもです。
4:29しかし、あの時、肉に従って生まれた者が霊に従って生まれた者を迫害したように、今も同じです。
4:30けれども、聖書は何と言っていますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷の子は、自由な女の子とともに相続することは決してない。」
4:31したがって、きょうだいたち、私たちは女奴隷の子どもではなく、自由な女の子どもです。
第5章
5:1この自由のために、キリストは私たちを自由にしてくださいました。ですから、しっかりと立ち、再び奴隷の軛につながれてはなりません。
5:2よく聞きなさい。この私パウロが、あなたがたに言います。もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに何の益ももたらしません。
5:3割礼を受けるすべての人に、私はもう一度、厳かに告げます。その人には、律法全体を行う義務があります。
5:4律法によって正しい者と認められようとするあなたがたは、キリストから切り離され、恵みから落ちてしまいました。
5:5というのも私たちは、霊によって、信仰から来る、正しさへの希望を切に待ち望んでいるからです。18
5:6キリスト・イエスにあっては、割礼も無割礼も何の力も持ちません。力を持つのは、愛を通して働く信仰です。
5:7あなたがたはよく走っていました。誰が妨げて、真理に従わないようにしたのですか。
5:8そのような説得は、あなたがたを招く方から出たものではありません。
5:9わずかな酵母が、生地全体を発酵させます。
5:10あなたがたが別の考えを持つことはないと、私は主にあって確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、それが誰であろうと、裁きを受けることになります。
5:11きょうだいたち、もし私が今も割礼を宣べ伝えているのなら、なぜ今も迫害されているのでしょうか。そうであれば、十字架というつまずきは取り除かれているはずです。
5:12あなたがたを動揺させる者たちは、いっそ自ら切り落としてしまえばよいのです。9
5:13きょうだいたち、あなたがたは自由へと招かれました。ただし、その自由を肉のための足場にしてはなりません。むしろ、愛を通して互いに奴隷として仕えなさい。
5:14律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つの言葉の内に満たされているからです。
5:15しかし、互いにかみつき、食い合っているのなら、互いによって滅ぼされないよう注意しなさい。
5:16私が言いたいのは、こういうことです。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を決して成し遂げないでしょう。
5:17肉は霊に反することを望み、霊は肉に反することを望みます。この二つは互いに対立しており、そのため、あなたがたが望むことをそのまま行うことはありません。19
5:18しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
5:19肉の行いは明らかです。それは、淫行、汚れ、放縦、
5:20偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、激しい怒り、利己的な対立、分裂、分派、
5:21ねたみ、泥酔、酒宴、そしてこれらに似たものです。私は以前にも警告したように、今も警告します。このようなことを行う者たちは、神の国を相続しません。
5:22しかし、霊の実は、愛、喜び、平和、忍耐、親切、善良、誠実、
5:23柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
5:24キリストに属する者たちは、情念と欲望とともに、肉を十字架につけました。
5:25私たちが霊によって生きているのなら、霊に歩調を合わせて進みましょう。
5:26うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。
第6章
6:1きょうだいたち、たとえ誰かが何らかの過ちに捕らえられたとしても、霊に生きるあなたがたは、柔和な霊をもってその人を正しなさい。そして、あなた自身も誘惑されないよう、よく注意しなさい。
6:2互いの重荷を担いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を満たすことになります。
6:3何者でもないのに、自分は何者かであると思う人は、自分自身を欺いています。
6:4一人ひとり、自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、誇る理由を自分自身についてだけ持ち、他人との比較によって持つことはないでしょう。
6:5一人ひとりが、自分自身の荷を担うことになるからです。
6:6教えの言葉を教えられている人は、教えている人と、あらゆる良いものを分かち合いなさい。
6:7思い違いをしてはなりません。神は侮られるような方ではありません。人は、自分が蒔いたものを刈り取ることになるからです。
6:8自分の肉へ蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊へ蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
