パウロ書簡

フィリピの人々への手紙

ΠΡΟΣ ΦΙΛΙΠΠΗΣΙΟΥΣ

第1章

1:1キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテから、フィリピにいる、キリスト・イエスにあって聖なるすべての人々、ならびに監督者と奉仕者たちへ。1

1:2私たちの父である神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平和がありますように。

1:3私はあなたがたを思い起こすたびに、私の神に感謝しています。

1:4あなたがた全員のために祈るときはいつも、喜びをもって願いをささげています。

1:5あなたがたが最初の日から今まで、福音のために共に参与してきたからです。2

1:6あなたがたのうちに良い働きを始めた方は、キリスト・イエスの日に至るまで、それを完成へと導いてくださる。私はこのことを確信しています。

1:7あなたがた全員についてこう思うのは、私にとって当然です。私はあなたがたを心に抱いているからです。私が獄につながれているときも、福音を弁明し、その確かさを示すときも、あなたがた全員は私と共に恵みに参与する者なのです。3

1:8キリスト・イエスの深い愛情をもって、あなたがた全員をどれほど慕っているか、神が私の証人です。

1:9私はこう祈っています。あなたがたの愛が、深い認識とあらゆる判断力を伴って、ますます豊かになるように。

1:10そして、何が優れているかを見分け、キリストの日に向けて、純粋で、人をつまずかせることのない者となるように。4

1:11イエス・キリストを通して与えられる義の実に満たされ、神に栄光と賛美をもたらすように。

1:12兄弟たち、私の身に起きたことが、かえって福音を前進させる結果になったと知ってほしいのです。

1:13そのため、私がキリストのゆえに獄につながれていることは、親衛隊全体にも、ほかのすべての人々にも明らかになりました。5

1:14また、兄弟たちの大多数は、私が獄につながれていることによって主にあって確信を得て、恐れることなく、いっそう大胆に言葉を語るようになりました。

1:15ある人々はねたみと争いから、またある人々は好意から、キリストを宣べ伝えています。

1:16好意から語る人々は、私が福音を弁明するために置かれていると知って、愛からそうしています。

1:17一方、争う人々は利己的な競争心からキリストを告げ知らせています。その動機は純粋ではなく、獄につながれた私に苦しみを起こそうと考えているのです。

1:18それが何だというのでしょう。ただ、口実であれ真実であれ、どんな仕方であってもキリストが告げ知らされている。そのことを私は喜んでいます。いや、これからも喜びます。

1:19あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊からの助けによって、このことが私の救いに至ると知っているからです。6

1:20それは、私が何一つ恥を受けず、むしろ、いつもと同じように今も、あらゆる大胆さをもって、生きるにしても死ぬにしても、私の体においてキリストがあがめられるという、私の切なる期待と希望に沿うことです。

1:21私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。

1:22しかし、肉にあって生き続けるなら、それは私に実りある働きをもたらします。どちらを選ぶのか、私には分かりません。7

1:23私はこの二つの間で引き裂かれています。ここを去ってキリストと共にいたいという願いがあります。その方がはるかに良いからです。

1:24けれども、肉にとどまることの方が、あなたがたのためには必要です。

1:25このことを確信していますから、私はとどまり、あなたがた全員のそばにい続けることになると分かっています。あなたがたの信仰の前進と喜びのためです。

1:26そうして、私が再びあなたがたのもとを訪れることで、私をめぐるあなたがたの誇りが、キリスト・イエスにあっていっそう豊かになるためです。

1:27ただ、キリストの福音にふさわしく、市民として生活してください。私が行ってあなたがたを見るにしても、離れたままでいるにしても、あなたがたについて、こう聞けるようにしてください。一つの霊にあって堅く立ち、心を一つにして、福音の信仰のために共に奮闘し、8

1:28敵対する者たちに何一つおびえていない、と。このことは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたの救いのしるしです。しかも、それは神からのものです。

1:29あなたがたには、キリストのために、彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことも、恵みとして与えられたからです。

