福音書

ヨハネによる福音書

ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ

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第1章

1:1初めに、言はあった。言は神と共にあった。言は神であった。1

1:2この方は初めに神と共にあった。

1:3万物はこの方を通して生じた。この方によらずに生じたものは、一つもない。生じたものは、2

1:4この方のうちにあって命であり、その命は人間の光であった。

1:5光は闇の中で輝いている。闇は光を押しつぶさなかった。3

1:6神から遣わされた人が現れた。その名はヨハネであった。

1:7この人は証言のために来た。光について証言し、彼を通してすべての人が信じるためである。

1:8彼自身は光ではなく、光について証言するために来たのである。

1:9すべての人を照らす真の光が、世界に来ようとしていた。4

1:10この方は世界におられた。世界はこの方を通して生じたのに、世界はこの方を知らなかった。

1:11ご自分のもののところに来られたのに、ご自分に属する者たちはこの方を迎え入れなかった。5

1:12しかし、この方を受け入れた人々、その名を信じる人々には、神の子どもとなる権利をお与えになった。

1:13この人々は、血筋によってでも、肉の望みによってでも、男の望みによってでもなく、神によって生まれた。6

1:14言は肉となり、私たちの間に住まわれた。私たちはその栄光を見た。それは、父のもとからの唯一の子にふさわしい栄光であり、この方は恵みと真理に満ちていた。7

1:15(ヨハネはこの方について証言し、こう叫んでいる。「『私の後から来る方は、私に先立つ方となった。私より先におられたからだ』と私が言ったのは、この方のことだ」。)

1:16私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさから、恵みに代わってさらに恵みを受けたからである。8

1:17律法はモーセを通して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを通して実現したからである。

1:18神を見た者は、いまだかつて一人もいない。父の懐におられる、唯一の方である神、この方が神を明らかにされた。9

1:19ユダヤ人たちがエルサレムから祭司とレビ人を遣わし、「あなたは誰なのか」と尋ねさせたとき、ヨハネが行った証言はこうである。10

1:20彼は告白し、否定せず、「私はキリストではない」と告白したのである。

1:21彼らは尋ねた。「それでは、何者なのか。あなたはエリヤなのか」。彼は言った。「違う」。「あの預言者なのか」。彼は答えた。「違う」。11

1:22そこで彼らは言った。「あなたは誰なのか。私たちを遣わした人々に返事をしなければならない。自分自身について何と言うのか」。

1:23彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったとおり、『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声だ」。12

1:24彼らはファリサイ派から遣わされていたのである。

1:25彼らはさらに尋ねた。「それでは、あなたがキリストでも、エリヤでも、あの預言者でもないのなら、なぜ洗礼を授けるのか」。

1:26ヨハネは答えた。「私は水で洗礼を授ける。あなたがたのただ中に、あなたがたの知らない方が立っておられる。

1:27私の後から来る方だ。私はその方の履物のひもをほどくにも値しない」。

1:28これらのことは、ヨハネが洗礼を授けていた、ヨルダン川の向こう岸のベタニアで起こった。

1:29翌日、ヨハネはイエスが自分の方へ来られるのを見て言った。「見よ、世界の罪を取り除く、神の小羊だ。13

1:30『私の後から一人の方が来る。その方は私に先立つ方となった。私より先におられたからだ』と私が言ったのは、この方のことだ。

1:31私もこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに示されるために、私は来て水で洗礼を授けている」。

1:32ヨハネはさらに証言した。「私は、霊が鳩のように天から降り、この方の上にとどまるのを見た。

1:33私もこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるために私を遣わした方が、私に言われた。『霊が降って、ある人の上にとどまるのを見たら、その人こそ、聖霊で洗礼を授ける者である』。

1:34私はそれを見た。そして、この方が神の選ばれた者であると証言している」。14

1:35翌日、ヨハネは再び、弟子のうち二人と一緒に立っていた。

1:36そして、歩いておられるイエスをじっと見て、「見よ、神の小羊だ」と言った。

1:37二人の弟子は彼がそう語るのを聞き、イエスについて行った。

1:38イエスは振り向き、二人がついて来るのを見て言われた。「何を求めているのか」。二人は言った。「ラビ――訳すと『先生』――どこにお泊まりですか」。

1:39イエスは言われた。「来なさい。そうすれば見るだろう」。そこで二人は行き、イエスの泊まっておられる所を見て、その日は共に過ごした。時刻は第十時ごろであった。15

1:40ヨハネから聞いてイエスについて行った二人のうち、一人はシモン・ペトロの兄弟アンデレであった。

1:41彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて言った。「私たちはメシアを見つけた」。「メシア」は、訳すと「キリスト」である。

1:42彼はシモンをイエスのもとに連れて行った。イエスはシモンをじっと見て言われた。「あなたはヨハネの子シモンだ。あなたはケファと呼ばれることになる」。「ケファ」は、訳すと「ペトロ」である。16

1:43翌日、イエスはガリラヤへ出発しようとされた。そしてフィリポを見つけ、「私に従いなさい」と言われた。

1:44フィリポはベトサイダ出身で、アンデレとペトロと同じ町の人であった。

1:45フィリポはナタナエルを見つけて言った。「モーセが律法の中に記し、預言者たちも記した方を、私たちは見つけた。ナザレ出身の、ヨセフの子イエスだ」。

1:46ナタナエルは言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」。フィリポは言った。「来て、見てごらん」。

1:47イエスはナタナエルが近づいて来るのを見て、彼について言われた。「見よ、まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」。

1:48ナタナエルは言った。「どうして私をご存じなのですか」。イエスは答えられた。「フィリポがあなたを呼ぶ前に、いちじくの木の下にいたあなたを見た」。

1:49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。

1:50イエスは答えられた。「いちじくの木の下にいるあなたを見たと私が言ったので、信じるのか。あなたは、これよりも大きなことを見る」。

1:51そして言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。あなたがたは、天が開かれ、神の天使たちが人の子の上に上り下りするのを見る」。17

第2章

2:1三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母もそこにいた。

2:2イエスとその弟子たちも婚礼に招かれていた。

2:3ぶどう酒が足りなくなると、イエスの母はイエスに言った。「ぶどう酒がありません」。

2:4イエスは母に言われた。「婦人よ、それは私とあなたにどう関わることなのか。私の時はまだ来ていない」。18

2:5母は給仕たちに言った。「この方があなたがたに言われることは、何でもそのとおりにしてください」。

2:6そこには、ユダヤ人の清めの習慣に従って、石の水がめが六つ置いてあった。一つに二、三メトレテス入るものであった。19

2:7イエスは給仕たちに言われた。「水がめを水で満たしなさい」。彼らは口までいっぱいに満たした。

2:8そして言われた。「さあ、くんで、宴会の世話役に持って行きなさい」。彼らは持って行った。

2:9世話役は、ぶどう酒になった水を味わった。どこから来たものか知らなかったが、水をくんだ給仕たちは知っていた。世話役は花婿を呼び、

2:10言った。「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、客が酔ってから劣るものを出す。ところが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておいたのですね」。

2:11イエスは、ガリラヤのカナで、これをしるしの始まりとして行い、ご自分の栄光を現された。弟子たちはイエスを信じた。20

2:12この後、イエスは母、兄弟たち、弟子たちと共にカファルナウムへ下り、彼らはそこに幾日も滞在しなかった。

2:13ユダヤ人の過越祭が近づき、イエスはエルサレムへ上られた。

2:14そして神殿の境内で、牛や羊や鳩を売る者たちと、座っている両替人たちをご覧になった。

2:15イエスは縄で鞭を作り、羊も牛もみな境内から追い出し、両替人の小銭をまき散らし、台をひっくり返された。21

2:16そして鳩を売る者たちに言われた。「これらをここから運び出せ。私の父の家を商売の家にするな」。

2:17弟子たちは、「あなたの家への熱情が私を食い尽くす」と記されているのを思い出した。22

2:18そこでユダヤ人たちはイエスに言った。「このようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるのか」。

2:19イエスは答えられた。「この神殿を壊してみよ。私は三日でそれを起こす」。

2:20ユダヤ人たちは言った。「この神殿を建てるのに四十六年かかったのに、あなたは三日で起こすのか」。

2:21しかし、イエスが語っておられたのは、ご自分の体という神殿のことであった。

2:22それで、イエスが死者の中から起こされたとき、弟子たちは、イエスがこのように語っておられたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉を信じた。

2:23イエスが過越祭の間、エルサレムにおられたとき、多くの人が、行っておられるしるしを見て、その名を信じた。

2:24しかし、イエスご自身はその人々にご自分を任せなかった。すべての人を知っておられ、23

2:25また、人間について誰かに証言してもらう必要もなかったからである。人間の内に何があるか、ご自身が知っておられたのである。

第3章

3:1ファリサイ派の一人に、ニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。

3:2この人が夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、私たちは、あなたが神のもとから来られた先生だと知っています。神が共におられなければ、あなたがなさっているこれらのしるしは、誰にもできないからです」。

3:3イエスは答えられた。「確かに、確かに、あなたに言う。人は上から生まれなければ、神の国を見ることができない」。24

3:4ニコデモは言った。「年を取った人が、どうして生まれることができるのですか。もう一度、母の腹に入って生まれることなど、できるでしょうか」。

3:5イエスは答えられた。「確かに、確かに、あなたに言う。人は水と霊から生まれなければ、神の国に入ることができない。25

3:6肉から生まれたものは肉であり、霊から生まれたものは霊である。

3:7『あなたがたは上から生まれなければならない』と私が言ったのを、不思議に思ってはならない。

3:8風は吹きたいところに吹く。あなたはその音を聞くが、どこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生まれた者は皆、そのようなものだ」。26

3:9ニコデモは答えた。「どうして、そんなことがあり得るのですか」。

3:10イエスは答えられた。「あなたはイスラエルの教師なのに、これらのことが分からないのか。

3:11確かに、確かに、あなたに言う。私たちは知っていることを語り、見たことを証言している。それなのに、あなたがたは私たちの証言を受け入れない。

3:12私が地上のことを話したのに、あなたがたが信じないのなら、天上のことを話したところで、どうして信じるだろうか。

3:13天から下って来た者、すなわち人の子のほかには、誰も天に上った者はいない。27

3:14モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない。28

3:15信じる者が皆、この方にあって永遠の命を持つためである」。29

3:16実に、神はこのように世界を愛し、唯一の子を与えられたのである。それは、その子を信じる者が誰一人滅びず、永遠の命を持つためである。30

3:17神が御子を世界に遣わされたのは、世界を裁くためではなく、御子を通して世界が救われるためだからである。

3:18御子を信じる者は裁かれない。信じない者は、すでに裁かれている。神の唯一の子の名を信じていないからである。

3:19その裁きとは、光が世界に来たのに、人間が光よりも闇を愛したということである。その行いが悪かったからだ。

3:20悪いことをする者は皆、光を憎み、自分の行いが暴かれないように、光の方へ来ない。

3:21しかし、真理を行う者は光の方へ来る。自分の行いが、神にあってなされたものだと明らかにされるためである。

3:22この後、イエスと弟子たちはユダヤ地方へ行った。イエスはそこで彼らと時を過ごし、洗礼を授けておられた。

3:23ヨハネもサリムに近いアイノンで洗礼を授けていた。そこには水が豊かにあったからである。人々がやって来て、洗礼を受けていた。

3:24ヨハネはまだ獄に入れられていなかったのである。

3:25さて、ヨハネの弟子たちの側から、あるユダヤ人との間に、清めについての議論が起こった。

3:26弟子たちはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こうであなたと一緒にいて、あなたが証言なさったあの人ですが、ご覧ください、洗礼を授けています。みんながあの人のところへ行っています」。

3:27ヨハネは答えた。「天から与えられるのでなければ、人は何一つ受け取ることができない。

3:28私が『私はキリストではない。あの方に先立って遣わされた者だ』と言ったことは、あなたがた自身が証言してくれる。

3:29花嫁を迎えるのは花婿だ。そばに立って花婿に耳を傾ける花婿の友人は、花婿の声のゆえに大いに喜ぶ。それゆえ、私のこの喜びは満たされている。

3:30あの方は大きくなり、私は小さくならなければならない」。31

3:31上から来る方は、すべてのものの上におられる。地から出る者は地に属し、地に属することを語る。天から来る方は、すべてのものの上におられる。

3:32この方は、見たこと、聞いたことを証言されるが、その証言を受け入れる者は誰もいない。

3:33その証言を受け入れた者は、神が真実であることに確認の印を押したのである。

3:34神が遣わされた方は、神の言葉を語られる。神は霊を量ってお与えにはならないからである。32

3:35父は子を愛し、すべてをその手にお与えになった。

3:36子を信じる者は永遠の命を持つ。子に従わない者は命を見ることがなく、神の怒りがその者の上にとどまる。

第4章

4:1イエスは、ご自分がヨハネより多くの弟子をつくり、洗礼を授けているとファリサイ派の人々が聞いたことを知ると、

4:2――もっとも、洗礼を授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであった――

4:3ユダヤを去り、再びガリラヤへ向かわれた。

4:4イエスはサマリアを通らなければならなかった。

4:5こうしてイエスは、サマリアのシカルという町に来られた。ヤコブが息子ヨセフに与えた土地の近くである。

4:6そこにはヤコブの泉があった。イエスは旅に疲れ、そのまま泉のほとりに腰を下ろしておられた。時刻は第六時ごろであった。33

4:7サマリアの女が一人、水をくみに来た。イエスは彼女に言われた。「水を飲ませてください」。

4:8弟子たちは食べ物を買いに町へ行っていたのである。

4:9サマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、サマリアの女である私に、どうして飲み水をお求めになるのですか」。ユダヤ人はサマリア人と交わらないのである。34

4:10イエスは答えられた。「神の贈り物を知り、また『水を飲ませてください』と言っているのが誰かを知っていたなら、あなたの方からその者に求め、その者はあなたに生きた水を与えただろう」。35

4:11女は言った。「先生、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。その生きた水を、どこから手にお入れになるのですか。

4:12あなたは、まさか私たちの父ヤコブより偉いわけではないでしょう。ヤコブはこの井戸を私たちに与え、自分も、息子たちも、家畜も、ここから飲んだのです」。

4:13イエスは答えられた。「この水を飲む者は誰でも、また渇く。

4:14しかし、私が与える水を飲む者は、永遠に決して渇くことがない。むしろ、私が与える水は、その人の内で、永遠の命へと湧き上がる水の泉になる」。

4:15女は言った。「先生、その水をください。渇くことも、ここまでくみに来ることもなくなるように」。

4:16イエスは言われた。「行って、あなたの夫を呼び、ここに来なさい」。

4:17女は答えた。「私には夫がいません」。イエスは言われた。「『夫がいない』とは、よく言った。

4:18実際、あなたには五人の夫がいた。そして今、一緒にいる人はあなたの夫ではない。そのことを、あなたは本当のとおりに言った」。36

4:19女は言った。「先生、あなたは預言者だとお見受けします。

4:20私たちの先祖はこの山で礼拝しました。けれど、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」。

4:21イエスは言われた。「婦人よ、私を信じなさい。この山でもエルサレムでもなく、あなたがたが父を礼拝する時が来る。

4:22あなたがたは知らないものを礼拝している。私たちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。

4:23しかし、真に礼拝する者たちが、霊と真理において父を礼拝する時が来る。今がその時である。父も、ご自分をそのように礼拝する者たちを求めておられるからである。

4:24神は霊である。神を礼拝する者は、霊と真理において礼拝しなければならない」。37

4:25女は言った。「キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られたら、すべてのことを私たちに知らせてくださるでしょう」。

4:26イエスは言われた。「あなたと話しているこの私が、その者である」。38

4:27ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女と話しておられるのを不思議に思った。しかし誰も、「何をお求めなのですか」とも、「なぜ彼女と話しておられるのですか」とも言わなかった。

4:28女は水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。

4:29「来て、見てください。私がしたことを何もかも言い当てた人がいます。もしかすると、この人がキリストではないでしょうか」。

4:30人々は町を出て、イエスのもとへ向かった。

4:31その間、弟子たちはイエスに、「ラビ、召し上がってください」と勧めていた。

4:32しかしイエスは言われた。「私には、あなたがたの知らない食べ物がある」。

4:33弟子たちは互いに言った。「まさか誰かが食べ物を持って来たのではあるまい」。

4:34イエスは言われた。「私の食べ物とは、私を遣わした方の御心を行い、その業を成し遂げることである。

4:35あなたがたは、『あと四か月で刈り入れだ』と言っているではないか。見よ、あなたがたに言う。目を上げて畑を見なさい。白くなって、刈り入れを待っている。すでに、39

4:36刈る者は報酬を受け取り、永遠の命に至る実りを集めている。種を蒔く者も、刈る者も、共に喜ぶためである。

4:37実際、この点で、『一人が蒔き、別の者が刈る』という言葉は真実である。

4:38私は、あなたがた自身が労苦していないものを刈り取るために、あなたがたを遣わした。ほかの者たちが労苦し、あなたがたは彼らの労苦に加わっている」。

4:39その町のサマリア人の多くが、「私がしたことを何もかも言い当てた」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。

4:40サマリア人たちはイエスのもとに来ると、自分たちのところにとどまってくださるよう願った。イエスはそこに二日間滞在された。

4:41そして、さらに多くの人々が、イエスの言葉によって信じた。

4:42彼らは女に言った。「もう、あなたの話を聞いたから信じているのではありません。私たち自身が聞いて、この方こそ本当に世界の救い主だと分かったのです」。

4:43その二日が過ぎると、イエスはそこを出てガリラヤへ向かわれた。

4:44イエスご自身が、預言者は自分の故郷では尊ばれないと証言しておられたのである。40

4:45ガリラヤに来られると、ガリラヤの人々はイエスを迎え入れた。イエスが祭りの間にエルサレムで行われたことを、すべて見ていたからである。彼らも祭りに行っていたのである。

4:46イエスは再び、水をぶどう酒に変えたガリラヤのカナへ来られた。さて、王の役人の一人に、カファルナウムで病んでいる息子がいた。

4:47この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、そのもとへ行って、下って来て息子を癒やしてくださるよう願った。息子が死にかけていたからである。

4:48イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしや驚くべき業を見なければ、決して信じない」。

4:49役人は言った。「主よ、子どもが死ぬ前に、下って来てください」。

4:50イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きている」。その人はイエスの語られた言葉を信じて帰って行った。

4:51彼が下って行く途中、奴隷たちが迎えに来て、彼の子が生きていると告げた。

4:52そこで、父親が僕たちに良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日、第七時に熱が引きました」と言った。