6:9良いことを行うのに疲れ果てないようにしましょう。くじけなければ、定められた時に刈り取ることになるからです。
6:10ですから、機会があるかぎり、すべての人に対して良いことを行いましょう。とりわけ、信仰の家族に属する人々に対してそうしましょう。
6:11見なさい。私は自分の手で、これほど大きな文字を使ってあなたがたに書いています。
6:12肉において外聞を良くしたい人々が、あなたがたに割礼を強いています。それはただ、キリストの十字架のために迫害されないようにするためです。
6:13割礼を受けている彼ら自身でさえ、律法を守ってはいません。それでも彼らがあなたがたに割礼を受けさせたいのは、あなたがたの肉を誇るためです。
6:14しかし、私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに誇ることが、決してありませんように。この十字架を通して、世界は私に対して十字架につけられたままであり、私も世界に対して十字架につけられたままです。
6:15割礼も無割礼も何ものでもありません。重要なのは、新しい創造です。
6:16この基準に歩調を合わせて進むすべての人々の上に、また神のイスラエルの上に、平和と憐れみがありますように。10
6:17これからは、誰も私を煩わせないでください。私はこの体に、イエスの刻印を負っているのです。20
6:18きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
訳注
- 「私の内に」(1:16)――
ἐν ἐμοίは、「私の内に」とも「私に」とも読める。本訳は、御子がパウロの内に現され、その宣教を通して示されるという読みを採ったが、パウロへの啓示という意味を排除しない。 ↩ - 「イエス・キリストの信実」(2:16)――
πίστις Ἰησοῦ Χριστοῦは、キリストが示した信実を指すとも、キリストを対象とする信仰を指すとも解釈できる。同じ節に「私たちもキリスト・イエスを信じた」と明示されるため、本訳は属格句を「キリストの信実」と訳し、信じる側の応答と区別した。ただし、「イエス・キリストへの信仰」という読みも文法上・文脈上成立する。 ↩ - 「神の御子の信実」(2:20)――2:16と同じ属格構文。本訳は直後の「私を愛し、私のために御自身を渡された」とのつながりから、御子の信実を前面に出した。「神の御子への信仰によって」と読むこともできる。 ↩
- 「子孫」(3:16)――ギリシア語
σπέρμαは文法上単数形でありながら、集合的に複数の子孫を指すことができる。パウロはこの語形を一人のキリストに結びつけて論じている。日本語の「子孫」では単数と集合の語戯が見えにくい。 ↩ - 律法が加えられた理由(3:19)――
τῶν παραβάσεων χάρινは直訳すれば「違反のために」である。違反を抑える、明らかにする、あるいは違反を生じさせるなどの関係を本文だけで一つに限定せず、訳文でも説明を補わなかった。 ↩ - 「養育係」(3:24)――
παιδαγωγόςは、古代の家で子どもを監督し、付き添う役目を担った者を指す。現代の学校教師と同じ役割ではない。εἰς Χριστόνは「キリストが来るまで」とも「キリストへ」とも読める。本訳は3:23、3:25の時間的な枠組みを重く見て前者を本文に採ったが、律法がキリストへ導くという方向の読みも排除しない。 ↩ - 「世界の諸要素」(4:3、4:9)――
στοιχεῖα τοῦ κόσμουは、世界を構成する諸要素、天体に結びつく諸力、宗教生活の初歩的原理など、複数の理解がある。本訳は意味を一つに固定しない表現を残した。 ↩ ↩ - 「比喩的に語られている」(4:24)――
ἀλληγορούμεναは、前述の出来事を別の対応関係によって語ることを示す。パウロはハガルとサラを二つの契約に対応させる。この語そのものは、創世記の人物や出来事が歴史上の事実であるかどうかを断定しない。 ↩ - 「切り落としてしまえばよい」(5:12)――
ἀποκόπτωは「切り離す」のほか、身体を切除する意味を持つ。直接目的語は原文に明示されていない。本訳は、割礼を迫る者たちに向けた強い皮肉として、目的語を補わずに身体的含意を保った。 ↩ - 「神のイスラエル」(6:16)――この句が、直前の「この基準に歩調を合わせて進むすべての人々」を言い換えるのか、それとは別の集団を加えるのかは、接続詞だけでは確定しない。本訳は二つの句を一つの祈願文の中に並べ、どちらか一方へ固定しない形とした。 ↩
- 「イエス・キリストの啓示によって」(1:12)――
διʼ ἀποκαλύψεως Ἰησοῦ Χριστοῦは、イエス・キリストがもたらした啓示とも、イエス・キリストについての啓示とも読める。本訳は前者に寄せて本文を構成したが、後者を排除しない。 ↩ - 「偽のきょうだいたちのために」(2:4–5)――2:4は、理由を示す句と挿入的な説明が続き、主節が2:5まで現れない。本訳は文を補って滑らかにせず、原文の中断をダッシュで示した。 ↩
- ケファへの発言の範囲(2:14–15)――SBLGNT本文は、2:14で始まる発言がどこで終わるかを句読法によって確定していない。本訳は2:14末で発言を閉じたが、2:15の「私たちは」をなおケファに向けた言葉と読み、2:21まで発言が続くとする理解も成立する。 ↩