1:30あなたがたは、かつて私のうちに見、今も私について聞いているのと同じ戦いをしているのです。

第2章

2:1ですから、キリストにあって励ましがあり、愛による慰めがあり、霊を共に分かち合う交わりがあり、深い愛情と憐れみがあるなら、

2:2同じ思いを抱き、同じ愛を持ち、心を合わせ、一つのことに思いを向けて、私の喜びを満たしてください。

2:3利己的な競争心や空しい名誉欲からは、何もしないでください。むしろへりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、

2:4一人ひとり、自分のことだけでなく、ほかの人のことにも目を向けてください。

2:5キリスト・イエスにも見られるこの思いを、あなたがたの間で抱いてください。9

2:6キリストは神の姿で存在していましたが、神と等しくあることを、自分のために利用するものとは考えませんでした。10

2:7むしろ、自分を空しくし、奴隷の姿を取り、人間と同じようになりました。そして、外に現れるありさまにおいて人として認められ、11

2:8死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順な者となって、自分を低くしました。

2:9それゆえ神も、キリストをこの上なく高く上げ、あらゆる名にまさる名を恵みとして与えました。

2:10イエスの名において、天にある者、地にある者、地の下にある者のすべてが膝をかがめ、

2:11すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白し、父なる神の栄光となるためです。12

2:12ですから、私の愛する人々、あなたがたはいつも従ってきたのですから、私がそばにいるときだけでなく、今、離れているときはなおいっそう、恐れと震えをもって、自分たちの救いを成し遂げてください。13

2:13あなたがたのうちに働いて、ご自身の良い意向のために、願うことも実行することも生じさせてくださるのは、神だからです。

2:14何事も、不平や言い争いなしに行ってください。

2:15それは、曲がってゆがんだ世代のただ中で、責められるところのない純粋な者、傷のない神の子どもとなるためです。その人々の間で、あなたがたは世にあって、光を放つもののように輝き、

2:16命の言葉をしっかり保っています。こうしてあなたがたは、キリストの日に私の誇りとなり、私の走ったことも労苦したことも空しくなかったことになります。14

2:17たとえ、あなたがたの信仰のいけにえと奉仕に添えて、私が注ぎの供え物として注ぎ出されるとしても、私は喜び、あなたがた全員と共に喜びます。15

2:18あなたがたも同じように喜び、私と共に喜んでください。

2:19私は主イエスにあって、間もなくテモテをあなたがたのもとへ送れることを望んでいます。あなたがたの様子を知り、私も元気づけられるためです。

2:20あなたがたのことを真心から気にかけてくれる、私と心を同じくする者は、ほかにいないからです。

2:21みな、自分のことを求め、イエス・キリストのことを求めてはいません。

2:22しかし、テモテが試されて確かな者と認められたことを、あなたがたは知っています。子どもが父に仕えるように、彼は私と共に、福音のために仕えてきました。

2:23ですから、私の状況の見通しがつき次第、すぐに彼を送れることを望んでいます。

2:24そして、私自身も間もなく行けると、主にあって確信しています。

2:25しかし、エパフロディトをあなたがたのもとへ送ることが必要だと考えました。彼は私の兄弟、同労者、共に戦う仲間であり、あなたがたの使者であり、私の必要を満たすためにあなたがたを代表して奉仕する人です。16

2:26彼はあなたがた全員を慕い、自分が病気になったとあなたがたが聞いたことを、心配していたからです。

2:27実際、彼は病気になり、死に近づくほどでした。しかし神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、私をも憐れみ、私が悲しみに悲しみを重ねずに済むようにしてくださったのです。

2:28そこで私は、いっそう急いで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私の悲しみも少なくなるためです。

2:29ですから、あふれる喜びをもって、主にあって彼を迎え、こうした人々を大切にしてください。

2:30彼はキリストの働きのために、命を危険にさらして死に近づいたのです。私への奉仕で、あなたがたにできなかった分を補うためでした。17

第3章

3:1さて、私の兄弟たち、主にあって喜んでください。同じことをあなたがたに書くのは、私には面倒なことではなく、あなたがたには安全な支えとなります。

3:2犬どもに気をつけてください。悪い働き手たちに気をつけてください。切り刻む者たちに気をつけてください。18

3:3割礼の民は私たちなのです。私たちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスにあって誇り、肉を頼みとはしません。