4:53父親は、それがイエスから「あなたの息子は生きている」と言われた時刻だと分かった。そして、彼自身も、その家の者全員も信じた。

4:54これもまた、イエスがユダヤからガリラヤに来て行われた、二度目のしるしである。

第5章

5:1この後、ユダヤ人の祭りがあり、イエスはエルサレムへ上られた。

5:2エルサレムの羊の門のそばに、ヘブライ語でベテスダと呼ばれる池がある。五つの柱廊を備えている。41

5:3その柱廊には、大勢の病人、すなわち目の見えない人、足の不自由な人、手足のなえた人が横たわっていた。42

5:5そこに、三十八年もの間、病んでいる人がいた。

5:6イエスはその人が横たわっているのを見て、すでに長い時がたっていることを知り、「良くなりたいか」と言われた。

5:7病んでいる人は答えた。「先生、水が動くとき、私を池に入れてくれる人がいません。私が行こうとしているうちに、ほかの人が先に下りてしまうのです」。

5:8イエスは言われた。「起きなさい。寝床を持ち上げて、歩きなさい」。

5:9すると、その人はすぐに良くなり、寝床を持ち上げて歩き始めた。その日は安息日であった。

5:10そこでユダヤ人たちは、癒やされた人に言った。「今日は安息日だ。寝床を担ぐことは許されていない」。

5:11彼は答えた。「私を良くしてくださった方が、『寝床を持ち上げて、歩きなさい』と言われたのです」。

5:12彼らは尋ねた。「『持ち上げて、歩きなさい』と言ったのは、誰なのか」。

5:13しかし、癒やされた人は、それが誰か知らなかった。その場に群衆がいたので、イエスは立ち去っておられたのである。

5:14その後、イエスは神殿の境内で彼を見つけて言われた。「見なさい、あなたは良くなった。もう罪を犯してはならない。もっと悪いことが起こらないように」。43

5:15その人は出て行って、自分を良くしてくださったのはイエスだとユダヤ人たちに知らせた。

5:16このため、ユダヤ人たちはイエスを迫害していた。イエスがこうしたことを安息日に行っておられたからである。

5:17イエスは彼らに答えられた。「私の父は今に至るまで働いておられる。私も働く」。

5:18そのため、ユダヤ人たちはますますイエスを殺そうとした。安息日を破るだけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しい者としておられたからである。

5:19そこでイエスは答えて言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。子は、父がしておられるのを見るのでなければ、自分からは何もすることができない。父がなさることは何でも、子も同じようにするからである。

5:20実際、父は子を愛し、ご自分のなさることをすべて子に示される。そして、これらよりも大きな業を子にお示しになるだろう。あなたがたが驚くためである。

5:21実に、父が死者を起こして命を与えるように、子も、自分が望む者たちに命を与える。

5:22また、父は誰をも裁かず、裁きのすべてを子に委ねられた。

5:23すべての人が、父を敬うように子を敬うためである。子を敬わない者は、子を遣わされた父をも敬わない。

5:24確かに、確かに、あなたがたに言う。私の言葉を聞き、私を遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きに至ることがなく、むしろ死から命へ移っている。44

5:25確かに、確かに、あなたがたに言う。死者たちが神の子の声を聞く時が来る。今がその時である。そして、聞いた者たちは生きる。

5:26父がご自分の内に命を持っておられるように、子にも、自分の内に命を持つことをお与えになったからである。

5:27また、裁きを行う権限も子にお与えになった。子が人の子だからである。

5:28このことを不思議に思ってはならない。墓の中にいる者が皆、その声を聞く時が来るからである。

5:29そして出て来る。良いことをした者は、命を受ける復活へ、悪いことを行った者は、裁きを受ける復活へと。

5:30私は、自分からは何もすることができない。聞くとおりに裁く。そして私の裁きは正しい。私は自分の意志ではなく、私を遣わした方の御心を求めているからである。

5:31もし私が自分自身について証言するなら、私の証言は真実ではない。45

5:32私について証言してくださる別の方がおられる。その方が私についてなさる証言は真実であると、私は知っている。

5:33あなたがたはヨハネのもとに人を遣わした。ヨハネは真理のために証言してきた。

5:34私は人間から証言を受けるのではない。しかし、これらのことを言うのは、あなたがたが救われるためである。

5:35ヨハネは、燃えて輝く灯火であった。あなたがたは、しばらくの間、その光の中で喜ぼうとした。

5:36しかし私には、ヨハネのものより大きな証言がある。私が成し遂げるようにと父が与えられた業、私が行っているその業そのものが、父が私を遣わされたことを、私について証言している。

5:37また、私を遣わされた父ご自身も、私について証言された。あなたがたは、その声を一度も聞いたことがなく、その姿を見たこともない。

5:38そして、あなたがたの内には、その方の言葉がとどまっていない。その方が遣わされた者を、あなたがたは信じないからである。

5:39あなたがたは聖書を調べている。その中に永遠の命を持っていると、あなたがたは考えているからだ。その聖書こそ、私について証言するものである。46

5:40それなのに、命を得るために私のもとへ来ようとはしない。

5:41私は人間からの誉れを受けない。

5:42しかし、あなたがたのことは知っている。あなたがたの内には、神への愛がない。47

5:43私は父の名によって来たのに、あなたがたは私を受け入れない。別の者が自分自身の名によって来れば、あなたがたはその者を受け入れるだろう。

5:44互いに誉れを受けながら、唯一の神からの誉れを求めないあなたがたに、どうして信じることができようか。

5:45私が父のもとであなたがたを訴えると思ってはならない。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みを置いているモーセである。

5:46もしあなたがたがモーセを信じていたなら、私をも信じていたはずだ。モーセは私について書いたからである。

5:47しかし、モーセの書いたものを信じないのなら、どうして私の言葉を信じるだろうか」。

第6章

6:1この後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸へ行かれた。

6:2大勢の群衆がついて行った。病む人々に行っておられるしるしを見ていたからである。

6:3イエスは山に上り、そこで弟子たちと共に座られた。

6:4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。

6:5イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見ると、フィリポに言われた。「この人々が食べるパンを、どこで買おうか」。

6:6こう言われたのは、フィリポを試すためであった。何をしようとしておられるか、ご自身では分かっておられた。

6:7フィリポは答えた。「二百デナリオン分のパンでも、一人一人が少しずつ受け取るのには足りません」。48

6:8弟子の一人、シモン・ペトロの兄弟アンデレが言った。

6:9「ここに、大麦のパンを五つと、小魚を二匹持っている子がいます。けれど、こんなに大勢では、それが何になるでしょう」。

6:10イエスは言われた。「人々を座らせなさい」。その場所には草が豊かに生えていた。そこで男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。

6:11イエスはパンを取り、感謝をささげてから、座っている人々に分け与えられた。小魚も同じように、人々が望むだけ与えられた。

6:12人々が満腹になると、弟子たちに言われた。「余ったかけらを集めなさい。何一つ失われないように」。

6:13弟子たちは集めた。そして、五つの大麦のパンを人々が食べて余ったかけらで、十二の籠をいっぱいにした。

6:14人々は、イエスの行われたしるしを見て言った。「この人は、本当に、世界に来られるあの預言者だ」。

6:15イエスは、人々が来てご自分を捕らえ、王にしようとしているのを知り、再び、ただ一人で山へ退かれた。

6:16夕方になると、弟子たちは湖へ下り、

6:17舟に乗って、向こう岸のカファルナウムへ向かっていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのもとに来ておられなかった。

6:18強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。

6:19二十五ないし三十スタディオンほどこいだとき、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。49

6:20しかし、イエスは言われた。「私である。恐れてはならない」。50

6:21そこで弟子たちは、イエスを舟に迎え入れようとした。すると舟はすぐに、目指していた陸に着いた。

6:22翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこに小舟が一隻しかなかったこと、またイエスが弟子たちと一緒には舟に乗らず、弟子たちだけで出発したことを知っていた。

6:23ところが、主が感謝をささげられた後に人々がパンを食べた場所の近くに、ティベリアスから小舟が何隻か来た。

6:24群衆は、そこにイエスも弟子たちもいないと分かると、その小舟に乗り、イエスを捜してカファルナウムへ行った。

6:25湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつこちらに来られたのですか」と言った。

6:26イエスは答えられた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからである。

6:27失われる食べ物のためにではなく、永遠の命に至るまで残る食べ物のために働きなさい。それは人の子があなたがたに与えるものだ。父である神が、この者に確証の印を押されたからである」。

6:28そこで彼らは言った。「神の業を行うためには、何をすればよいのですか」。

6:29イエスは答えられた。「神が遣わされた者を信じること、それが神の業である」。51

6:30彼らは言った。「それなら、私たちが見てあなたを信じるように、どんなしるしを行うのですか。どんな業をするのですか。

6:31私たちの先祖は荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と記されているとおりです」。52

6:32イエスは言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。天からのパンをあなたがたに与えたのはモーセではない。私の父が、天からの真のパンをあなたがたに与えておられる。

6:33神のパンとは、天から下って来て、世界に命を与えるものである」。

6:34彼らは言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにください」。

6:35イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えず、私を信じる者は決して渇くことがない。

6:36しかし、あなたがたに言ったとおり、あなたがたは私を見ていながら信じない。

6:37父が私に与えてくださる者は皆、私のもとに来る。そして、私のもとに来る者を、私は決して外へ追い出さない。

6:38私が天から下って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私を遣わした方の御心を行うためだからである。

6:39私を遣わした方の御心とは、その方が私に与えてくださった者を私が一人も失わず、終わりの日に復活させることである。

6:40実に、私の父の御心は、子を見て信じる者が皆、永遠の命を持つことである。そして私は、その者を終わりの日に復活させる」。

6:41ユダヤ人たちは、イエスが「私は天から下って来たパンである」と言われたので、イエスについて不平を言い始めた。

6:42彼らは言った。「この人はヨセフの子イエスではないか。父親も母親も私たちは知っている。どうして今、『私は天から下って来た』などと言うのか」。

6:43イエスは答えられた。「互いに不平を言うのをやめなさい。

6:44私を遣わした父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとに来ることはできない。そして私は、その者を終わりの日に復活させる。

6:45預言者たちの書には、『彼らは皆、神に教えられる者となる』と記されている。父から聞いて学んだ者は皆、私のもとに来る。53

6:46誰かが父を見たということではない。神のもとからの者だけが、父を見たのである。

6:47確かに、確かに、あなたがたに言う。信じる者は永遠の命を持つ。

6:48私が命のパンである。

6:49あなたがたの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。

6:50これは天から下って来るパンであり、人がこれを食べて死なないためのものである。

6:51私は天から下って来た、生きているパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。そしてまた、私が与えるパンは、世界の命のための私の肉である」。54

6:52そこでユダヤ人たちは激しく論じ合った。「この人は、どうして自分の肉を私たちに食べさせることができるのか」。

6:53イエスは言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。

6:54私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠の命を持つ。そして私は、その者を終わりの日に復活させる。

6:55私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物だからである。

6:56私の肉を食べ、私の血を飲む者は私の内にとどまり、私もその者の内にとどまる。

6:57生きておられる父が私を遣わし、私が父によって生きるように、私を食べる者も、私によって生きる。

6:58これが、天から下って来たパンである。先祖たちが食べても死んだのとは違い、このパンを食べる者は永遠に生きる」。

6:59イエスは、カファルナウムの会堂で教えながら、これらのことを語られた。

6:60弟子たちの多くは、これを聞いて言った。「これは厳しい言葉だ。誰が聞いていられるだろう」。55

6:61イエスは、弟子たちがこのことについて不平を言っているのを、ご自身で知って言われた。「このことが、あなたがたをつまずかせるのか。

6:62それでは、人の子が、以前いたところへ上って行くのを見たら、どうなのか。

6:63命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに語った言葉は、霊であり、命である。56

6:64しかし、あなたがたの中には信じない者たちがいる」。イエスは初めから、信じない者たちが誰か、またご自分を引き渡す者が誰かを知っておられた。

6:65そして言われた。「だから、あなたがたに言ったのだ。父から与えられていなければ、誰も私のもとに来ることはできない、と」。

6:66このことから、弟子たちの多くは後戻りし、もはやイエスと共に歩まなくなった。

6:67そこでイエスは十二人に言われた。「まさか、あなたがたまで去りたいわけではあるまい」。

6:68シモン・ペトロは答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

6:69私たちは、あなたが神の聖なる方であると信じ、知るに至りました」。57

6:70イエスは答えられた。「私があなたがた十二人を選んだのではないか。それなのに、あなたがたのうち一人は悪魔である」。

6:71イエスが言われたのは、イスカリオテのシモンの子ユダのことであった。このユダが、十二人の一人でありながら、イエスを引き渡すことになっていたからである。

第7章

7:1この後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人たちが殺そうとしていたので、ユダヤを巡ろうとはされなかった。

7:2ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。

7:3そこで兄弟たちはイエスに言った。「ここを離れてユダヤへ行ったらどうですか。あなたのしている業を、弟子たちにも見てもらうために。

7:4隠れて事を行いながら、自分は公に知られようとする者などいないのですから。このようなことをするのなら、自分を世界に示しなさい」。

7:5兄弟たちさえ、イエスを信じていなかったのである。

7:6イエスは彼らに言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつでも整っている。

7:7世界はあなたがたを憎むことができない。しかし私を憎む。私が、その行いは悪いと、世界について証言するからである。

7:8あなたがたは祭りに上りなさい。私はこの祭りには上らない。私の時はまだ満ちていないからだ」。58

7:9こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。

7:10しかし、兄弟たちが祭りに上った後、イエスご自身も、公にではなく、いわばひそかに上られた。

7:11ユダヤ人たちは祭りの間イエスを捜し、「あの人はどこにいるのか」と言っていた。

7:12群衆の間では、イエスについてしきりにささやきが交わされていた。ある人々は「良い人だ」と言い、ほかの人々は「違う。群衆を惑わしている」と言っていた。

7:13しかし、ユダヤ人たちを恐れて、誰もイエスについて公には語らなかった。

7:14祭りも半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って教え始められた。

7:15ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は学んだことがないのに、どうして学問を身につけているのか」。59

7:16イエスは答えられた。「私の教えは私のものではなく、私を遣わした方のものである。

7:17その方の御心を行おうとする者は、この教えが神からのものか、それとも私が自分から語っているのか、分かるだろう。

7:18自分から語る者は自分の栄光を求める。しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その者の内に不正はない。

7:19モーセがあなたがたに律法を与えたのではないか。それなのに、あなたがたのうち誰も律法を行わない。なぜ私を殺そうとするのか」。

7:20群衆は答えた。「あなたは悪霊に取りつかれている。誰があなたを殺そうとしているのか」。

7:21イエスは答えられた。「私は一つの業を行い、あなたがたは皆、驚いている。

7:22このことに関して言えば、モーセはあなたがたに割礼を与えた――もっとも、モーセからではなく、先祖たちから始まったものだが――そして、あなたがたは安息日にも人に割礼を施す。60

7:23モーセの律法を破らないために、人が安息日に割礼を受けるのなら、私が安息日に一人の人の全身を良くしたからといって、私に腹を立てるのか。

7:24見かけで裁くのをやめ、公正な裁きを行いなさい」。

7:25さて、エルサレムの人々のうちに、こう言う者がいた。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。

7:26見なさい、公然と話しているのに、彼らは何も言わない。指導者たちは、この人がキリストだと本当に認めたのだろうか。

7:27しかし、この人がどこから来たか、私たちは知っている。キリストが来られるときには、どこの出か誰も知らない」。

7:28そこでイエスは、神殿の境内で教えながら声を張り上げて言われた。「あなたがたは私を知り、私がどこから来たかも知っているというのだ。だが、私は自分から来たのではない。私を遣わした方は真実であり、その方を、あなたがたは知らない。61

7:29私はその方を知っている。私はその方のもとから来ており、その方が私を遣わされたからである」。

7:30そこで人々はイエスを捕らえようとした。しかし、誰も手をかけなかった。イエスの時は、まだ来ていなかったのである。

7:31群衆のうち多くの人々がイエスを信じて言った。「キリストが来られたとき、この人が行ったよりも多くのしるしを行うだろうか」。

7:32ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを聞いた。それで祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。

7:33イエスは言われた。「私は、もうしばらくあなたがたと共にいて、それから私を遣わした方のもとへ行く。

7:34あなたがたは私を捜すが、見つけられない。私のいる所に、あなたがたは来ることができない」。

7:35ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちが見つけられないとは、この人はどこへ行くつもりなのか。ギリシア人の間に散らばっている同胞のところへ行って、ギリシア人たちを教えるつもりなのだろうか。62

7:36『あなたがたは私を捜すが、見つけられない。私のいる所に、あなたがたは来ることができない』と言ったのは、どういう意味なのか」。

7:37祭りの最後の、大いなる日に、イエスは立って声を張り上げられた。「渇いている者は、私のもとに来て飲みなさい。

7:38私を信じる者は、聖書が言ったとおり、その内から生きた水の川が流れ出る」。63

7:39これは、イエスを信じた人々が受けることになっていた霊について言われたのである。イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、霊はまだなかったのである。64

7:40群衆のうち、これらの言葉を聞いて、「この人は本当に、あの預言者だ」と言う者たちがいた。

7:41ほかの者たちは「この人はキリストだ」と言った。しかし、「まさか、キリストがガリラヤから来るはずがない。

7:42聖書は、キリストはダビデの子孫から、ダビデのいた村ベツレヘムから来る、と言っているではないか」と言う者たちもいた。65

7:43こうして群衆の間に、イエスをめぐる分裂が起こった。

7:44中には捕らえようとする者たちもいたが、誰もイエスに手をかけなかった。

7:45下役たちが祭司長たちとファリサイ派の人々のもとへ戻ると、祭司長たちとファリサイ派の人々は下役たちに言った。「なぜ、あの者を連れて来なかったのか」。

7:46下役たちは答えた。「あのように話した人は、これまで一人もいません」。

7:47ファリサイ派の人々は答えた。「お前たちまで惑わされたのか。

7:48指導者やファリサイ派の中に、あの者を信じた人が一人でもいるか。

7:49律法を知らないこの群衆は、呪われている」。

7:50以前イエスのもとを訪れたニコデモは、その一員であったが、彼らに言った。

7:51「私たちの律法は、まず本人から話を聞き、何をしたか確かめる前に、人を裁くでしょうか」。

7:52彼らは答えた。「あなたまでガリラヤの出なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらないと分かる」。66