- 「信仰を伴って聞いたこと」(3:2、3:5)――
ἀκοὴ πίστεωςのἀκοήは「聞くこと」とも「聞かれたもの、告知」とも読める。本訳は信仰をもって聞く人間の応答を本文に採ったが、「信仰という告知を聞いたこと」と読み、律法の行いに宣べ伝えられた内容を対置する理解も成立する。 ↩ ↩ - 「一者」(3:20)――
εἷςが仲介者の相手となる一方だけを指すのか、一つの集団や一人の人物を指すのか、また「神は一者です」が前半とどう結びつくのかは、本文だけでは一つに定まらない。本訳は同じ語を「一者」と反復し、説明を本文へ補わなかった。 ↩ - 「イエス・キリストの信実」(3:22)――2:16、2:20と同種の属格構文であり、本訳は「キリストの信実」としたが、「イエス・キリストへの信仰」と読むこともできる。また、この句を「約束」に結びつけるか、「与えられる」の根拠と見るかについても複数の理解が成立する。 ↩
- 「キリスト・イエスにある信仰を通して」(3:26)――
διὰ τῆς πίστεως ἐν Χριστῷ Ἰησοῦのἐν Χριστῷ Ἰησοῦは、「信仰」に結びつけてキリスト・イエスを対象または領域とする信仰と読むことも、節全体に結びつけてキリスト・イエスにあって神の子であると読むこともできる。本訳は前者を本文に採った。 ↩ - 「正しさへの希望」(5:5)――
ἐλπίδα δικαιοσύνηςは、正しさそのものを待ち望むとも、正しさに基づく希望とも読める。またἐκ πίστεωςを「待ち望む」に結びつけるか、この名詞句に結びつけるかも一つに定まらない。本訳は「信仰から来る」を希望の内容に結びつけた。 ↩ - 「そのため」(5:17)――
ἵνα μήは通常、目的または結果を表す。ここでは肉と霊の対立が、望むことをそのまま行う結果にならないことを示すと読んだ。原文に能力を表す動詞はないため、「行うことができない」とはしなかった。 ↩ - 「刻印」(6:17)――
στίγματαは、身体に付けられた印や焼き印を指し得る語である。パウロの身体にある傷と結びつける理解は可能だが、本文は傷の種類や由来を明示しないため、「傷跡」と限定せず「刻印」とした。 ↩ - 「ケファを訪ねる」(1:18)――
ἱστορῆσαι Κηφᾶνのἱστορέωは、「調べる・尋ねる」を語義の中心とし、人を目的語に取るこの箇所では、知るために会いに行く含意を持ち得る(LSJ, s.v.ἱστορέω, I.2「c. acc. pers., inquire of, ask」の区分)。ただし、直前ではパウロが人間に相談せず、先の使徒たちのもとへも上らなかったと述べているため、本訳は本文を中立的な「訪ねる」とし、含意を訳注に残した。 ↩ - 「魔法をかけた」(3:1)――
βασκαίνωは、邪視によって害する、魔法をかけるという語系統に属し、LSJはこの節をその比喩的用法に挙げる(LSJ, s.v.βασκαίνω, I)。本訳は一般的な「惑わせる」ではなく比喩を本文に残したが、文字どおりの呪術行為があったと断定するものではない。直後の「目の前に」にも、目に関わる表現が続く。 ↩ - 「知りなさい」(3:7)――
Γινώσκετεは、命令法「知りなさい」とも直説法「あなたがたは知っている」とも取れる語形である。本訳は命令として読んだが、本文だけでは一つに決まらない。 ↩ - 「初めて」(4:13)――
τὸ πρότερονは「最初に」とも「以前に、先の折に」とも読める。後者であれば、パウロがガラテヤを二度以上訪れたことを含意し得る。本訳は前者を採ったが、本文だけでは一つに決まらない。 ↩
底本とライセンス
本訳は、Michael W. Holmes編 The Greek New Testament: SBL Edition(SBLGNT v1.2)を底本として、ギリシア語本文から日本語へ翻訳したものである。
訳注の一部では、語義確認のためLiddell–Scott–Jones A Greek-English Lexicon(1940)をPerseus Digital Library公開電子版により参照した。辞書本文は転載していない。
SBLGNT: Copyright © 2010 Society of Biblical Literature and Logos Bible Software. Licensed under CC BY 4.0. 原資料はSBLGNT公式リポジトリのコミットc4d241a9c1c479a55b989ba35a4976c1d0b8052cにあるdata/sblgnt/text/Gal.txtを使用した。
本日本語版では、翻訳、句読法、段落整形、訳注および編集上の変更を行っている。本訳は、Society of Biblical Literature、Logos Bible Software、Faithlife、Michael W. Holmesによる承認または公式訳を意味しない。
本日本語訳および独自訳注は、権利が成立し公開者に帰属する範囲で、CC BY 4.0により提供する。
AI利用について
本訳の草稿作成と編集にはAIを使用した。SBLGNTのギリシア語本文から独立に日本語草稿を作成し、既存の現代日本語訳を翻訳生成の原稿または言い換え元として使用していない。原文との構造照合、機械的監査、AIによる校閲を行っているが、解釈や訳文に誤りが残る可能性がある。