3:4もっとも、私自身には肉を頼みとする根拠もあります。ほかの誰かが肉を頼めると考えるなら、私はなおさらです。

3:5私は八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出で、ヘブライ人から生まれたヘブライ人です。律法について言えばファリサイ派の者、

3:6熱心さについて言えば教会を迫害する者、律法における義について言えば責められるところのない者でした。19

3:7しかし、私にとって利益だったものを、キリストのゆえに損失と見なすようになりました。

3:8それどころか、私の主キリスト・イエスを知ることの卓越した価値のゆえに、私はすべてを損失と見なしています。キリストのために私はすべてについて損失を被り、それらを汚物と見なしています。キリストを得て、20

3:9キリストにあって見いだされるためです。律法から来る自分の義を持つのではなく、キリストへの信仰を通して与えられる義、信仰に基づく、神からの義を持つためです。21

3:10私が求めるのは、キリストを知り、その復活の力と、その苦しみに参与することを知ることです。キリストの死と同じ形にされながら、

3:11何とかして、死者の中からの復活に達することができれば、と願っています。22

3:12すでに得たとか、すでに完成されたというのではありません。何とかつかみ取ろうと追い求めています。私自身がキリストにつかまえられたからです。23

3:13兄弟たち、私は自分がすでにつかみ取ったとは考えていません。ただ一つ、後ろにあるものを忘れ、前にあるものへ身を伸ばし、

3:14目標に向かって追い求めています。キリスト・イエスにあって、神が上へと召してくださる、その賞を目指しているのです。

3:15ですから、成熟した者はみな、このように考えましょう。もし何かについて違う考えを持っているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。

3:16ただ、私たちがすでに達したところに沿って、そのまま歩みを進めましょう。24

3:17兄弟たち、共に私に倣う者となってください。そして、あなたがたが私たちを模範としているとおりに歩んでいる人々に、目を向けてください。

3:18多くの人々が歩んでいるからです。その人々について、私は何度もあなたがたに話してきましたが、今は涙を流して言います。彼らはキリストの十字架の敵です。

3:19彼らの行き着く先は滅びです。彼らは腹を神とし、自分たちの恥を栄光とし、地上のことに思いを向けています。

3:20私たちの国籍は天にあります。そこから救い主、主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。25

3:21キリストは、すべてをご自身に従わせることさえできる、その力の働きによって、私たちの低い状態にある体を、ご自身の栄光の体と同じ形へと変えてくださいます。

第4章

4:1ですから、私の愛する、慕わしい兄弟たち、私の喜びであり冠である人々、愛する人々よ。このように、主にあって堅く立ってください。

4:2エウオディアに勧め、シンティケにも勧めます。主にあって同じ思いを抱いてください。

4:3そうです、真の同伴者よ、あなたにもお願いします。この二人を助けてください。彼女たちは、クレメンスやほかの同労者たちと共に、福音において私と一緒に奮闘した人々です。その人々の名は命の書に記されています。26

4:4いつも主にあって喜んでください。もう一度言います。喜んでください。

4:5あなたがたの寛容さが、すべての人に知られるようにしてください。主は近くにおられます。27

4:6何も思い煩わないでください。むしろ、どんなことでも、感謝を添えて祈りと願いをささげ、求めていることを神に伝えてください。

4:7そうすれば、あらゆる理解を超える神の平和が、キリスト・イエスにあって、あなたがたの心と思いを守ります。

4:8さて、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて重んじるべきこと、すべて正しいこと、すべて純粋なこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いこと、そのほか優れたものや称賛に値するものがあるなら、それらを心に留めてください。