7:53⟦そして、それぞれ自分の家へ帰った。67

第8章

8:1一方、イエスはオリーブ山へ行かれた。

8:2夜明けに再び神殿の境内へ来られると、民衆が皆、集まって来た。イエスは座って彼らを教えておられた。

8:3すると律法学者たちとファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女をイエスのもとに連れて来て、真ん中に立たせ、

8:4イエスを試して言った。「先生、この女は姦通している現場で捕まりました。

8:5モーセは律法の中で、このような女たちを石で打ち殺すよう、私たちに命じています。あなたはどう言われますか」。

8:6彼らがこう言ったのは、イエスを試し、訴える口実を得るためであった。しかしイエスは身をかがめ、取り合わずに、指で地面に書いておられた。68

8:7彼らがしつこく尋ね続けたので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうち、罪のない者が、最初にこの女に石を投げなさい」。

8:8そして、再び身をかがめて地面に書いておられた。

8:9彼らはこれを聞き、良心に責められて、年長の者たちから始めて一人ずつ出て行った。イエスひとりと、真ん中にいた女とが残された。

8:10イエスは身を起こし、女のほかに誰もいないのを見ると、言われた。「あなたを訴えていたあの人たちは、どこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。

8:11女は言った。「主よ、誰も」。イエスは言われた。「私もあなたを裁かない。行きなさい。もう罪を犯してはならない」。⟧

8:12イエスは再び人々に語って言われた。「私が世界の光である。私に従う者は、決して闇の中を歩まず、命の光を持つ」。

8:13ファリサイ派の人々は言った。「あなたは自分自身について証言している。その証言は真実ではない」。

8:14イエスは答えられた。「たとえ私が自分自身について証言しても、私の証言は真実である。私は、自分がどこから来て、どこへ行くのかを知っているからだ。しかし、あなたがたは、私がどこから来るのかも、どこへ行くのかも知らない。

8:15あなたがたは肉に従って裁く。私は誰も裁かない。

8:16しかし、たとえ私が裁いても、私の裁きは真実である。私は一人ではなく、私と、私を遣わした父とが共にいるからである。

8:17あなたがたの律法にも、二人の人の証言は真実であると記されている。69

8:18私は自分自身について証言する者であり、私を遣わした父も私について証言してくださる」。

8:19彼らは言った。「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた。「あなたがたは、私も私の父も知らない。私を知っていたなら、私の父をも知っていただろう」。

8:20イエスは神殿の境内で教えながら、献金箱のある場所でこれらの言葉を語られた。しかし誰も捕らえなかった。イエスの時は、まだ来ていなかったからである。

8:21イエスは再び言われた。「私は去って行く。あなたがたは私を捜すが、自分の罪のうちに死ぬ。私の行く所に、あなたがたは来ることができない」。

8:22そこでユダヤ人たちは言った。「『私の行く所に、あなたがたは来ることができない』と言うのは、まさか自分を殺すつもりではあるまい」。

8:23イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下からの者、私は上からの者である。あなたがたはこの世界に属している。私はこの世界に属していない。

8:24だから私は、あなたがたは自分たちの罪のうちに死ぬと言ったのだ。『私である』と信じなければ、あなたがたは自分たちの罪のうちに死ぬからである」。70

8:25彼らは言った。「あなたは誰なのか」。イエスは言われた。「そもそも、なぜ私はあなたがたに話しているのか。71

8:26あなたがたについて、語り、裁くべきことは多くある。しかし、私を遣わした方は真実である。私は、その方から聞いたことを、世界に向けて語っている」。

8:27彼らは、イエスが父について話しておられることを理解しなかった。

8:28そこでイエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げたとき、『私である』と分かるだろう。また、私は自分からは何もせず、父が教えてくださったとおりに語っていることも分かるだろう。

8:29私を遣わした方は、私と共におられる。その方は私を一人にしておかれなかった。私はいつも、その方の喜ばれることを行っているからである」。

8:30イエスがこれらのことを語られると、多くの人々がイエスを信じた。

8:31そこでイエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたが私の言葉の内にとどまるなら、本当に私の弟子である。72

8:32あなたがたは真理を知り、真理があなたがたを自由にする」。

8:33彼らは答えた。「私たちはアブラハムの子孫だ。今まで誰の奴隷になったこともない。どうして、『自由になる』などと言うのか」。

8:34イエスは答えられた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。罪を行う者は皆、罪の奴隷である。

8:35奴隷はいつまでも家にとどまるわけではないが、子はいつまでもとどまる。

8:36だから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になる。

8:37あなたがたがアブラハムの子孫であることは知っている。しかし、あなたがたは私を殺そうとしている。私の言葉が、あなたがたの内に場所を得ないからである。

8:38私は父のもとで見たことを語っている。そして、あなたがたも父から聞いたことを行っている」。73

8:39彼らは答えた。「私たちの父はアブラハムだ」。イエスは言われた。「アブラハムの子どもであるなら、アブラハムの業を行っているはずだ。

8:40しかし今、あなたがたは私を殺そうとしている。神から聞いた真理をあなたがたに語ってきた一人の人間である、この私を。アブラハムはそのようなことをしなかった。

8:41あなたがたは、自分たちの父の業を行っている」。彼らは言った。「私たちは淫行によって生まれたのではない。私たちの父は一人、神である」。

8:42イエスは言われた。「神があなたがたの父であるなら、あなたがたは私を愛していただろう。私は神のもとから出て、ここに来ているからである。自分から来たのではない。神が私を遣わされたのだ。

8:43なぜ私の話が分からないのか。私の言葉に耳を傾けることができないからだ。

8:44あなたがたは、自分たちの父である悪魔から出た者であり、その父の欲望を行おうとしている。あの者は初めから人殺しであり、真理の内に立っていない。その内に真理がないからである。偽りを語るとき、自分自身から語る。偽り者であり、偽りの父だからである。74

8:45しかし私は真理を語るので、あなたがたは私を信じない。

8:46あなたがたのうち、誰が私に罪があると立証できるか。私が真理を語っているなら、なぜ私を信じないのか。

8:47神から出た者は、神の言葉を聞く。あなたがたが聞かないのは、神から出た者ではないからである」。

8:48ユダヤ人たちは答えた。「あなたはサマリア人で、悪霊に取りつかれていると、私たちが言うのは正しいではないか」。

8:49イエスは答えられた。「私は悪霊に取りつかれてはいない。私は父を敬っているが、あなたがたは私を辱めている。

8:50私は自分の栄光を求めない。それを求め、裁いてくださる方がおられる。

8:51確かに、確かに、あなたがたに言う。私の言葉を守る者は、永遠に決して死を見ることがない」。

8:52ユダヤ人たちは言った。「今こそ、あなたが悪霊に取りつかれていると分かった。アブラハムも預言者たちも死んだ。それなのに、あなたは『私の言葉を守る者は、永遠に決して死を味わうことがない』と言う。

8:53まさかあなたは、死んだ私たちの父アブラハムより偉いわけではあるまい。預言者たちも死んだ。自分を何者にしようとしているのか」。

8:54イエスは答えられた。「私が自分に栄光を与えるなら、その栄光は何でもない。私に栄光を与えるのは私の父である。あなたがたが『私たちの神だ』と言っている方だ。

8:55しかし、あなたがたはその方を知らない。私はその方を知っている。もし私が、その方を知らないと言えば、あなたがたと同じ偽り者になる。しかし私はその方を知り、その言葉を守っている。

8:56あなたがたの父アブラハムは、私の日を見ることを喜び望んだ。そして、見て喜んだ」。

8:57ユダヤ人たちは言った。「あなたはまだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」。

8:58イエスは言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。アブラハムが存在するに至る前から、私はある」。75

8:59そこで彼らは、イエスに投げつけようと石を拾った。しかしイエスは身を隠し、神殿の境内から出て行かれた。

第9章

9:1イエスは通りがかりに、生まれつき目の見えない人をご覧になった。

9:2弟子たちは尋ねた。「ラビ、この人が目の見えない者として生まれたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか、それとも両親ですか」。

9:3イエスは答えられた。「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。この人のうちに神の業が現れるためである。76

9:4昼の間に、私たちは、私を遣わした方の業を行わなければならない。誰も働くことのできない夜が来る。

9:5私が世界にいる間、私は世界の光である」。

9:6こう言って、イエスは地面に唾を吐き、その唾で泥を作り、彼の目に塗って、

9:7言われた。「シロアムの池へ行って洗いなさい」。「シロアム」は、訳すと「遣わされた者」である。彼は行って洗い、見えるようになって戻って来た。

9:8近所の人々や、以前彼が物乞いをしていたのを見ていた人々は言った。「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」。

9:9「その人だ」と言う者も、「違うが、似ている」と言う者もいた。本人は「私です」と言っていた。

9:10人々は尋ねた。「どうして目が開いたのか」。

9:11彼は答えた。「イエスという人が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムへ行って洗いなさい』と言われました。そこで行って洗ったら、見えるようになりました」。

9:12人々は言った。「その人はどこにいるのか」。彼は「知りません」と言った。

9:13人々は、以前目の見えなかった彼を、ファリサイ派の人々のもとへ連れて行った。

9:14イエスが泥を作り、彼の目を開かれた日は、安息日であった。

9:15そこでファリサイ派の人々も、再び、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は答えた。「あの方が私の目に泥をのせ、私は洗いました。そして見えるのです」。

9:16ファリサイ派のうち、ある者たちは言った。「その人は神のもとから来た者ではない。安息日を守らないからだ」。ほかの者たちは言った。「罪人に、どうしてこのようなしるしが行えるだろう」。こうして彼らの間に分裂があった。

9:17そこで彼らは、再び彼に言った。「目を開けてもらったお前は、あの者をどう思うのか」。彼は答えた。「預言者です」。

9:18ユダヤ人たちは、彼が以前は目が見えず、今は見えるようになったとは信じず、ついに、見えるようになったその人の両親を呼び寄せ、

9:19尋ねた。「これは、お前たちが生まれつき目が見えないと言っている息子か。それなら、どうして今は見えるのか」。

9:20両親は答えた。「これが私たちの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。

9:21しかし、どうして今は見えるのか、誰が目を開けたのか、私たちは知りません。本人にお尋ねください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう」。

9:22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちはすでに、イエスをキリストと告白する者は会堂から追放する、と申し合わせていた。77

9:23だから両親は、「もう大人です。本人にお尋ねください」と言ったのである。

9:24そこで彼らは、以前目の見えなかった人をもう一度呼んで言った。「神に栄光を帰せ。あの者が罪人だということは、我々は知っている」。78

9:25彼は答えた。「罪人かどうかは知りません。一つだけ知っています。私は目が見えなかったのに、今は見えるのです」。

9:26彼らは言った。「お前に何をしたのか。どうやって目を開けたのか」。

9:27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださらなかったではありませんか。なぜまた聞きたいのですか。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか」。

9:28彼らは彼をののしって言った。「お前こそあの者の弟子だ。我々はモーセの弟子だ。

9:29神がモーセに語られたことは知っている。しかし、あの者がどこから来たかは知らない」。

9:30その人は答えた。「そこが不思議なのです。あの方は私の目を開けてくださったのに、どこから来られたか、あなたがたには分からないのですから。

9:31神は罪人の言うことはお聞きにならず、神を敬い、その御心を行う人の言うことをお聞きになる。私たちはそのことを知っています。79

9:32生まれつき目の見えない人の目を、誰かが開けたなどということは、世の始まり以来、聞いたことがありません。

9:33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何一つできなかったはずです」。

9:34彼らは答えた。「全く罪の中で生まれたお前が、我々を教えるのか」。そして彼を外へ追い出した。

9:35イエスは、彼が追い出されたと聞き、彼を見つけて言われた。「あなたは人の子を信じるか」。80

9:36彼は答えた。「先生、私がその方を信じられるように、どなたなのか教えてください」。

9:37イエスは言われた。「あなたはもう、その者を見ている。あなたと話している者が、その者である」。

9:38彼は「主よ、信じます」と言い、イエスにひれ伏した。

9:39イエスは言われた。「私は裁きのためにこの世界に来た。見えない者が見えるようになり、見える者が見えなくなるためである」。

9:40イエスと共にいたファリサイ派の人々のうち、これを聞いた者たちが言った。「我々まで目が見えないというのか」。

9:41イエスは言われた。「もしあなたがたが見えない者だったなら、罪はないはずだ。しかし今、あなたがたは『見える』と言っている。あなたがたの罪は残る」。81

第10章

10:1「確かに、確かに、あなたがたに言う。門を通らず、ほかの所を乗り越えて羊の囲いに入る者は、盗人であり強盗である。

10:2門を通って入る者は、羊の牧者である。

10:3門番はこの者のために門を開く。羊たちはその声を聞く。牧者は自分の羊を一匹ずつ名で呼び、外へ連れ出す。

10:4自分の羊をすべて外へ出すと、その先を歩く。羊たちはその声を知っているので、ついて行く。

10:5しかし、よその者には決してついて行かず、その者から逃げる。よその者たちの声を知らないからである」。

10:6イエスはこのたとえを語られたが、人々は、何について話しておられるのか分からなかった。

10:7そこでイエスは再び言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。私が羊の門である。

10:8私より前に来た者は皆、盗人であり強盗である。しかし、羊たちは彼らに耳を貸さなかった。82

10:9私が門である。私を通って入る者は救われ、出入りして牧草を見つける。

10:10盗人が来るのは、盗み、屠り、滅ぼすためだけである。私が来たのは、羊たちが命を持ち、それを豊かに持つためである。

10:11私が良い牧者である。良い牧者は、羊たちのために自分の命を差し出す。83

10:12雇い人は牧者ではなく、羊も自分のものではないので、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。そして狼は羊を奪い、散らす。

10:13彼は雇い人で、羊のことを気にかけていないからである。

10:14私が良い牧者である。私は自分の羊を知り、私の羊も私を知っている。

10:15父が私を知り、私が父を知っているように。そして私は、羊たちのために自分の命を差し出す。

10:16私には、この囲いに属さない羊もいる。その羊たちも導かなければならない。その羊たちも私の声を聞くようになる。こうして、一つの群れ、一人の牧者となる。84

10:17父が私を愛されるのは、私が再び命を受け取るために、自分の命を差し出すからである。

10:18誰も私から命を奪うのではない。私は自分からそれを差し出す。私にはそれを差し出す権限があり、再び受け取る権限もある。この命令を私は父から受けた」。

10:19これらの言葉のために、ユダヤ人たちの間に再び分裂が起こった。

10:20そのうち多くの者は言った。「あの者は悪霊に取りつかれて、おかしくなっている。なぜあの者に耳を貸すのか」。

10:21ほかの者たちは言った。「これは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊に、目の見えない人の目を開くことができるだろうか」。

10:22そのころ、エルサレムでは神殿奉献祭が行われた。冬であった。85

10:23イエスは神殿の境内の、ソロモンの柱廊を歩いておられた。

10:24そこでユダヤ人たちがイエスを取り囲み、言った。「いつまで私たちを気をもませておくのか。キリストなら、はっきりと言ってほしい」。86

10:25イエスは答えられた。「私は言ったのに、あなたがたは信じない。私が父の名によって行う業、それが私について証言している。

10:26しかし、あなたがたは信じない。私の羊に属していないからである。

10:27私の羊は私の声を聞く。私はその羊たちを知り、羊たちは私に従う。

10:28私は羊たちに永遠の命を与える。羊たちは永遠に決して滅びず、誰も羊たちを私の手から奪い取りはしない。

10:29私の父は、私に与えてくださったものに関して、すべてにまさる。誰も父の手から奪い取ることはできない。87

10:30私と父とは一つである」。88

10:31そこでユダヤ人たちは、イエスを石で打とうとして、再び石を取り上げた。

10:32イエスは答えられた。「私は父からの良い業を、あなたがたにたくさん示した。そのどの業のために、私を石で打つのか」。

10:33ユダヤ人たちは答えた。「良い業のために石で打つのではない。冒瀆のためだ。人間でありながら、自分を神としているからだ」。

10:34イエスは答えられた。「あなたがたの律法に、『私は言った。あなたがたは神々である』と記されていないか。89

10:35神の言葉を受けた者たちを神々と呼んでいるのなら――聖書が無効にされることはありえない――、

10:36父が聖別して世界に遣わされた者について、私が『私は神の子である』と言ったからといって、あなたがたは『冒瀆している』と言うのか。

10:37私が父の業を行っていないなら、私を信じてはならない。

10:38しかし、行っているなら、たとえ私を信じなくても、その業を信じなさい。父が私の内におられ、私が父の内にいることを知り、理解を深めるためである」。

10:39彼らは再びイエスを捕らえようとしたが、イエスはその手から逃れられた。

10:40そして再びヨルダン川の向こう岸、ヨハネが初めに洗礼を授けていた所へ行き、そこにとどまられた。

10:41多くの人々がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは一つもしるしを行わなかった。しかし、この方についてヨハネが言ったことは、すべて本当だった」。

10:42そして、そこで多くの人々がイエスを信じた。

第11章

11:1さて、ある人が病んでいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアのラザロである。

11:2このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪でその足をぬぐった人である。その兄弟ラザロが病んでいた。

11:3そこで姉妹たちは、イエスに人を遣わして伝えた。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病んでいます」。

11:4イエスはこれを聞いて言われた。「この病は、死で終わるためではなく、神の栄光のためにある。これによって、神の子が栄光を受けるためである」。

11:5イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。

11:6それで、ラザロが病んでいると聞くと、そのときおられた場所に、なお二日間とどまられた。

11:7その後、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤへ行こう」。

11:8弟子たちは言った。「ラビ、つい先ほどユダヤ人たちはあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」。

11:9イエスは答えられた。「昼は十二時間あるではないか。昼の間に歩く者はつまずかない。この世界の光を見ているからだ。

11:10しかし、夜に歩く者はつまずく。その者の内に光がないからである」。

11:11こう言われた後、さらに言われた。「私たちの友ラザロは眠りについている。私は彼を起こしに行く」。

11:12弟子たちは言った。「主よ、眠っているのなら、助かるでしょう」。

11:13イエスはラザロの死について言われたのだが、弟子たちは、普通の眠りについて言われたのだと思った。

11:14そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだ。

11:15私があそこにいなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。あなたがたが信じるためだ。さあ、彼のもとへ行こう」。

11:16ディディモと呼ばれるトマスは、仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、あの方と共に死のう」。90

11:17イエスが到着されたとき、ラザロはすでに墓に葬られて四日たっていた。

11:18ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどの距離にあった。

11:19大勢のユダヤ人が、兄弟のことでマルタとマリアを慰めようと来ていた。

11:20マルタはイエスが来られると聞いて迎えに出たが、マリアは家で座っていた。

11:21マルタはイエスに言った。「主よ、ここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう。

11:22今でも、あなたが神にお求めになることは何でも、神がお与えになると知っています」。

11:23イエスは言われた。「あなたの兄弟は復活する」。

11:24マルタは言った。「終わりの日の復活のときに復活することは、知っています」。

11:25イエスは言われた。「私が復活であり、命である。私を信じる者は、たとえ死んでも生きる。91

11:26生きていて私を信じる者は皆、永遠に死ぬことがない。このことを信じるか」。

11:27マルタは言った。「はい、主よ。あなたがキリスト、世界に来られる神の子であると、私は信じています」。

11:28こう言うと、マルタは戻って、姉妹マリアをひそかに呼び、「先生がいらして、あなたを呼んでおられます」と言った。

11:29マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がってイエスのもとへ向かった。

11:30イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。

11:31家でマリアと一緒にいて慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がり、外へ出たのを見て、墓に行って泣くのだろうと思い、ついて行った。

11:32マリアはイエスのおられる所に来て、その姿を見ると、足もとにひれ伏して言った。「主よ、ここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう」。

11:33イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見ると、霊において激しく憤り、自らの心を騒がせ、92

11:34言われた。「彼をどこに葬ったのか」。人々は言った。「主よ、来てご覧ください」。

11:35イエスは涙を流された。

11:36ユダヤ人たちは言った。「見なさい、どれほど彼を愛しておられたことか」。

11:37しかし、そのうちのある者たちは言った。「目の見えない人の目を開けたこの人に、彼も死なないようにすることはできなかったのか」。

11:38イエスは再び、内に激しい憤りを覚えながら、墓へ来られた。それは洞穴で、そこに石が当てられていた。

11:39イエスは言われた。「石を取りのけなさい」。死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ、もうにおいます。四日もたっていますから」。

11:40イエスは言われた。「信じるなら神の栄光を見ると、あなたに言ったではないか」。

11:41人々は石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、私の願いを聞いてくださったことを感謝します。

11:42あなたがいつも私の願いを聞いてくださることは、知っていました。しかし、周りに立つ群衆のために、こう言いました。あなたが私を遣わされたと、彼らが信じるためです」。

11:43こう言って、大声で叫ばれた。「ラザロ、外へ出て来なさい」。

11:44死んでいた人が、手足を布で巻かれたまま出て来た。顔も布で包まれていた。イエスは人々に言われた。「ほどいて、行かせなさい」。

11:45そこで、ユダヤ人のうち多くの者がイエスを信じた。彼らは、マリアのもとに来て、イエスのなさったことを見た人々であった。

11:46しかし、中にはファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを知らせる者たちもいた。

11:47そこで祭司長たちとファリサイ派の人々は、議会を集めて言った。「どうするのか。この者は多くのしるしを行っている。

11:48このままにしておけば、皆があの者を信じるだろう。そしてローマ人が来て、我々の場所も民族も、共に奪い去るだろう」。93

11:49その年の大祭司であった、彼らの一人カイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。

11:50一人の人間が民のために死に、民族全体が滅びない方が、あなたがたにとって得策だということも考えないのか」。

11:51彼はこれを自分から言ったのではない。その年の大祭司として、イエスが民族のために死ぬことになっていることを預言したのである。

11:52しかも、その民族のためだけでなく、散らされている神の子どもたちを一つに集めるためでもあった。

11:53そこで彼らは、その日からイエスを殺すことを計画した。

11:54そのためイエスは、もはやユダヤ人たちの間を公然とは歩かず、そこを去って、荒れ野に近い地方のエフライムという町へ行き、弟子たちと共にそこにとどまられた。

11:55ユダヤ人の過越祭が近づき、多くの人々が、自分を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った。

11:56彼らはイエスを捜し、神殿の境内に立って互いに言った。「どう思うか。あの人は祭りに来ないのだろうか」。

11:57祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるため、居場所を知った者は知らせるようにと命じていた。

第12章

12:1過越祭の六日前に、イエスはベタニアへ来られた。そこには、イエスが死者の中から起こされたラザロがいた。

12:2人々はそこでイエスのために夕食を用意した。マルタが給仕し、ラザロも、イエスと共に食卓に着いている人々の一人であった。

12:3マリアは、高価な純粋のナルドの香油を一リトラ取り、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。94

12:4弟子の一人で、イエスを引き渡そうとしていたイスカリオテのユダが言った。

12:5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」。

12:6彼がこう言ったのは、貧しい人々を気にかけていたからではない。彼は盗人で、金入れを預かり、その中に入れられるものを持ち去っていたからである。

12:7イエスは言われた。「彼女をそのままにしておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておくように。95

12:8貧しい人々は、いつもあなたがたと共にいる。しかし私は、いつも共にいるわけではない」。

12:9大勢のユダヤ人たちが、イエスがそこにおられると知ってやって来た。イエスのためだけでなく、イエスが死者の中から起こされたラザロを見るためでもあった。

12:10祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。

12:11ラザロのために、多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになっていたからである。96

12:12翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、

12:13なつめやしの枝を取って出迎えに行き、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方、すなわちイスラエルの王に祝福あれ」。97

12:14イエスは子ろばを見つけ、その上に乗られた。こう記されているとおりである。

12:15「恐れるな、娘シオンよ。見よ、あなたの王が来る。ろばの子に乗って」。98

12:16弟子たちは初め、これらのことが分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられたとき、これらがイエスについて記されていたこと、また人々がイエスにそのようにしたことを思い出した。

12:17イエスがラザロを墓から呼び出し、死者の中から起こされたとき、一緒にいた群衆は、そのことを証言していた。

12:18群衆がイエスを出迎えたのも、このしるしを行われたと聞いたからである。

12:19ファリサイ派の人々は互いに言った。「見なさい、あなたがたは何の成果も上げていないではないか。見よ、世界があの者について行ってしまった」。

12:20祭りで礼拝するために上って来た人々の中に、ギリシア人が幾人かいた。

12:21この人々は、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとに来て頼んだ。「先生、イエスにお会いしたいのです」。

12:22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポが来てイエスに伝えた。

12:23イエスは答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来た。

12:24確かに、確かに、あなたがたに言う。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、ただ一粒のままである。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。

12:25自分の命を愛する者はそれを失う。この世界で自分の命を憎む者は、それを守って永遠の命に至る。99

12:26私に仕える者は、私に従いなさい。私のいる所には、私に仕える者もいることになる。私に仕える者を、父は尊んでくださる。

12:27今、私の心は揺れ動いている。何と言おうか。『父よ、私をこの時から救ってください』。しかし、このためにこそ、私はこの時へ来たのだ。100

12:28父よ、あなたの名の栄光を現してください」。すると天から声がした。「私はすでに栄光を現した。再び栄光を現す」。

12:29そばに立って聞いていた群衆は、雷が鳴ったと言った。ほかの人々は、「天使があの方に語りかけた」と言った。

12:30イエスは答えられた。「この声がしたのは、私のためではなく、あなたがたのためである。

12:31今、この世界が裁かれる。今、この世界の支配者は外へ追い出される。

12:32そして私が地から上げられるなら、すべての人を自分のもとへ引き寄せる」。

12:33こう言って、ご自分がどのような死を遂げようとしているかを示されたのである。

12:34群衆は答えた。「私たちは律法から、キリストは永遠にとどまると聞きました。それなのに、どうしてあなたは、人の子は上げられなければならないと言うのですか。その人の子とは、誰なのですか」。

12:35イエスは言われた。「光は、もうしばらくあなたがたの間にある。あなたがたが光を持っている間に歩きなさい。闇に捕らえられないように。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くか分からない。

12:36あなたがたが光を持っている間に光を信じなさい。光の子らとなるためである」。イエスはこれらのことを語ると、立ち去って、人々から身を隠された。

12:37イエスがこれほど多くのしるしを彼らの前で行われたのに、彼らは信じなかった。

12:38預言者イザヤが言った言葉が満たされるためであった。「主よ、私たちの知らせを誰が信じたでしょうか。主の腕は、誰に明らかにされたでしょうか」。101

12:39このため、彼らは信じることができなかった。イザヤがまたこう言ったからである。

12:40「その方は、彼らの目を見えなくし、心を頑なにされた。彼らが目で見、心で悟り、立ち返ることのないように。そして私が彼らを癒やすことのないように」。102

12:41イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであり、イエスについて語ったのである。

12:42それでも、指導者たちの中にも、イエスを信じた者は多かった。しかし、ファリサイ派の人々のために、公には告白しなかった。会堂から追放されないためである。

12:43神からの誉れよりも、人間からの誉れを愛したのである。

12:44イエスは声を張り上げて言われた。「私を信じる者は、私ではなく、私を遣わした方を信じるのである。

12:45私を見る者は、私を遣わした方を見るのである。

12:46私は光として世界に来た。私を信じる者が誰も闇の中にとどまらないためである。

12:47私の言葉を聞いて守らない者がいても、私はその者を裁かない。私は世界を裁くためではなく、救うために来たからである。

12:48私を拒み、私の言葉を受け入れない者には、その者を裁くものがある。私が語った言葉、それが終わりの日にその者を裁く。

12:49私は自分から語ったのではなく、私を遣わした父ご自身が、何を言い、何を語るべきかを、私に命じられたからである。

12:50私は、その方の命令が永遠の命であると知っている。だから、私が語ることは、父が私に言われたとおりに語っているのである」。

第13章

13:1過越祭の前、イエスは、この世界から父のもとへ移るご自分の時が来たことを知り、世界にいるご自分の者たちを愛してこられたが、その者たちを最後まで愛し抜かれた。103

13:2夕食の最中であった。悪魔はすでに、イスカリオテのシモンの子ユダがイエスを引き渡すという思いを、心に投げ込んでいた。104

13:3イエスは、父がすべてをご自分の手に与えられたこと、またご自分が神のもとから出て、神のもとへ帰ることを知り、

13:4夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれた。

13:5それから、たらいに水を注ぎ、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでぬぐい始められた。

13:6シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは言った。「主よ、あなたが私の足を洗うのですか」。

13:7イエスは答えられた。「私のしていることは、今は分からないが、後で分かるようになる」。

13:8ペトロは言った。「決して私の足を洗わないでください」。イエスは答えられた。「私があなたを洗わなければ、あなたは私と何の分け前も持てない」。

13:9シモン・ペトロは言った。「主よ、それなら足だけでなく、手も頭もお願いします」。

13:10イエスは言われた。「体を洗った者は、足のほかには洗う必要がなく、全身は清い。あなたがたも清い。しかし、皆がそうなのではない」。105

13:11イエスは、ご自分を引き渡す者を知っておられた。それで、「皆が清いのではない」と言われたのである。

13:12弟子たちの足を洗い終えると、イエスは上着を着て、席に着き、改めて言われた。「私があなたがたにしたことが分かるか。

13:13あなたがたは私を『先生』、『主』と呼ぶ。それは正しい。私はそうなのだから。

13:14主であり先生である私が、あなたがたの足を洗ったのなら、あなたがたも互いに足を洗うべきである。

13:15私があなたがたにしたように、あなたがたも行うため、私は模範を示したのだ。

13:16確かに、確かに、あなたがたに言う。奴隷は主人より偉くはなく、遣わされた者は遣わした者より偉くはない。

13:17これらのことが分かっているなら、それを行うとき、あなたがたは幸いである。

13:18私は、あなたがた全員について言っているのではない。誰を選んだか、私は知っている。しかし、『私のパンを食べる者が、私に向かってかかとを上げた』という聖書の言葉が満たされるためである。106

13:19事が起こる前に、今からあなたがたに言っておく。起こったときに、『私である』と、あなたがたが信じるためである。

13:20確かに、確かに、あなたがたに言う。私が遣わすのが誰であれ、その者を受け入れる人は私を受け入れる。そして、私を受け入れる人は、私を遣わした方を受け入れる」。

13:21こう言われると、イエスは霊において心を揺さぶられ、証言して言われた。「確かに、確かに、あなたがたに言う。あなたがたの一人が私を引き渡す」。

13:22弟子たちは、誰のことを言っておられるのか分からず、互いに顔を見合わせた。

13:23弟子の一人で、イエスが愛しておられた者が、イエスの胸もとに身を寄せる位置で食事をしていた。107

13:24シモン・ペトロはこの弟子に合図して、誰のことを言っておられるのか尋ねるよう促した。

13:25その弟子はそのままイエスの胸に寄りかかり、「主よ、誰ですか」と言った。

13:26イエスは答えられた。「私が一口のパンを浸して与える者だ」。そしてパンを浸すと、イスカリオテのシモンの子ユダに与えられた。

13:27そのパンを受け取った後、そのときサタンがユダに入った。イエスは言われた。「しようとしていることを、早くしなさい」。

13:28しかし、食卓に着いていた者のうち誰も、なぜそう言われたか分からなかった。

13:29ユダが金入れを預かっていたので、ある者たちは、イエスが「祭りに必要なものを買いなさい」と言われたのか、あるいは貧しい人々に何か施すように言われたのかと思った。

13:30ユダはパンを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。

13:31ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今、人の子は栄光を受け、神も人の子において栄光を受けられた。

13:32神が人の子において栄光を受けられたのなら、神もご自分の内で人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐに栄光をお与えになる。

13:33子どもたちよ、私はもうしばらく、あなたがたと共にいる。あなたがたは私を捜すだろう。ユダヤ人たちに『私の行く所に、あなたがたは来ることができない』と言ったように、今、あなたがたにも言う。

13:34新しい命令を、あなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

13:35あなたがたが互いの間に愛を持つなら、それによってすべての人は、あなたがたが私の弟子であると知る」。

13:36シモン・ペトロは言った。「主よ、どこへ行かれるのですか」。イエスは答えられた。「私の行く所に、あなたは今はついて来られない。しかし後で、ついて来ることになる」。

13:37ペトロは言った。「主よ、なぜ今はついて行けないのですか。あなたのためなら、自分の命を差し出します」。

13:38イエスは答えられた。「私のために命を差し出すというのか。確かに、確かに、あなたに言う。鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を否む」。

第14章

14:1「心を騒がせてはならない。神を信じなさい。そして私をも信じなさい。108

14:2私の父の家には、住まいが多くある。そうでなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと、あなたがたに言っただろうか。109

14:3行って、あなたがたのために場所を用意したら、私は再び来て、あなたがたを自分のもとに迎える。私のいる所に、あなたがたもいるためである。

14:4私の行く所への道を、あなたがたは知っている」。

14:5トマスは言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちは知りません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」。

14:6イエスは言われた。「私が道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとへ来ることはない。

14:7私を知っていたなら、私の父をも知っていただろう。今からは、あなたがたはその方を知っている。そして、その方をすでに見ている」。

14:8フィリポは言った。「主よ、私たちに父をお示しください。それで十分です」。

14:9イエスは言われた。「フィリポ、これほど長くあなたがたと一緒にいるのに、私を知らないのか。私を見た者は父を見たのだ。どうして、『私たちに父をお示しください』と言うのか。

14:10私が父の内におり、父が私の内におられると、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、自分から語っているのではない。一方、私の内にとどまっておられる父が、ご自分の業を行っておられる。

14:11私が父の内におり、父が私の内におられることを、私の言うとおりに信じなさい。そうでなければ、業そのもののゆえに信じなさい。

14:12確かに、確かに、あなたがたに言う。私を信じる者は、私が行う業をその者も行い、それよりも大きな業を行う。私が父のもとへ行くからである。

14:13あなたがたが私の名によって求めることは、何でも私が行う。父が子の内で栄光を受けるためである。

14:14あなたがたが私の名によって何かを私に求めるなら、私がそれを行う。110

14:15あなたがたが私を愛するなら、私の命令を守るだろう。

14:16そして私は父に願う。父は別の援助者をあなたがたにお与えになる。その方が永遠にあなたがたと共にいるためである。111

14:17それは真理の霊である。世界は、その霊を見ず、知りもしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたは知っている。その霊はあなたがたのもとにとどまり、あなたがたの内にいることになるからである。

14:18私はあなたがたを孤児のままにはしておかない。あなたがたのもとに来る。

14:19もうしばらくすると、世界はもはや私を見なくなるが、あなたがたは私を見る。私が生きており、あなたがたも生きるからである。112

14:20その日には、私が私の父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることを、あなたがたは知る。

14:21私の命令を受けて守る者、その者が私を愛する者である。私を愛する者は、私の父に愛され、私もその者を愛し、その者に自分自身を示す」。

14:22イスカリオテではないユダが言った。「主よ、どういうわけで、世界にではなく、私たちにご自分を示そうとなさるのですか」。

14:23イエスは答えられた。「誰かが私を愛するなら、その人は私の言葉を守るだろう。そして私の父はその者を愛し、私たちはその者のもとに来て、その者のもとに住まいを定める。113

14:24私を愛さない者は私の言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、私のものではなく、私を遣わした父のものである。

14:25私はあなたがたのもとにとどまっている間に、これらのことを話した。

14:26しかし援助者、すなわち父が私の名によって遣わされる聖霊は、あなたがたにすべてを教え、私が話したことをすべて思い起こさせてくださる。

14:27私は平和をあなたがたに残す。私の平和をあなたがたに与える。世界が与えるように、私は与えるのではない。心を騒がせてはならない。おじけづいてもならない。

14:28『私は去って行き、またあなたがたのもとに来る』と私が言ったのを、あなたがたは聞いた。私を愛していたなら、私が父のもとへ行くことを喜んだだろう。父は私より大きな方だからである。114

14:29事が起こる前に、今、あなたがたに話した。起こったときに、あなたがたが信じるためである。

14:30私はもう、あなたがたと多くは語らない。この世界の支配者が来るからである。しかし、その者は私に対して何も持っていない。115

14:31むしろ、私が父を愛していることを世界が知るために、父が私に命じられたとおりに、私は行う。立ちなさい。ここから行こう」。

第15章

15:1「私が真のぶどうの木であり、私の父は農夫である。

15:2私の内にある枝で実を結ばないものはどれも、父が取り除かれる。父は、実を結ぶ枝をどれも、もっと多くの実を結ぶように手入れして清めてくださる。116

15:3私があなたがたに語った言葉のゆえに、あなたがたはすでに清い。

15:4私の内にとどまりなさい。私もあなたがたの内にとどまる。枝がぶどうの木にとどまらなければ、自分では実を結べないように、あなたがたも私の内にとどまらなければ、実を結べない。

15:5私がぶどうの木、あなたがたは枝である。私の内にとどまり、私もその者の内にとどまるなら、その者は多くの実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もすることができないからである。