4:9あなたがたが学び、受け取り、聞き、私のうちに見たことを、実行してください。そうすれば、平和の神があなたがたと共にいてくださいます。

4:10私は主にあって大いに喜びました。あなたがたの私への心遣いが、ついに再び花開いたからです。もとより気にかけていてくれたのですが、機会がなかったのです。

4:11乏しいからこう言っているのではありません。私は、どのような状況にあっても、満ち足りていることを学びました。

4:12乏しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹することも、飢えることも、豊かに持つことも、不足することも、どんな状況でも、あらゆることについて、その心得を学びました。

4:13私に力を与えてくださる方にあって、私はこれらすべてに対処できます。28

4:14それでも、あなたがたが私の苦難を共に分かち合ってくれたのは、良いことでした。

4:15フィリピの人々、あなたがたも知っているとおり、福音の初めのころ、私がマケドニアを出たとき、与えることと受けることの勘定で私と分かち合った教会は、あなたがただけでした。

4:16テサロニケにいたときにも、一度ならず二度までも、私の必要を満たすものを送ってくれました。

4:17私が求めているのは、贈り物そのものではありません。あなたがたの勘定に増し加わる実りを求めているのです。29

4:18私はすべてを受け取り、豊かに持っています。エパフロディトから、あなたがたの贈り物を受け取って、十分に満たされました。それは芳しい香り、神に喜ばれ、受け入れられるいけにえです。

4:19私の神は、ご自身の豊かさに応じて、キリスト・イエスにあって、栄光のうちに、あなたがたのあらゆる必要を満たしてくださいます。30

4:20私たちの神であり父である方に、世々限りなく栄光がありますように。アーメン。

4:21キリスト・イエスにあって聖なるすべての人に、よろしく伝えてください。私と共にいる兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。