15:6私の内にとどまらない者は、枝のように外へ投げ出されて枯れる。そうした枝は集められ、火に投げ込まれて焼かれる。

15:7あなたがたが私の内にとどまり、私の言葉があなたがたの内にとどまるなら、望むことを求めなさい。それは、あなたがたのために実現する。

15:8あなたがたが多くの実を結び、私の弟子となることによって、私の父は栄光をお受けになる。

15:9父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛の内にとどまりなさい。

15:10私の命令を守るなら、あなたがたは私の愛の内にとどまる。私が父の命令を守り、その愛の内にとどまっているように。

15:11これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満ちるためである。

15:12私の命令はこれである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

15:13友のために自分の命を差し出すこと、これより大きな愛を持つ者はいない。

15:14私が命じることを行うなら、あなたがたは私の友である。

15:15私はもう、あなたがたを奴隷とは呼ばない。奴隷は主人が何をするか知らないからである。一方、あなたがたを友と呼んできた。父から聞いたことをすべて、あなたがたに知らせたからである。

15:16あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選び、任命した。あなたがたが行って実を結び、その実が残るためである。また、私の名によって父に求めることを、何でも父が与えてくださるためである。

15:17あなたがたが互いに愛し合うために、これらのことを命じる。

15:18世界があなたがたを憎むなら、あなたがたより先に私を憎んだことを知りなさい。

15:19もしあなたがたが世界に属していたなら、世界は自分のものを愛していたはずだ。しかし、あなたがたは世界に属していない。私が世界からあなたがたを選び出した。それゆえ、世界はあなたがたを憎む。

15:20『奴隷は主人より偉くはない』と私が言った言葉を思い出しなさい。人々が私を迫害したなら、あなたがたをも迫害する。私の言葉を守ったなら、あなたがたの言葉も守るだろう。

15:21しかし、人々は私の名のゆえに、あなたがたにこれらすべてのことをする。私を遣わした方を知らないからである。

15:22私が来て彼らに話すことがなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今、自分たちの罪について言い訳はできない。

15:23私を憎む者は、私の父をも憎む。

15:24ほかの誰もしなかった業を私が彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかっただろう。しかし今、彼らは見たうえで、私も私の父も憎んだ。117

15:25これは、彼らの律法に記されている『彼らは理由もなく私を憎んだ』という言葉が満たされるためである。118

15:26私が父のもとからあなたがたに遣わす援助者、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方が私について証言してくださる。

15:27あなたがたも証言する。初めから私と共にいるからである。

第16章

16:1これらのことを話したのは、あなたがたがつまずかないためである。

16:2人々はあなたがたを会堂から追放する。それどころか、あなたがたを殺す者が皆、それによって神に奉仕をささげていると思う時が来る。

16:3人々がこのようなことをするのは、父も私も知るに至っていないからである。

16:4しかし、これらのことを話したのは、それらのことの時が来たとき、それらについて私があなたがたに話しておいたことを思い出すためである。初めからこれらのことを話さなかったのは、私があなたがたと共にいたからだ。

16:5今、私は私を遣わした方のもとへ行く。それなのに、あなたがたのうち誰も、『どこへ行くのか』と私に尋ねない。119

16:6むしろ、私がこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっている。

16:7しかし、私は真実を言う。私が去ることは、あなたがたのためになる。私が去らなければ、援助者は決してあなたがたのもとに来ないからである。しかし、私が行くなら、その方をあなたがたのもとに遣わす。

16:8その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、世界の誤りを明らかにしてくださる。120

16:9罪についてとは、人々が私を信じないからである。

16:10義についてとは、私が父のもとへ行き、あなたがたがもはや私を見なくなるからである。

16:11裁きについてとは、この世界の支配者がすでに裁かれているからである。

16:12あなたがたに言うべきことは、まだたくさんある。しかし今、あなたがたはそれを担えない。

16:13けれど、その方、真理の霊が来ると、あなたがたを真理の全体の中で導いてくださる。その方は自分から語るのではなく、聞くことをすべて語るからである。また、来るべきことをあなたがたに知らせてくださる。

16:14その方は私の栄光を現してくださる。私のものを受け取り、あなたがたに知らせてくださるからである。

16:15父が持っておられるものは、すべて私のものである。それゆえ、その方は私のものを受け取り、あなたがたに知らせると言ったのである。

16:16もうしばらくすると、あなたがたはもはや私を見なくなる。そして、またしばらくすると、私を見るようになる」。

16:17弟子たちのうち何人かは互いに言った。「『しばらくすると、私を見なくなる。そして、またしばらくすると、私を見るようになる』とか、『父のもとへ行くからだ』とか、私たちに言われるのは、どういう意味だろう」。

16:18そして言っていた。「『しばらく』と言われるのは何のことだろう。何を話しておられるのか分からない」。

16:19イエスは、弟子たちが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、私を見なくなる。そして、またしばらくすると、私を見るようになる』と言ったことで、互いに論じ合っているのか。

16:20確かに、確かに、あなたがたに言う。あなたがたは泣いて嘆くが、世界は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

16:21女が子を産むときは、苦しみを抱く。自分の時が来たからである。しかし、子を産むと、一人の人間が世界に生まれた喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。121

16:22あなたがたも今は悲しみを抱いている。しかし、私は再びあなたがたを見る。そして、あなたがたの心は喜び、その喜びを誰も奪うことはない。

16:23その日には、あなたがたは私に何も尋ねない。確かに、確かに、あなたがたに言う。あなたがたが父に何かを求めるなら、父は私の名によって、あなたがたに与えてくださる。122

16:24今まで、あなたがたは私の名によって何も求めなかった。求めなさい。そうすれば受ける。あなたがたの喜びが満ちるためである。

16:25これらのことを、私はたとえで話した。もはやたとえで話さず、父についてはっきりとあなたがたに告げる時が来る。

16:26その日には、あなたがたは私の名によって求める。あなたがたのために私が父に願う、と言っているのではない。

16:27父ご自身があなたがたを愛しておられるからである。それは、あなたがたが私を愛し、私が神のもとから出て来たと信じてきたからである。

16:28私は父のもとから出て、世界に来た。そして再び世界を離れ、父のもとへ行く」。

16:29弟子たちは言った。「今こそ、はっきりと語っておられます。何もたとえでは話されません。

16:30今、私たちは分かりました。あなたはすべてをご存じで、誰かがあなたにお尋ねする必要もありません。このことから、あなたが神のもとから出て来られたと信じます」。

16:31イエスは答えられた。「今、信じるというのか。

16:32見よ、あなたがたがそれぞれ自分のところへ散らされ、私を一人だけ残す時が来る。すでに来ている。しかし私は一人ではない。父が私と共におられるからである。

16:33これらのことを話したのは、あなたがたが私の内にあって平和を持つためである。世界にあって、あなたがたには苦難がある。しかし、勇気を持ちなさい。私は世界に勝っている」。

第17章

17:1イエスはこれらのことを語り、目を天に向けて言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子に栄光をお与えください。子があなたの栄光を現すためです。

17:2あなたがすべての人間に対する権限を子にお与えになったのですから。それは、あなたが子に与えてくださったすべての者に、子が永遠の命を与えるためです。123

17:3永遠の命とは、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。

17:4私は、あなたが行うように与えてくださった業を成し遂げ、地上であなたの栄光を現しました。

17:5今、父よ、世界が存在する前に、私があなたのもとで持っていた栄光をもって、あなたご自身のもとで私に栄光をお与えください。

17:6私は、あなたが世界の中から私に与えてくださった人々に、あなたの名を現しました。この人々はあなたのものでした。そして、あなたは彼らを私に与えてくださいました。そして、この人々はあなたの言葉を守ってきました。

17:7今、この人々は、あなたが私に与えてくださったものが、すべてあなたから来ていると知っています。

17:8あなたが私に与えてくださった言葉を、私がこの人々に与えたからです。この人々はそれを受け入れ、私があなたのもとから出て来たことを本当に知り、あなたが私を遣わされたと信じました。

17:9私はこの人々のために願います。世界のためではなく、あなたが私に与えてくださった人々のために願います。この人々は、あなたのものだからです。

17:10私のものはすべてあなたのもの、あなたのものは私のものです。そして私は、この人々の内に栄光を受けています。

17:11私はもう世界にいませんが、この人々は世界にいます。私はあなたのもとへ参ります。聖なる父よ、私に与えてくださったあなたの名によって、この人々をお守りください。私たちのように、一つになるためです。124

17:12私がこの人々と共にいたときには、私に与えてくださったあなたの名によって守っていました。私はこの人々を守り抜き、滅びの子のほかには、一人も滅びませんでした。聖書が満たされるためです。125

17:13今、私はあなたのもとへ参ります。世界にあってこれらのことを語るのは、この人々の内で私の喜びが満たされるためです。

17:14私はこの人々に、あなたの言葉を与えました。しかし、世界はこの人々を憎みました。私が世界に属さないように、この人々も世界に属さないからです。

17:15私が願うのは、この人々を世界から取り去ることではなく、悪い者から守っていただくことです。126

17:16私が世界に属さないように、この人々も世界に属していません。

17:17真理によって、この人々を聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。127

17:18あなたが私を世界に遣わされたように、私もこの人々を世界に遣わしました。

17:19私はこの人々のために、自分自身を聖なるものとします。この人々も、真理によって聖なる者とされるためです。

17:20私は、この人々のためだけでなく、この人々の言葉を通して私を信じる者たちのためにも願います。

17:21彼らが皆、一つになるためです。父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、彼らも私たちの内にいるためです。そして、あなたが私を遣わされたと、世界が信じるためです。128

17:22あなたが私に与えてくださった栄光を、私はこの人々に与えました。私たちが一つであるように、この人々も一つになるためです。

17:23私がこの人々の内におり、あなたが私の内におられ、この人々が完全に一つにされるためです。そして、あなたが私を遣わされたこと、また私を愛されたように、この人々をも愛されたことを、世界が知るためです。

17:24父よ、あなたが私に与えてくださった人々も、私のいる所で私と共にいることを、私は望みます。世界の基が据えられる前から私を愛してくださったゆえに、あなたが私に与えてくださった私の栄光を、この人々が見るためです。

17:25正しい父よ、世界はあなたを知りませんでしたが、私はあなたを知っていました。そして、この人々は、あなたが私を遣わされたことを知りました。

17:26私はこの人々にあなたの名を知らせました。これからも知らせます。あなたが私を愛されたその愛が、この人々の内にあり、私もこの人々の内にいるためです」。

第18章

18:1これらのことを語ると、イエスは弟子たちと共に、キドロンの谷川の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちはその中に入った。

18:2イエスを引き渡すユダも、その場所を知っていた。イエスは弟子たちと共に、たびたびそこに集まっておられたからである。

18:3そこでユダは、兵士の一隊と、祭司長たちおよびファリサイ派からの下役たちを率い、ともし火と松明と武器を携えて、そこへ来た。129

18:4イエスは、ご自分に起ころうとしていることをすべて知り、進み出て言われた。「誰を捜しているのか」。

18:5彼らは答えた。「ナザレのイエスだ」。イエスは言われた。「私である」。イエスを引き渡すユダも、彼らと共に立っていた。130

18:6イエスが「私である」と言われると、彼らは後ずさりし、地面に倒れた。

18:7イエスは再び尋ねられた。「誰を捜しているのか」。彼らは言った。「ナザレのイエスだ」。

18:8イエスは答えられた。「私であると言ったではないか。私を捜しているのなら、この人々は行かせなさい」。

18:9これは、「あなたが私に与えてくださった者を、私は一人も失いませんでした」とイエスが語られた言葉が満たされるためであった。131

18:10シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜き、大祭司の奴隷に切りかかって、その右の耳を切り落とした。この奴隷の名はマルコスであった。

18:11イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父が私に与えてくださった杯を、私が飲まずにいられようか」。

18:12兵士の一隊と千人隊長、そしてユダヤ人たちの下役は、イエスを捕らえて縛り、

18:13まずアンナスのもとへ連れて行った。アンナスは、その年の大祭司カイアファのしゅうとであったからである。

18:14カイアファは、一人の人間が民のために死ぬ方が得策だと、ユダヤ人たちに助言した者である。

18:15シモン・ペトロと、もう一人の弟子がイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスと一緒に大祭司の中庭に入った。

18:16しかしペトロは、門のそばの外側に立っていた。そこで、大祭司の知り合いであるもう一人の弟子が外へ出て、門番の女に話し、ペトロを中へ入れた。

18:17門番の女中はペトロに言った。「まさか、あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」。ペトロは言った。「違う」。

18:18寒かったので、奴隷たちと下役たちは炭火を起こし、立って暖まっていた。ペトロも彼らと一緒に立ち、暖まっていた。

18:19大祭司はイエスに、弟子たちのことや、イエスの教えについて尋問した。

18:20イエスは答えられた。「私は世界に向かって公然と語ってきた。ユダヤ人が皆、集まる会堂や神殿の境内で、いつも教えてきた。隠れては何も語っていない。

18:21なぜ私に尋ねるのか。私が何を話したか、聞いた人々に尋ねなさい。この人々は、私が言ったことを知っている」。

18:22イエスがこう言われると、そばに立っていた下役の一人が、イエスを平手で打って言った。「大祭司に、そのように答えるのか」。

18:23イエスは答えられた。「私が悪いことを言ったのなら、どこが悪いのか証言しなさい。正しく語ったのなら、なぜ私を打つのか」。

18:24そこでアンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとへ送った。132

18:25一方、シモン・ペトロは立って暖まっていた。人々は彼に言った。「まさか、お前もあの者の弟子ではあるまいな」。彼は否定して、「違う」と言った。

18:26大祭司の奴隷の一人で、ペトロに耳を切り落とされた人の親族が言った。「お前が園であの者と一緒にいたのを、私は見たのではなかったか」。

18:27ペトロは再び否定した。すると、すぐに鶏が鳴いた。

18:28人々はイエスをカイアファのもとから総督官邸へ連れて行った。朝早くであった。彼ら自身は官邸に入らなかった。汚れを受けずに、過越の食事を取るためである。133

18:29そこでピラトは、外へ出て彼らのところへ来て言った。「この者に対して、どんな訴えを持って来たのか」。

18:30彼らは答えた。「悪事を働く者でなければ、あなたに引き渡しはしませんでした」。

18:31ピラトは言った。「お前たちが引き取り、自分たちの律法に従って裁け」。ユダヤ人たちは言った。「私たちには、誰も死刑にすることが許されていません」。

18:32これは、ご自分がどのような死を遂げようとしているかを示された、イエスの言葉が満たされるためであった。

18:33そこでピラトは再び官邸に入り、イエスを呼んで言った。「お前がユダヤ人の王なのか」。

18:34イエスは答えられた。「それは自分で言っているのか。それとも、ほかの人々が私についてあなたに言ったのか」。

18:35ピラトは答えた。「私がユダヤ人だとでもいうのか。お前の民族と祭司長たちが、お前を私に引き渡したのだ。何をしたのか」。

18:36イエスは答えられた。「私の王国は、この世界から出たものではない。もしこの世界から出たものなら、私の下役たちは、私がユダヤ人たちに引き渡されないように戦っただろう。しかし実際、私の王国は、ここから出たものではない」。134

18:37ピラトは言った。「それでは、お前は王なのだな」。イエスは答えられた。「私が王であると、あなたが言っている。私はこのために生まれ、このために世界に来た。真理について証言するためである。真理に属する者は皆、私の声を聞く」。135

18:38ピラトは言った。「真理とは何か」。こう言うと、再びユダヤ人たちのところへ出て行って言った。「私はこの者に何の罪状も見いだせない。

18:39ところで、お前たちには、過越祭に私がお前たちのために一人を釈放する習慣がある。ユダヤ人の王を、お前たちのために釈放してほしいか」。

18:40人々は再び叫んだ。「その者ではなく、バラバを」。バラバは強盗であった。

第19章

19:1そこでピラトはイエスを引き取り、鞭打たせた。

19:2兵士たちは、茨で冠を編んでイエスの頭にかぶせ、紫の上着を着せた。

19:3そして近寄っては、「ユダヤ人の王、万歳」と言い、平手で打っていた。

19:4ピラトは再び外へ出て、人々に言った。「見よ、この者をお前たちの前へ連れ出す。この者に何の罪状も見いだせないことを、お前たちに知らせるためだ」。

19:5イエスは茨の冠と紫の上着を着けて、外へ出られた。ピラトは人々に言った。「見よ、この人だ」。

19:6祭司長たちと下役たちはイエスを見ると、叫んだ。「十字架につけろ。十字架につけろ」。ピラトは言った。「お前たちが引き取り、十字架につけよ。私はこの者に罪状を見いだせない」。

19:7ユダヤ人たちは答えた。「私たちには律法があります。その律法によれば、この者は死ぬべきです。自分を神の子としたからです」。

19:8ピラトはこの言葉を聞くと、ますます恐れ、

19:9再び官邸に入って、イエスに言った。「お前はどこから来たのか」。しかしイエスは、ピラトに何もお答えにならなかった。

19:10ピラトは言った。「私に話さないのか。私には、お前を釈放する権限も、十字架につける権限もあると、知らないのか」。

19:11イエスは答えられた。「上から与えられていなければ、あなたは私に対して何の権限も持たなかった。それゆえ、私をあなたに引き渡した者には、より大きな罪がある」。136

19:12それからピラトは、イエスを釈放しようと努めた。しかしユダヤ人たちは叫んだ。「この者を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。自分を王とする者は皆、皇帝に逆らう者だ」。

19:13ピラトはこれらの言葉を聞くと、イエスを外へ連れ出し、リトストロトン、ヘブライ語ではガバタと呼ばれる場所で、裁判の座に着いた。137

19:14過越祭の準備の日で、第六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「見よ、お前たちの王だ」。138

19:15人々は叫んだ。「取り除け。取り除け。十字架につけろ」。ピラトは言った。「お前たちの王を、私が十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた。「私たちには、皇帝のほかに王はいない」。

19:16そこでピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取り、

19:17イエスはご自分で十字架を担い、「頭蓋骨の場所」、ヘブライ語でゴルゴタと呼ばれる所へ出て行かれた。

19:18そこで彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと共にほかの二人を、両側に一人ずつ、イエスを真ん中にして、十字架につけた。

19:19ピラトは札も書き、十字架の上に掲げた。そこには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と記されていた。

19:20イエスが十字架につけられた場所は町に近かったので、多くのユダヤ人がこの札を読んだ。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で記されていた。

19:21ユダヤ人の祭司長たちはピラトに言った。「『ユダヤ人の王』と書かず、この者が『私はユダヤ人の王だ』と言った、と書いてください」。

19:22ピラトは答えた。「私が書いたものは、書いたままだ」。

19:23兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣服を取って四つに分け、一人につき一つずつの分け前とした。下着も取ったが、それには縫い目がなく、上から全体が一続きに織られていた。

19:24そこで互いに言った。「これを裂くのはやめて、誰のものになるか、くじで決めよう」。これは、「彼らは私の衣服を分け合い、私の着物のためにくじを引いた」という聖書の言葉が満たされるためであった。兵士たちはこうしたのである。139

19:25一方、イエスの十字架のそばには、母と、母の姉妹、クロパのマリア、そしてマグダラのマリアが立っていた。140

19:26イエスは母と、そばに立つ、ご自分の愛しておられた弟子を見ると、母に言われた。「婦人よ、見なさい、あなたの息子です」。

19:27それから弟子に言われた。「見なさい、あなたの母です」。その時から、この弟子は彼女を自分のもとに迎えた。

19:28この後、イエスは、すでにすべてが成し遂げられたことを知り、聖書が成就するために言われた。「渇く」。

19:29そこには、酸いぶどう酒でいっぱいの器が置かれていた。人々は、その酸いぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに取り付け、イエスの口もとに差し出した。141

19:30イエスはその酸いぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言われた。そして頭を垂れ、霊を引き渡された。142

19:31その日は準備の日で、しかも、その安息日は特に大いなる日であった。それでユダヤ人たちは、安息日に体が十字架の上に残らないよう、脚を折って取り下ろすことをピラトに願った。

19:32そこで兵士たちは来て、イエスと共に十字架につけられた最初の者と、もう一人の者の脚を折った。

19:33しかしイエスのところに来ると、すでに死んでおられるのを見たので、その脚を折らなかった。

19:34その代わり、兵士の一人が槍で脇腹を突いた。すると、すぐに血と水が出て来た。

19:35それを見た者が証言している。その証言は真実であり、その者は、自分が真実を語っていると知っている。あなたがたも信じるためである。143

19:36これらのことが起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が満たされるためであった。144

19:37また、別の聖書の箇所は、「彼らは、自分たちが突き刺した者を見る」と言っている。145

19:38この後、アリマタヤのヨセフは、イエスの遺体を取り下ろしたいとピラトに願った。彼はイエスの弟子であったが、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していた。ピラトが許可したので、ヨセフは来て、イエスの遺体を取り下ろした。

19:39以前、夜にイエスを訪れたニコデモも、没薬と沈香を混ぜたものを、およそ百リトラ持って来た。146

19:40二人はイエスの遺体を引き取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料と共に亜麻布で包んだ。

19:41イエスが十字架につけられた場所には園があり、その園には、まだ誰も葬られたことのない、新しい墓があった。

19:42ユダヤ人の準備の日であり、その墓も近かったので、二人はそこにイエスを葬った。

第20章

20:1週の初めの日、まだ暗い朝早く、マグダラのマリアが墓に来ると、石が墓から取りのけてあるのを見た。

20:2そこで走って、シモン・ペトロと、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のもとに来て言った。「誰かが主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、私たちには分かりません」。

20:3ペトロともう一人の弟子は出て、墓へ向かった。

20:4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方がペトロより速く走り、先に墓に着いた。

20:5そして身をかがめて中を見ると、亜麻布が置いてあるのが見えた。しかし、中には入らなかった。

20:6シモン・ペトロも彼の後に続いて来て、墓の中に入った。そして、亜麻布が置いてあるのを見た。

20:7また、イエスの頭の上にあった布が、亜麻布と一緒には置かれず、離れた一か所に巻かれているのも見た。

20:8そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入り、見て、信じた。147

20:9イエスが死者の中から復活しなければならないという聖書のことを、二人はまだ理解していなかったのである。

20:10それから弟子たちは、自分たちのところへ帰って行った。

20:11しかし、マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

20:12イエスの遺体が置かれていた場所に、白い衣を着た二人の天使が、一人は頭の方、一人は足の方に座っているのが見えた。

20:13天使たちは言った。「婦人よ、なぜ泣いているのか」。マリアは言った。「私の主を取り去ったからです。どこへ置いたのか分かりません」。

20:14こう言って振り向くと、イエスが立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

20:15イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」。マリアは園の管理人だと思って言った。「ご主人、あなたが運び出したのなら、どこへ置いたか教えてください。私が引き取ります」。

20:16イエスは言われた。「マリア」。彼女は振り向き、ヘブライ語で「ラブニ」と言った。これは「先生」という意味である。

20:17イエスは言われた。「私にすがりついていてはならない。私はまだ父のもとへ上っていないからである。私の兄弟たちのもとへ行って伝えなさい。『私は、私の父であり、あなたがたの父である方、私の神であり、あなたがたの神である方のもとへ上る』と」。148

20:18マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と告げ、イエスがこれらのことを話されたと知らせた。

20:19その日、週の初めの日の夕方、弟子たちのいた場所では、ユダヤ人たちを恐れて戸が閉ざされていた。そこへイエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

20:20こう言って、両手と脇腹をお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

20:21イエスは再び言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私を遣わされたように、私もあなたがたを遣わす」。

20:22こう言うと、息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

20:23あなたがたが誰かの罪を赦すなら、その人々の罪は赦されている。誰かの罪をそのままにしておくなら、そのままにされている」。149

20:24十二人の一人で、ディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、弟子たちと一緒にいなかった。

20:25ほかの弟子たちは彼に、「私たちは主を見た」と言った。しかしトマスは言った。「その手に釘の跡を見て、その跡に指を入れ、その脇腹に手を入れなければ、私は決して信じない」。

20:26八日後、イエスの弟子たちは再び中におり、トマスも一緒にいた。戸は閉ざされていたが、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

20:27それからトマスに言われた。「指をここに持って来て、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。

20:28トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神」。150

20:29イエスは言われた。「私を見たので信じたのか。見ないで信じた者たちは幸いである」。

20:30イエスは、弟子たちの前で、この書に記されていない、ほかの多くのしるしも行われた。

20:31しかし、これらが記されたのは、イエスがキリスト、神の子であると、あなたがたが信じるためであり、また、信じて、その名によって命を持つためである。151

第21章

21:1この後、イエスはティベリアス湖のほとりで、再び弟子たちにご自分を現された。その現れは、このようであった。

21:2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が一緒にいた。

21:3シモン・ペトロが「私は漁に出る」と言うと、ほかの者たちも「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って舟に乗ったが、その夜は何も捕れなかった。

21:4すでに夜が明けたころ、イエスが岸辺に立っておられた。しかし弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。

21:5イエスは言われた。「子どもたちよ、食べるものは何もないのか」。彼らは「ありません」と答えた。

21:6イエスは言われた。「舟の右側に網を投げなさい。そうすれば見つかる」。彼らは網を投げた。すると、あまりの魚の多さに、もはや引き上げることができなかった。

21:7イエスが愛しておられたあの弟子が、ペトロに言った。「主だ」。シモン・ペトロは、主だと聞くと、裸だったので上着を身に巻き、湖に飛び込んだ。152

21:8ほかの弟子たちは、魚の入った網を引きながら、小舟で戻って来た。陸から遠くはなく、およそ二百ペキュスの所にいたのである。153

21:9陸に上がると、炭火が起こしてあり、その上に魚が置かれ、パンもあるのが見えた。

21:10イエスは言われた。「今捕った魚を、幾らか持って来なさい」。

21:11そこでシモン・ペトロは上がって行き、網を陸へ引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいだった。それほど多かったのに、網は破れなかった。

21:12イエスは言われた。「さあ、朝食を取りなさい」。弟子たちのうち誰も、「あなたは誰ですか」とあえて尋ねはしなかった。主であると知っていたからである。

21:13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与え、魚も同じようにされた。

21:14イエスが死者の中から起こされて弟子たちに現れたのは、これで三度目である。

21:15朝食が済むと、イエスはシモン・ペトロに言われた。「ヨハネの子シモン、この人々以上に私を愛しているか」。ペトロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることを、あなたはご存じです」。イエスは言われた。「私の小羊たちに食べ物を与えなさい」。154

21:16イエスはもう一度、二度目に言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」。ペトロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることを、あなたはご存じです」。イエスは言われた。「私の羊たちを牧しなさい」。

21:17イエスは三度目に言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」。三度目にも「私を愛しているか」と言われたので、ペトロは悲しみ、言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはご存じです」。イエスは言われた。「私の羊たちに食べ物を与えなさい。155

21:18確かに、確かに、あなたに言う。若かったとき、あなたは自分で帯を締め、望む所へ歩いて行った。しかし、年を取ると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯を締め、望まない所へ連れて行く」。

21:19こう言って、ペトロがどのような死によって神の栄光を現すことになるかを示された。そして、「私に従いなさい」と言われた。

21:20ペトロが振り向くと、イエスが愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。夕食のときイエスの胸に寄りかかり、「主よ、あなたを引き渡すのは誰ですか」と尋ねた弟子である。

21:21ペトロはその弟子を見て、イエスに言った。「主よ、この人はどうなるのですか」。

21:22イエスは言われた。「私が来るまでこの者がとどまるようにと、私が望んだとしても、あなたに何の関わりがあるか。あなたは私に従いなさい」。

21:23そこで、あの弟子は死なないというこの話が、兄弟たちの間に広まった。しかしイエスはペトロに、この弟子は死なないと言われたのではない。「私が来るまでこの者がとどまるようにと、私が望んだとしても、あなたに何の関わりがあるか」と言われたのである。

21:24これらのことについて証言し、これらを書いたのは、この弟子である。そして私たちは、その証言が真実であると知っている。156

21:25イエスが行われたことは、ほかにも多くある。その一つ一つを書き記すなら、書かれる書物を、世界そのものも収めきれないだろうと、私は思う。

訳注

  1. 1:1。λόγοςを序詞では「言」とする。語る言葉・意味・理を含む語だが、本書では神と共にあり、肉となる方として語られる。最後のθεόςは冠詞を伴わない述語であり、それだけを理由に「一人の神」とは訳さない。「神と共に」と「神であった」の両方を残し、後代の教義用語を本文に補わない。 ↩︎
  2. 1:3–4。底本はοὐδὲ ἕνの後で文を切り、ὃ γέγονενを次の文につなぐ。この句読法に従い、「生じたものは、この方のうちにあって命であった」と続けて読む。ὃ γέγονενを前の文に結ぶ「生じたもので、この方によらずに生じたものは一つもない」という区切りも可能だが、本文には採用しない。節番号をまたぐため、日本語でも文をまたがせた。 ↩︎
  3. 1:5。καταλαμβάνωは「捕らえる・制圧する」と「理解する」の双方に用いられる。ここでは闇と光の対峙を重視して「押しつぶす」とした。「闇は光を理解しなかった」という含みも失われるため、ここに記す。12:35にも同じ動詞がある。 ↩︎
  4. 1:9。ἐρχόμενονは、文法上「光」にも「すべての人」にも結び得る。ἦνとἐρχόμενονを組み合わせ、「光が世界に来ようとしていた」と取った。「世界に来るすべての人を照らす真の光であった」という構文も可能である。 ↩︎
  5. 1:11。τὰ ἴδιαは中性複数で「自分のもの・自分の領域」、οἱ ἴδιοιは男性複数で「自分に属する人々」。本文では後者を「ご自分に属する者たち」とした。語の形の違いを、同じ「自分のもの」で平板化しない。 ↩︎
  6. 1:13。「血筋」は複数形αἵματα、「肉の望み」はθέλημα σαρκὸς、「男の望み」はθέλημα ἀνδρός。人間の血統・生殖・意志から神による誕生を区別する。ἀνήρは「夫」とも訳せる。身体や結婚をそれ自体悪と断定する表現にはしない。 ↩︎
  7. 1:14。σάρξは「肉」。単に「人間の姿を取った」と弱めず、人間の具体的な存在となったことを残す。ἐσκήνωσενは「幕屋を張った・宿った」に由来する表現で、本文では「住まわれた」。μονογενήςは唯一性を表し、ここでは父との関係から「唯一の子」とした。παρὰ πατρόςは「父のもとからの」と子に結び付けたが、「父のもとからの栄光」と結ぶ読みも可能である。原文にはここで「来た」という動詞はない。πλήρης「満ちた」は言を指すと取る。 ↩︎
  8. 1:16。χάριν ἀντὶ χάριτοςのἀντίは「〜に代わって・〜に対応して」。単に恵みが積み重なるという意味に限定せず、「恵みに代わって、さらに恵み」とした。17節のモーセとイエスの対比との関係も考えられるが、律法が無価値だったとする説明は補わない。 ↩︎
  9. 1:18。底本はμονογενὴς θεόςであり、「唯一の子」ではなく「唯一の方である神」と訳した。ὁ ὢν εἰς τὸν κόλπονは父との親密な関係を表す。ἐξηγήσατοの目的語は明示されていないが、冒頭の「神」を受けると解し補った。公式装置には「唯一の子」を含む他の読みも記される。 ↩︎
  10. 1:19ほか。Ἰουδαῖοιは「ユダヤ人たち」としたが、文脈によって、ユダヤ地方の人々、特定の宗教的指導層、祭りの参加者、イエスを信じる人々などを指す。1:19では使節を送る側であり、民族全体の一致した行動と断定できない。イエスや弟子たち自身もユダヤ人である。本文中の対立を現代の民族・宗教集団全体への評価に拡張しない。 ↩︎
  11. 1:21。「あの預言者」は定冠詞を伴うὁ προφήτης。特定の待望される預言者を指し、一般的に「預言者なのか」とはしない。申命記18:15、18との関連が考えられる。エリヤと同一人物であるとする解釈を他書から持ち込まない。 ↩︎
  12. 1:23。イザヤ40:3に対応する引用。本書内のギリシア語を訳した。旧約の別底本との逐語照合は行っていない。 ↩︎
  13. 1:29。ὁ αἴρωνは「取り上げる・担う・取り除く」。ここでは「取り除く」とした。「罪」は単数で、個々の違反の列挙にはしない。「小羊」の背景を特定の一つの儀礼や旧約箇所だけに限定しない。 ↩︎
  14. 1:34。底本の読みはὁ ἐκλεκτὸς τοῦ θεοῦ「神の選ばれた者」。公式装置では他の比較版がυἱός「子」を採ることが示されるが、本文をその読みに置き換えない。 ↩︎
  15. 1:39ほか。原文の時刻番号を保つ。日の出を基準とする通常の数え方なら、第十時はおよそ午後四時に当たるが、季節や時刻体系の問題があり、本文で現代の時計時刻に固定しない。38–39節の「泊まる」「共に過ごす」もμένωで、32–33節の霊が「とどまる」と同じ動詞である。ここでは滞在を尋ねる会話の自然さを優先した。 ↩︎
  16. 1:42。本書は「ケファ」を「ペトロ」と訳して説明する。ここでは名前の対応を示すもので、岩・石という語義の説明を本文自体が述べているわけではない。父の名は底本のἸωάννου「ヨハネ」に従う。別の福音書の呼称から「ヨナ」に替えない。 ↩︎
  17. 1:51。ἀμὴν ἀμήνは同語の反復を「確かに、確かに」とした。ここで「あなたがた」は複数になり、ナタナエル個人への発言から広がる。天使の上り下りは創世記28:12との関連を思わせるが、本文には梯子などを補わない。 ↩︎
  18. 2:4。τί ἐμοὶ καὶ σοίは、字義的には「私とあなたに何があるか」。関与や意向の距離を示す問いとして訳した。γύναι「婦人よ」は母への呼びかけであり、原文にない罵倒を加えない。「時」はこの後、受難と栄光の文脈で反復される。 ↩︎
  19. 2:6。μετρητήςは容量の単位。数量の換算には幅があるため、本文では二、三メトレテスという原文の単位を残した。清めの習慣についての説明は、語り手の記述である。 ↩︎
  20. 2:11。σημεῖον「しるし」は、本書では出来事が指し示す意味を含む。「奇跡」だけに置き換えず、栄光を現し信仰へ導く文脈を保つ。 ↩︎
  21. 2:15。πάντας「すべてを」の対象には、人々を含める読みと、続く羊・牛に重点を置く読みがある。本文は羊と牛の追放を明示した形で訳した。鳩を売る者への命令は次節に続く。誰をどのように鞭打ったかは明記されない。 ↩︎
  22. 2:17。詩編69:9(ギリシア語系の番号では68:10)に当たると作業上同定した。旧約の別底本との照合は未実施。本書のκαταφάγεταίは未来形であり、「食い尽くした」ではなく「食い尽くす」とした。 ↩︎
  23. 2:23–24。「信じる」と「任せる」は同じπιστεύωの異なる用法。人々がイエスを信じることと、イエスが自分を人々に委ねないことの対照がある。 ↩︎
  24. 3:3、7。ἄνωθενは「上から」と「再び」の両義を持つ。本文はイエスの語る起源を「上から」と訳し、ニコデモは「再び」と理解して応答する。片方だけを正解としてもう片方を消さない。 ↩︎
  25. 3:5。「水と霊から」は一つの前置詞ἐκのもとに置かれる。水と霊の関係、洗礼や清めとの関係については解釈が分かれるため、本文で「水の洗礼と聖霊の洗礼」などと展開しない。 ↩︎
  26. 3:8。πνεῦμαは「風」と「霊」、φωνήは「音」と「声」の意味を持つ。πνεῖ「吹く」と組み合わされた最初のπνεῦμαを「風」とし、最後を「霊」とした。同じ語による語戯は日本語では注によって示す。 ↩︎
  27. 3:13。底本には、節末に「天にいる」という付加句はない。「人の子」の後にそれを補わない。上る・下るという本書の表現を他の福音書の出来事の順に合わせて調整しない。 ↩︎
  28. 3:14。荒れ野の蛇は民数記21:8–9に対応する。ὑψόωは「上げる・高める」。12:32–33では十字架上の死と明示的に結びつくため、十字架と栄光の両方の響きを保つ。 ↩︎
  29. 3:15。ἐν αὐτῷは「信じる」にも「永遠の命を持つ」にも結び得る。ここでは後者と取り、「この方にあって永遠の命を持つ」とした。16節のεἰς αὐτόνは明確に「その子を信じる」に結びつく。 ↩︎
  30. 3:16–21。古代の本文に現代のかぎ括弧はない。ここでは15節までをイエスの直接発言とし、16節以降を語り手の説明として整形したが、21節までを発言と取ることもできる。οὕτωςは程度だけでなく「このように」という仕方も指し、御子を与える行為へつながる。世界への愛と救いの目的を残す。 ↩︎
  31. 3:30–36。ここではヨハネの直接発言を30節で閉じ、31節以降を語り手の説明とした。36節までをヨハネの発言と取ることもできる。30節の「大きくなる/小さくなる」はαὐξάνειν/ἐλαττοῦσθαιの対比である。 ↩︎
  32. 3:34。「与える」の主語と受け手は、この句そのものには明示されていない。直前の文脈から神を主語と取ったが、受け手を本文で限定しない。「量って」はἐκ μέτρου「尺度によって」の訳。主語を直前の「神が遣わされた方」と取る読みも成立する。本訳は神を主語と読むが、底本に「神は」という明示語はない。 ↩︎
  33. 4:4–6。πηγήは「泉」、11–12節のφρέαρは「井戸」。同じ場所について語られるが、原語の呼び方の違いを残す。第六時は通常の昼間の数え方では正午ごろ。現代の時刻に固定しない。4:4の「通らなければならなかった」はἔδει。移動上の必要か、使命に関わる必要かを本文では限定しない。 ↩︎
  34. 4:9。συγχρῶνταιは「交際する・共に用いる」などと解され、飲食の器の共用を含む可能性がある。本文では広く「交わらない」とした。語り手による関係の説明であり、双方が一切接触しなかったという近代的な歴史記述として一般化しない。 ↩︎
  35. 4:10。「生きた水」はὕδωρ ζῶν。流れる水・湧く水という日常の意味と、イエスが与える命の意味が重なる。女の井戸についての問いは、この二重の意味を受ける。 ↩︎
  36. 4:18。五人の夫と現在一緒にいる人を区別する。死別・離別などの経緯は語られないため、本文にも注にも特定の生活史や職業を加えない。 ↩︎
  37. 4:23–24。「霊と真理において」はἐν πνεύματι καὶ ἀληθείᾳ。「心から真面目に」といった態度の説明だけには縮めない。πνεῦμαに定冠詞がないことだけで聖霊との関係を否定したり、反対に断定したりしない。 ↩︎
  38. 4:26。ἐγώ εἰμιは「私である」。ここでは前節のメシアを受けるので「私が、その者である」と訳した。本書の同じ言い方すべてを、文脈を無視して同一の神名宣言とは扱わない。 ↩︎
  39. 4:35–38。底本の区切りではἤδη「すでに」が36節の動詞につながる。節番号は維持し、「すでに、刈る者は」と続けて読む。「あなたがた自身が労苦していないもの」も、先行する労苦を否定するのではなく、ほかの者の労苦への参与を語る。 ↩︎
  40. 4:44。「故郷」πατρίςの指示対象と、前後の移動とのつながりには解釈上の難しさがある。ガリラヤへの歓迎がしるしに依存する点も文脈上重要であるが、本文を「ユダヤ」と書き換えたり、接続を省いて矛盾を解消したりしない。 ↩︎
  41. 5:2。原文の「羊に関する」の後には名詞がない。「羊の門」を補って訳した。池の名は底本のΒηθεσδάに従い、ベテスダとした。本文のἙβραϊστίは「ヘブライ語で」と訳し、古代の言語呼称を現代の厳密な区分に無説明で置き換えない。 ↩︎
  42. 5:3–5。固定底本には5:3末の水の動きを待つ句と、5:4の天使についての記述はない。そのため5:4は訳文にも置かず、5:3から5:5へ進む。5:7の本人の発言は、そのまま訳す。 ↩︎
  43. 5:14。イエスはこの人に、罪を犯さないよう警告される。しかし、ここからあらゆる病気の原因を本人の罪とする一般命題を作らない。9:3では、本人と両親の罪を原因とする説明が退けられる。 ↩︎
  44. 5:24–29。「移っている」はμεταβέβηκενの完了形。「今がその時」という25節と、墓にいるすべての者の将来の復活を語る28–29節を、片方に吸収せずに訳す。 ↩︎
  45. 5:31。原文の「真実ではない」をそのまま訳す。証言の承認をめぐる文脈から「自己証言だけでは有効と認められない」と理解する余地もあるが、「だけ」に当たる独立の語はない。8:14では、自己証言が真実である根拠が別に述べられる。 ↩︎
  46. 5:39。ἐραυνᾶτεは直説法「調べている」と命令法「調べなさい」が同形。ここでは続く「思っている」との関係から、直説法として訳した。 ↩︎
  47. 5:42。「神への愛」は、τοῦ θεοῦを愛の対象と取った訳であり、「神からの愛」という理解も文法上は可能である。 ↩︎
  48. 6:7。デナリオンは貨幣の単位。二百という原文の額を保ち、現代の通貨に換算しない。賃金や購買力の詳しい歴史的調査は本工程で行っていない。 ↩︎
  49. 6:19。スタディオンは距離の単位。換算値には幅があるため原単位を残す。二十五ないし三十という原文の概数を、精密な距離のように表さない。 ↩︎
  50. 6:20。「私である」はἐγώ εἰμι。まず恐れている弟子への本人確認として読める。湖上の場面と本書全体の自己宣言との連関はあるが、本文に「私は神だ」と補わない。 ↩︎
  51. 6:28–33。人々の「業」は複数ἔργα、イエスの答えの「業」は単数ἔργον。「神の業」は文脈上、神が求める業として理解できるが、神が行われる働きという響きまで訳文で排除しない。33節の「下って来て、世界に命を与えるもの」はパンを指すと同時に、35節で明かされる「方」とも読める。対話ではパンへの理解から人格的な自己提示へ進む。 ↩︎
  52. 6:31。詩編78:24(ギリシア語系77:24)、出エジプト記16:4、15などと関連する引用。本書の引用形態から訳した。どれか一つの旧約本文と完全に同一だとは表示しない。 ↩︎
  53. 6:45。イザヤ54:13に当たると作業上同定した。旧約の別底本との照合は未実施。「父から聞いて学ぶ」と「私のもとに来る」がつながる。後続の46節では、父を見ることとは区別される。 ↩︎
  54. 6:51–58。「肉」σάρξと「血」αἷμα、「食べる」と「飲む」を保ち、「教えを受け入れる」などの説明に置き換えない。54節以降のτρώγωは先行するἐσθίω系と語が変わるが、それだけで特定の儀礼解釈を決定しない。本文の相互内在と命への関係を残す。 ↩︎
  55. 6:60。σκληρόςは「硬い・厳しい・受け入れがたい」。単に意味が難解というだけでなく、聞いて受け止められるかという反応である。 ↩︎
  56. 6:63。「肉は何の役にも立たない」を、51節の「私の肉」と無差別に同定して否定しない。本節の霊と肉の対照をそのまま残し、解釈のために語を別のものへ置き換えない。 ↩︎
  57. 6:69。底本はὁ ἅγιος τοῦ θεοῦ「神の聖なる方」。他の福音書のペトロの告白や、他の比較版の長い称号へ置き換えない。 ↩︎
  58. 7:8。底本はοὐκ「上らない」であり、οὔπω「まだ上らない」ではない。後半にはοὔπω「まだ満ちていない」がある。10節の実際の上京との関係を、本文に「まだ」を足して解消しない。公式装置にはοὔπωを採る比較版も記される。 ↩︎
  59. 7:15。γράμματα οἶδεν μὴ μεμαθηκώςは、学びを受けていないのに学問・書物を知っているという驚き。「読み書きができなかった」など、本人の識字能力についての断定を加えない。 ↩︎
  60. 7:21–23。διὰ τοῦτοの接続先には幅がある。ここでは割礼の議論へつなぐ「このことに関して言えば」とした。「全身を」はὅλον ἄνθρωπον「人全体を」であり、割礼という身体の一部への行為との対比を残す。 ↩︎
  61. 7:28。冒頭の「私を知り、どこから来たかも知る」は、相手の知識をそのまま全面承認するとも、皮肉を含むとも読める。続く「遣わした方を知らない」との対照を踏まえ、「知っているというのだ」とした。 ↩︎
  62. 7:35。ἡ διασπορὰ τῶν Ἑλλήνωνを、ギリシア人の間に散らばるユダヤ人の共同体と理解して訳した。「同胞」はその指示対象を示す補い。続く「ギリシア人を教える」とは区別する。 ↩︎
  63. 7:37–38。本文は「信じる者」の内から流れると取る。句読法やαὐτοῦの指示対象を変え、キリストを源とする読みも可能。「内」はκοιλία「腹・内奥」。聖書の引用は一つの箇所との逐語一致が明確でなく、ゼカリヤ14:8、エゼキエル47章、イザヤ58:11などとの関連が考えられるが、単一の典拠を断定しない。 ↩︎
  64. 7:39。底本はοὔπω γὰρ ἦν πνεῦμα、字義的には「霊はまだなかった」。前半の「受けることになっていた」という文脈から、霊が信じる者に与えられる局面を指すと理解できるが、「与えられていなかった」は原文の動詞ではないため、本文に無表示で代入しない。神の霊そのものの不存在を教える文だと断定しない。 ↩︎
  65. 7:42。ダビデの系統とベツレヘムについては、サムエル記下7章、ミカ5:2などとの関連が考えられる。これは登場人物たちの発言であり、他の福音書の誕生物語を語り手の説明として本文へ追加しない。 ↩︎
  66. 7:52。これはニコデモへの反論として登場人物が述べる言葉。「ガリラヤから預言者は起こらない」という発言を、訳者が確認済みの歴史事実として保証するものではない。 ↩︎
  67. 7:53–8:11。固定SBLGNT v1.2はこの段落を⟦ ⟧で収録する。公式READMEは、この段落がv1.2で追加されたことを明記する。底本の本文上の留保を可視化して全訳し、括弧外の本文と無区別にしない。個々の写本の全証言や段落の成立史は本工程で調査していない。参照:固定コミットの公式README。 ↩︎
  68. 8:6、9–10。この固定配布本文には、8:6のμὴ προσποιούμενος「取り合わずに」、8:9の良心に責められる句、8:10の女のほかに誰も見なかった句と「訴えていた人々」が収録されている。そのため省かずに訳した。他版の本文については本工程で照合しておらず、固定底本にあるこれらの句を省かない。地面に何を書いたかは本文にない。 ↩︎
  69. 8:17。二人の証人については申命記19:15、17:6と関連する。本書の「真実である」という言い方を訳し、旧約の文章へ置き換えない。 ↩︎
  70. 8:21、24、28。ἐγώ εἰμιに明示された述語がないので、「私がメシアである」などと決めず、「私である」とした。文脈を越えた「私が神である」という補いも本文には置かない。58節では時制と存在の対照を表すため訳し分ける。21節の「罪」は単数、24節の二つの「罪」は複数である。日本語本文では同じ「罪」とし、数の交替から一義的な神学的区別を導かない。 ↩︎
  71. 8:25。τὴν ἀρχὴν ὅ τι καὶ λαλῶ ὑμῖνは構文・句読の難所。底本の疑問符を受け、「そもそも、なぜ私はあなたがたに話しているのか」と取った。「初めからあなたがたに語っている、その者である」とする読みもあるが、本文には混ぜない。この選択には不確実性が残る。 ↩︎
  72. 8:31以降。直接の相手は「イエスを信じたユダヤ人たち」と明記される。その後の厳しい応酬を避けるために、本文にない話者交替を挿入しない。信じることと、言葉の内にとどまることの関係が問われる。30節はπιστεύωにεἰς+対格、31節は与格αὐτῷを伴う。構文の交替はあるが、それだけで二つの信仰の真偽や程度を決定しない。 ↩︎
  73. 8:38。底本では二つの「父」に「私の/あなたがたの」という所有語が明示されていない。前半をイエスの父、後半を相手の父と取ると後続の対話につながるが、後半を命令として神の父に従うよう促す読みも可能である。本文は直説法として訳し、所有語は足さなかった。 ↩︎
  74. 8:44。論争の相手に向けられた、本文中の激しい表現である。ユダヤ人全体の本性、血統、現代の民族集団についての訳者の判断ではない。ὁ πατὴρ αὐτοῦはここでは「偽りの父」と取る。殺人や偽りとの関係を語り、宗教的対立を人種的な属性へ読み替えない。 ↩︎
  75. 8:58。γενέσθαι「存在するに至る」と現在形εἰμί「私はある」の対照を残した。単に「私は以前から生きていた」と過去形に整えない。神の自己宣言との響きが考えられるが、特定の旧約句の逐語引用であるとは断定しない。 ↩︎
  76. 9:3。ἀλλʼ ἵνα「むしろ〜するために」では前文から動詞を補う必要がある。ここでは通常のつながりとして、神の業が彼の内に現れるためと取った。これを4節の「働く」に結びつける区切りも可能。いずれにせよ、本人か両親の罪かという弟子の二者択一は退けられる。 ↩︎
  77. 9:22。「会堂から追放する」はἀποσυνάγωγος。排除の具体的な制度・時期を、この一語から復元して断定しない。本文の両親の恐れと発言の理由を訳した。 ↩︎
  78. 9:24。「神に栄光を帰せ」は、文脈では真実を認めるよう迫る言葉。直後に尋問者側の断定が続くので、純粋な賛美の勧めとだけは読めない。 ↩︎
  79. 9:31。「神は罪人の言うことをお聞きにならない」は、癒やされた人の議論である。人の祈りに神がどう応えるかについて、語り手や訳者が無条件の一般原則を定めているわけではない。 ↩︎
  80. 9:35。底本はυἱὸν τοῦ ἀνθρώπου「人の子」。公式装置に示される「神の子」という別の読みを本文へ採らない。 ↩︎
  81. 9:39–41。身体の視力と、自己認識・信仰に関わる「見る/見えない」の意味が交差する。身体の障害そのものを罪とする説明にはしない。41節は「見える」と主張する相手への応答である。 ↩︎
  82. 10:8。「私より前に来た者」はπάντες ὅσοι ἦλθον πρὸ ἐμοῦ。直前までの羊をめぐる対立を踏まえる必要があり、これをモーセや預言者たちのすべてに無条件で適用する説明は加えない。対象の固有名は原文にない。 ↩︎
  83. 10:11、15、17–18。τίθημι τὴν ψυχήνは「命を置く・差し出す」。受難を単に他者から奪われる出来事として語るのではなく、自発的な行為として述べる。κύριοςなどの称号と違い、ποιμήνは「牧者」として一貫させた。 ↩︎
  84. 10:16。「囲い」はαὐλή、「群れ」はποίμνηで、別の語である。最後を「一つの囲い」に替えない。「この囲いに属さない羊」の具体的な集団名は本文にない。 ↩︎
  85. 10:22。ἐγκαίνιαを「神殿奉献祭」とした。冬という季節は本文に明記される。成立史や祭礼の詳細について外部資料を参照した注ではない。 ↩︎
  86. 10:24。「気をもませる」はτὴν ψυχὴν ἡμῶν αἴρειςという慣用的な言い方。17–18節の「命」ψυχήと「奪う」αἴρωと同じ語が用いられるが、文脈に応じて訳し分けた。 ↩︎
  87. 10:29。固定本文はὁ πατήρ μου ὃ δέδωκέν μοι πάντων μεῖζων ἐστίν。関係代名詞ὃは中性、比較級μεῖζωνは男性形で、構文が難しい。ここでは「父」を主語とし、ὃ δέδωκέν μοιを「私に与えてくださったものに関して」という限定と解した。公式装置には、ὃをὃς「〜した方」にする読みと、μεῖζωνを中性μεῖζονにする読みがある。後者なら「父が私に与えられたものは、すべてにまさる」と取りやすいが、その形に本文を変更しない。採用した統語解釈には不確実性が残る。 ↩︎
  88. 10:30。「一つ」は中性ἕν、「私と父」は複数を主語とするἐσμεν「私たちは〜である」。一致・一体性を語るが、二者の区別を文法上消す「同じ一人である」とは訳さない。 ↩︎
  89. 10:34。詩編82:6(ギリシア語系81:6)に当たると作業上同定した。旧約の別底本との照合は未実施。「律法」はここで詩編を含む聖書の呼称として用いられる。引用中の「神々」を解説語に置き換えない。 ↩︎
  90. 11:16。Δίδυμοςは「双子」の意味。「あの方と共に死のう」の「あの方」はイエスを指すと取ったが、原文は代名詞αὐτοῦである。トマスの心理を臆病・勇敢など一つの評価に限定しない。直前15節のαὐτόνはラザロを指すため、16節もラザロと共に、と読む余地がある。一方、8節の石打ちの危険からイエスと取る読みも成立する。 ↩︎
  91. 11:25–26。25節のἐγώ εἰμιは述語を伴い、強調されたἐγώを焦点として「私が」と訳した。25節の「死んでも生きる」と26節の「永遠に死ぬことがない」をそのまま並べる。身体の死が起こらないという単純な約束に整えず、イエスへの信仰と命の関係を残す。 ↩︎
  92. 11:33、38。ἐμβριμάομαιは厳しい叱責・憤りにも用いられる強い語。単に「悲しんだ」に縮めず「激しく憤り」とした。何に対する憤りかは明示されない。ἐτάραξεν ἑαυτόνは自己を揺り動かす表現で、本文でも「自らの心を騒がせ」として能動・再帰を示す。35節のἐδάκρυσεν「涙を流された」と区別する。 ↩︎
  93. 11:48。「場所」はτόποςで、神殿や自分たちの地位・土地を念頭に置く可能性がある。本文ではどれか一つに確定しなかった。「民族」はἔθνος。これは指導者側の懸念としての発言であり、事件の将来についての訳者の歴史的断定ではない。 ↩︎
  94. 12:3。πιστικόςを「純粋の」としたが、語義の細部には不確実性がある。λίτραは重さの単位。「一リトラ」を保ち、容量の「一リットル」と混同しない。 ↩︎
  95. 12:7。ἵνα … τηρήσῃは「〜のために取っておくように」という形であり、「取っておいた」という過去形ではない。すでに香油を用いた3節との関係が難しいが、残りの有無や事前の意図について物語を補わない。「彼女をそのままにしておきなさい」に続く目的・許容の句として訳した。 ↩︎
  96. 12:11。ὑπῆγονは「去って行っていた」。行き元は明示されていない。祭司長たちから離れる動きと読む余地はあるが、本文では対象を補わない。 ↩︎
  97. 12:13。詩編118:25–26(ギリシア語系117:25–26)に関連する。「ホサナ」は祈願に由来する呼び声として音写した。「イスラエルの王」は本書の歓呼の一部として訳す。 ↩︎
  98. 12:15。ゼカリヤ9:9に対応する引用を中心とする。「娘シオン」はシオンを女性として呼ぶ表現。旧約の別底本で長い文を確認して補うのでなく、本書にある形を訳した。 ↩︎
  99. 12:25。ψυχή「自分の命」とζωὴ αἰώνιος「永遠の命」は原語が異なる。「憎む」μισέωという強い対比を残すが、自分を傷つけたり命を軽蔑したりする勧めに置き換えない。世界における自己保持と、命を差し出す従い方の対照の中に置かれる。 ↩︎
  100. 12:27。「何と言おうか」に続く「父よ、私をこの時から救ってください」を実際の祈りとも、退ける可能性の引用とも読める。本文では発語の候補としてかぎ括弧に入れた。続く「しかし、このためにこそ」と、心が揺れ動くことの両方を保つ。 ↩︎
  101. 12:38。イザヤ53:1に対応する。「主の腕」は神の働きを表す比喩であり、「神の力」だけに意訳して像を消さない。 ↩︎
  102. 12:39–41。イザヤ6:10に対応する、本書の引用形態を訳した。原文は最初の二動詞の主語を明示せず、末尾の「私が癒やす」へ移る。本文は「その方」とし、主語の切り替わりを残した。「〜ないように」の及ぶ範囲には統語上の難しさがあり、癒やすことも否定の目的に含まれると取った。語り手の聖書理解として訳し、民族の生来の性質についての説明にはしない。41節の二つのαὐτοῦは原文では「彼の/彼について」で、本文は前後の文脈からイエスを指すと読んだ。直前の引用の神を指すと読む余地もある。 ↩︎
  103. 13:1。εἰς τέλοςは「最後まで・徹底して」。時間的な終わりと愛の徹底の両方を表すため「最後まで愛し抜かれた」とした。 ↩︎
  104. 13:2。「心に」はεἰς τὴν καρδίανで、誰の心かは所有語で明示されない。ユダの心と取るのが文脈上自然だが、底本の語順には構文上の幅があるため、訳文で「ユダの心に」とは断定しなかった。27節のサタンがユダに入る記述とは区別する。 ↩︎
  105. 13:10。全身を「洗う」はλούω、足を「洗う」はνίπτω。底本にある「足のほかには」を保った。清さの象徴的な意味を、本文に具体的な儀礼名を追加して限定しない。 ↩︎
  106. 13:18。詩編41:9(ギリシア語系40:10)に当たると作業上同定した。旧約の別底本との照合は未実施。「かかとを上げる」という敵対を表す像を残した。次節の予告と信仰への目的につながる。 ↩︎
  107. 13:23。原文は「イエスの懐に」食卓で横になっている位置を表す。25節の実際に胸へ寄りかかる動きと区別し、「胸もとに身を寄せる位置」とした。この弟子の固有名は、本文には示されない。 ↩︎
  108. 14:1。πιστεύετεは直説法にも命令法にも取れる。ここでは二つとも命令として「神を信じなさい。私をも信じなさい」とした。「神を信じているのだから、私をも信じなさい」という組み合わせも可能。 ↩︎
  109. 14:2。εἰ δὲ μή, εἶπον ἂν ὑμῖν ὅτι…の句読とὅτιの扱いに幅がある。本文は「そうでなければ、〜と言っただろうか」という反語の問いとして訳した。「そうでなければ、あなたがたに言っただろう。私は場所を用意しに行くのだから」という区切りも考えられる。底本にはὅτιがあり、これを欠く読みへ変更しない。「住まい」はμοναίで、23節のμονή「住まい」とつながる。 ↩︎
  110. 14:14–15。底本にはμε「私に」がある。父に祈るという他の箇所に合わせて省かず、イエスに求めるという形を残した。15節のτηρήσετεは未来形「守るだろう」であり、命令形に置き換えない。 ↩︎
  111. 14:16。παράκλητοςを「援助者」とした。16:8–11の立証、15:26の証言、14:26の教えと想起など、そばで助ける者・弁護する者としての機能がある。「慰める者」だけに狭めない。「別の」はἄλλονであり、比較される最初の者の名を本文に補わない。 ↩︎
  112. 14:19。ὅτι節全体を「あなたがたは私を見る」の理由として訳した。「私が生きているので、あなたがたも生きる」と、καὶ ὑμεῖς ζήσετεを主節として読む別解も成立する。 ↩︎
  113. 14:23。「私たち」は父とイエス。単数の「私」へ整えない。μονή「住まい」を2節と同じ訳語にし、人が父の家へ迎えられることと、父と子が人のもとに住まいを定めることの両方を保つ。 ↩︎
  114. 14:28。「父は私より大きな方」はμείζων μού。この比較を消したり、存在上の優劣・任務上の違いのどちらか一方に本文だけで確定したりしない。父のもとへ行くという直接の文脈と共に読む。 ↩︎
  115. 14:30。「私に対して何も持っていない」はἐν ἐμοὶ οὐκ ἔχει οὐδέν。支配者に足場・権利・関わりがないという意味に解せるが、本文ではどれか一語に限定しない。31節は省略を含む構文で、καί以下を主節として訳した。καίをὅτι節の続きとし、父への愛と従順を世界が知る内容として読むこともできる。 ↩︎
  116. 15:2–3。αἴρει「取り除く」、καθαίρει「刈り込む・清める」、καθαροί「清い」の音と意味が響き合う。本文では「手入れして清める」と訳し、枝の比喩と清さの接続を残した。実を結ばない枝への動詞を「持ち上げて支える」とする可能性も語義上はあるが、6節の文脈から「取り除く」を採る。 ↩︎
  117. 15:24。二つの完了動詞「見た」「憎んだ」のうち、「見た」は前文の業を受けると読んだ。「私と私の父」を両動詞の共通目的語として、「私と父を見て、憎んだ」と読むこともできる。 ↩︎
  118. 15:25。詩編35:19、69:4(ギリシア語系34:19、68:5)に当たる句と作業上同定した。旧約の別底本との照合は未実施。この同定に従えば、ここでの「律法」は詩編を含む広い呼称となる。「理由もなく」はδωρεάν。 ↩︎
  119. 16:5。13:36と14:5には、ペトロとトマスの行き先についての問いがある。本節の「誰も尋ねない」を消したり、「一度も尋ねなかった」と過去全体へ広げたりせず、現在の場面の言葉として訳した。 ↩︎
  120. 16:8–11。ἐλέγχωは「誤りを明らかにする・立証する・責める」。罪・義・裁きに関して世界を明るみに出す働きとして訳す。特に「義」はイエスが父のもとへ行くことに結びつく。本文にない長い神学的な定義を挿入しない。 ↩︎
  121. 16:21–22。出産の「苦しみ」と弟子たちの「悲しみ」は同じλύπηで、6・20節ともつながる。出産の文脈では身体的な苦しみを含むため、本文を一律に「悲しみ」としない。21節後半の「苦痛」は別語θλῖψιςで、33節では「苦難」と訳す。 ↩︎
  122. 16:23。前半のἐρωτάωはここでは「尋ねる」、後半のαἰτέωは「求める」。ἐν τῷ ὀνόματί μου「私の名によって」は、求める行為にも、父が与える行為にも結び得る。底本の語順を踏まえて後者へつないだ。24節では求める行為に明確に付く。 ↩︎
  123. 17:2。冒頭のκαθώςは、1節の栄光を求める願いを支える根拠として訳した。対応を示す「お与えになったとおりに」と読むこともできる。 ↩︎
  124. 17:11–12。ᾧ δέδωκάς μοι「私に与えてくださった」が指す先は、底本では「あなたの名」。これを「私に与えてくださった人々」と読み替えない。名による保護と、人々が一つになる目的を残す。 ↩︎
  125. 17:12。「滅びの子」はὁ υἱὸς τῆς ἀπωλείας。滅びに結びつく者という表現であり、親子関係の記述ではない。文脈上ユダを指すと読めるが、訳文には固有名を補わなかった。ここで満たされる聖書の箇所は、この節には明示されない。 ↩︎
  126. 17:15。τοῦ πονηροῦは形の上で「悪い者」と「悪」の双方が可能。ここでは「悪い者」を採る。「世界に残ること」と「世界に属さないこと」を混同せず、世界からの物理的隔離の祈りにはしない。 ↩︎
  127. 17:17、19。ἁγιάζωは聖なるものとして分かち、神のためにささげること。「道徳的に無欠にする」だけに限定しない。19節でイエスが自分を聖なるものとすることと、人々が聖なる者とされることがつながる。ἐν ἀληθείᾳは「真理によって」とも「真に」とも取れるが、17節との関係を保った。 ↩︎
  128. 17:21。καθώς「〜のように」は、前の「一つになる」にも、後の「私たちの内にいる」にもつなげて読める。本文は後者を採るが、父と子の相互内在が一致の在り方の比較となる読みも成立する。 ↩︎
  129. 18:3–12。σπεῖραは兵士の部隊を指す語。千人隊長χιλίαρχοςも登場するが、部隊の定員どおりの人数が実際に来たとは限らないため、「六百人」などの人数を本文に加えない。 ↩︎
  130. 18:5–8。5–8節のἐγώ εἰμιは、人物を確認する「私である」と訳した。6節ではこの発言の直後に人々が倒れるが、その描写だけで原文にない述語を加えない。絶対用法の響きと人物の確認の両方を残す。 ↩︎
  131. 18:9。6:39、17:12などのイエスの言葉につながる。ここでは弟子たちを立ち去らせる行動について、語り手がその成就を述べる。新しい旧約引用として出典を作らない。 ↩︎
  132. 18:19–24。「大祭司」が19節で誰を指すか、24節の「送った」を「送っていた」と取るかに解釈の幅がある。ここでは物語の順に従って24節を訳した。アンナスとカイアファの尋問を一つにまとめたり、本文の順序を組み替えたりしない。 ↩︎
  133. 18:28。「過越の食事」はφάγωσιν τὸ πάσχα。13:1、19:14などとの関係を保ち、他の福音書の食事の日付へ合わせて変更しない。汚れを避ける理由は、本文が人々について述べるものとして訳した。 ↩︎
  134. 18:36。ἐκ τοῦ κόσμου τούτουは「この世界から出た・由来する」。単に王国がこの世界のどこにも存在しないという場所の否定ではない。「王国」はβασιλείαで、王としての支配を含む。最後のνῦν δέは「しかし実際」と取った。 ↩︎
  135. 18:37。σὺ λέγεις「あなたが言っている」は、相手の言い方を受けつつ距離を残す応答。単に全面否定とも、無条件の「そのとおりだ」とも訳さず、その後の真理への証言の説明と結ぶ。 ↩︎
  136. 19:11。「上から」はἄνωθεν。3章では新たな誕生の起源を表す。「引き渡した者」は単数で、具体的な指示対象には解釈の幅があるため、本文でユダやカイアファという固有名を補わない。ピラトの責任が無いとする文でもない。 ↩︎
  137. 19:13。ἐκάθισενは「座った」と「座らせた」の両方が可能。本文ではピラトが裁判の座に着いたと取る。イエスを座らせたという読みも可能だが、採用しなかった。「リトストロトン」は敷石の場所を指す名称。 ↩︎
  138. 19:14。「過越祭の準備の日」はπαρασκευὴ τοῦ πάσχα。「準備の日」の用法と祭りの暦には解釈上の問題があるが、本文を一律に「金曜日」と置き換えない。第六時もそのまま残し、他の福音書の時刻に合わせない。 ↩︎
  139. 19:24。詩編22:18(ギリシア語系21:19)に対応する。衣服を分けることと、着物についてくじを引くことが区別される。 ↩︎
  140. 19:25。列挙は四人と取って訳した。「母の姉妹」と「クロパのマリア」を同一人物の説明と取れば三人になる。ἡ τοῦ Κλωπᾶはクロパとの関係を示すが、「妻」という名詞はなく、本文では「クロパのマリア」とした。 ↩︎
  141. 19:28–29。「渇く」と酸いぶどう酒の記述には、詩編69:21(ギリシア語系68:22)との関連が考えられる。ὄξοςは酸いぶどう酒。ὑσσώπῳは底本の「ヒソプ」を保ち、植物の同定や持ち上げ方の難しさを解消するために、別の植物・道具へ替えない。28節のἵνα節は、後のλέγει「言う」にかけて訳したが、直前のτετέλεσται「すべてが成し遂げられた」にかける読みも成立する。τελειωθῇ「成就する」は24・36節のπληρωθῇ「満たされる」と異なり、30節のτετέλεσταιとも語が響き合う。 ↩︎
  142. 19:30。τετέλεσταιは完了形で、業の成就を表す「成し遂げられた」とした。παρέδωκεν τὸ πνεῦμαは字義的に「霊を引き渡した」。死を表す表現として訳しながら、本書の「引き渡す」の反復も残した。この句だけで、聖霊を特定の人々に授ける出来事だと断定しない。 ↩︎
  143. 19:35。ἐκεῖνος「その者」の指示対象は、通常、目撃して証言する者と取れる。ここではその読みを採用した。本文にない証人の固有名や医学的な死因を付け加えない。 ↩︎
  144. 19:36。骨を折らないことは、出エジプト記12:46、民数記9:12の過越の動物、および詩編34:20(ギリシア語系33:21)との関連が考えられる。本文は引用の一文をそのまま訳し、一つの典拠だけに確定しない。 ↩︎
  145. 19:37。ゼカリヤ12:10に対応する。本書の「彼らが突き刺した者」という引用形態を訳した。旧約の別底本との異同の体系的調査は未実施。 ↩︎
  146. 19:39。σμύρναは没薬、ἀλόηはここでは埋葬用の香料としての沈香とした。現代の食用・薬用アロエとの同一視はしない。百リトラという重さは原単位のまま残す。 ↩︎
  147. 20:8–9。「信じた」ἐπίστευσενには目的語が明示されない。復活への信仰の始まりと読むことができるが、9節はなお聖書の理解がなかったと述べる。「盗まれたと信じた」など、本文にない信じた内容を断定して補わない。9節の主語は明示されず、本文は直前に墓を見たペトロともう一人の弟子を指すと読んだ。弟子たち一般と取る読みも可能である。 ↩︎
  148. 20:17。μή μου ἅπτουは「私に触れるな/すがりつくな」。現在命令の禁止形と文脈から「すがりついていてはならない」としたが、直前に抱きついたという行動は明記されない。身体への接触が一般に禁止されたとする説明にはしない。「私の父/あなたがたの父」「私の神/あなたがたの神」の並びは残す。 ↩︎
  149. 20:23。ἀφέωνται、κεκράτηνταιはいずれも完了形で、赦し・保持の結果を示す。「赦されている/そのままにされている」とした。原語の完了形だけから、人間の行為と神の赦しの時間的・因果的な順序を決めない。特定の教会制度の解説を本文に加えない。 ↩︎
  150. 20:28。「イエスに答えた」の対象は原文のαὐτῷで明示される。「私の主、私の神」はトマスがイエスに向ける言葉として訳し、宙に向けた驚きの叫びへ変更しない。 ↩︎
  151. 20:31。底本は現在語幹のπιστεύητε。「信じ続ける」という継続の含みが考えられるが、それだけで既信者のみを読者と決定しない。公式装置にはアオリスト形πιστεύσητεも示される。本文は広く「信じるため」とした。 ↩︎
  152. 21:7、11。γυμνόςは「裸」で、衣服の不足した状態にも用いられる。完全な裸体か、作業のため上着を脱いだ状態かは、この語だけで決定できない。本文は原語の強さを保ち、勝手に下着の有無を記さない。11節のἀνέβη「上がった」も行き先を明示しない。舟に上がったとも水から陸へ上がったとも解し得るため、本文では場所を補わない。 ↩︎
  153. 21:8。πῆχυςは腕の長さに由来する距離の単位。二百ペキュスという原文の概数を残し、精密な現代測量値に見せない。 ↩︎
  154. 21:15。πλέον τούτων「これら以上に」は、ほかの弟子たちが愛する以上に、ペトロがほかの弟子たちを愛する以上に、あるいは目の前の物事以上に、などの理解が可能。本文は「この人々以上に私を愛しているか」とし、比較の相手を人々と取ったが、比較される愛の方向までは補わない。βόσκε「食べ物を与える」と次節のποίμαινε「牧する」は訳し分ける。 ↩︎
  155. 21:15–17。イエスの最初の二回はἀγαπάω、三回目はφιλέω、ペトロの答えは三回ともφιλέω。日本語ではすべて「愛する」とし、語の交替をこの注で示す。本書では父の子への愛にも両語が用いられる(3:35、5:20)。この交替だけから、神的な愛と劣った愛という固定した段階を設定しない。「知る」にもοἶδα/γινώσκωの交替がある。 ↩︎
  156. 21:24–25。24節は「私たちは知っている」、25節は「私は思う」となり、語りの人称が変わる。それを統一しない。証言する弟子と、本書の最終的な執筆・編集過程の関係について、この二節だけで詳細な成立史を確定しない。 ↩︎

底本・翻訳・利用表示

本文と訳注はAI(Codex)が作成した翻訳原稿です。Claude CodeによるAI校閲・再校閲の指摘を原文と照合し、本文・訳注を改訂しました。人間のギリシア語専門家による校閲は未実施です。

底本は、Michael W. Holmes編『The Greek New Testament: SBL Edition』(SBLGNT、2010)、Faithlife公式配布のv1.2、固定コミット c4d241a9c1c479a55b989ba35a4976c1d0b8052c のヨハネ本文である。

SBLGNT: Copyright 2010 by the Society of Biblical Literature and Logos Bible Software. 底本と公式配布資料はCreative Commons Attribution 4.0 International(CC BY 4.0)で提供される。パブリックドメインではない。公式ライセンス全文には無保証その他の条件が記される。

本日本語原稿は、上記ギリシア語本文からの独立翻訳、章節の整形、独自訳注の追加を含む変更版である。底本の校異参照記号は日本語に移さず、7:53–8:11の二重括弧は保持した。原権利者や校訂者による推奨・公認を示すものではない。日本語訳・訳注に新たな公開ライセンスは、この工程では設定しない。

本訳と訳注の作成、自己点検、原典対照校閲とその反映にはAIを使用した。独立訳の作成後にClaude Codeによる章別校閲を行い、原語に戻って指摘の採否を判断した。今回、同書の近現代語既訳を閲覧・入力せず、原語を先に読んで訳した。学習済み知識の影響を完全に排除したとの主張はしない。人間の原語専門家による校閲、既訳との体系的な表現類似監査、旧約の別底本や専門辞書・研究文献との照合は未実施であり、解釈上の不確実性と誤りが残り得る。

本書には宗教的対立をめぐる厳しい表現がある。その翻訳は、現代の民族・宗教集団への敵意や差別を支持するものではない。本書はAIを用いた翻訳・校閲を経て公開する日本語訳であり、なお誤りが残る可能性がある。