4:22聖なる人々全員が、あなたがたによろしくと言っています。とりわけ、カエサルの家に属する人々が、そう言っています。31

4:23主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。

訳注

  1. 1:1の δοῦλοι は「奴隷」。キリストへの所属と奉仕を表す比喩を保持した。ἐπίσκοποι/διάκονοι は「監督者/奉仕者」とし、後代の司教・執事制度の具体的な職務や序列を補わない。ἅγιοι はキリストに結ばれた共同体の人々を指すと読んだ。本書の ἀδελφοί は「兄弟たち」とするが、4:2–3に女性の同労者も現れ、呼びかけが女性を除く指定だとは読まない。 ↩
  2. 1:5の κοινωνία εἰς τὸ εὐαγγέλιον は「福音のための参与」。4:14–18の物質的な支援と響き合うが、資金援助だけに限定しない。1:7の συγκοινωνοί、2:1・3:10の κοινωνία、4:14–15の同系語も、共に分かち合い参与する関係を表すと読んだ。 ↩
  3. 1:7の διὰ τὸ ἔχειν με ἐν τῇ καρδίᾳ ὑμᾶς は、με を不定詞の主語、ὑμᾶς を目的語として「私があなたがたを心に抱く」とした。いずれも対格なので「あなたがたが私を心に抱く」という分析も可能。福音の ἀπολογία/βεβαίωσις は「弁明/確かさを示すこと」とし、特定の法廷での出来事だとは断定しない。1:8の σπλάγχνα は深い内面的な愛情の比喩。δεσμοῖς μου は「私の拘束」であり、拘束されている主体を本文で明示した。 ↩
  4. 1:10の τὰ διαφέροντα は「優れているもの」と読んだ。「異なるもの」を区別するという読みも可能。ἀπρόσκοποι は本文では他者をつまずかせないこととしたが、自らつまずかず、非難を受けないあり方を指す読みもある。11節の「与えられる」は「イエス・キリストを通して」という関係を自然な日本語にした補い。1:11の εἰς δόξαν καὶ ἔπαινον θεοῦ は、義の実に満たされることが神の栄光と賛美に帰着する関係として訳した。 ↩
  5. 1:13の πραιτώριον は本文では集団として「親衛隊」と読んだが、総督の官邸など場所を指す可能性もある。この語だけから拘束地をローマに確定しない。ἐν Χριστῷ は拘束がキリストと関わるものとして知られたという意味に読み、「キリストのゆえに」とした。1:14のSBLGNT本文は τὸν λόγον で、名詞に修飾語を伴わない。 ↩
  6. 1:19の σωτηρία は「救い」。獄からの釈放だけに限定しない。20–23節が死を含めた希望を述べるため、神の前での救い・正しさの顕示も視野にあると読んだ。ἐπιχορηγία τοῦ πνεύματος は本文では「霊からの助け」としたが、霊そのものが供給されると読む余地もある。 ↩
  7. 1:22は省略を含む構文。「肉にあって生きるなら」という条件に、実りある働きという帰結を結び付けた。οὐ γνωρίζω は「分からない」としたが、「明らかにしない」という読みも検討余地がある。23節の ἀναλῦσαι は「去る」。文脈では死を通してキリストと共にいることと読むが、死の具体的な様態は補わない。ここでの「肉」は地上での身体的生活。 ↩
  8. 1:27の πολιτεύεσθε は市民として生活することを表す語。「生活する」とだけ訳さず、3:20の πολίτευμα との関係が見える形にした。「一つの霊」は人々の一致した精神とも、神の霊とも読めるので、本文では明確に限定しない。「福音の信仰」も福音への信仰と、その信仰の内容の双方を検討できる。28節のしるしは、敵対者を恐れず共に堅く立つ姿勢を受けると読んだ。28節の αὐτοῖς は与格、ὑμῶν は属格で、それぞれ「彼らにとって」「あなたがたの」と訳し分けた。しるしの受け手を敵対者側とする読みも可能。27–28節の分詞をつなぎ、29節の理由関係を明示した。 ↩
  9. 2:5の ἐν ὑμῖν は「あなたがたの間で」。ὃ καὶ ἐν Χριστῷ Ἰησοῦ には動詞がなく、本文はキリストにも見られる思いを指すと読んだ。「キリスト・イエスにあってあなたがたにふさわしい思い」という結び付け方も可能。2:1の励まし等を列挙する条件文は、それらの存在を訴えに用いる修辞として訳した。2:1の κοινωνία πνεύματος は、霊にあずかる交わりとも、霊による交わりとも分析できる。本文では前者を採った。 ↩
  10. 2:6の μορφῇ θεοῦ は「神の姿」。単なる見かけとも、後代の哲学的な本質概念とも本文で同一視しない。ἁρπαγμός の解釈が難しく、本文は「自分のために利用するもの」と読んだ。「奪い取るもの」「握りしめておくもの」とする読みも検討余地がある。τὸ εἶναι ἴσα θεῷ はその目的語で「神と等しくあること」。この節から特定の神学体系への結論を本文に補っていない。ὑπάρχων は状況を示す分詞で、本文では譲歩的に「存在していましたが」とした。分詞の形自体は譲歩に限定されず、理由を表す分析も検討できる。 ↩
  11. 2:7の ἑαυτὸν ἐκένωσεν は「自分を空しくした」。何を捨てたかという目的語はない。続く「奴隷の姿を取る」「人間と同じようになる」がそのあり方を説明すると読んだ。神性を失ったという説明は補わない。μορφή を「姿」、σχῆμα を「外に現れるありさま」と訳し分けた。人間の ὁμοίωμα を、人間でなかったという意味に決めつけない。 ↩
  12. 2:9の「名」が固有名「イエス」そのものか、11節の「主」と関わる称号かは、本文に説明を加えず保持した。10節の「イエスの名において」は ἐν τῷ ὀνόματι Ἰησοῦ。「天・地・地の下」の対象を特定の天使・人間・死者などに限定しない。膝をかがめ、舌で告白する表現には旧約との関連が考えられるが、引用元本文の独立確認は今回行っていない。 ↩
  13. 2:12の κατεργάζεσθε は救いを実際に成し遂げることを求める。「自力で救いを獲得する」という説明はない。次節は願いと実行の双方における神の働きを述べる。ἑαυτῶν は複数なので「自分たち」とし、個人だけでなく共同体の文脈を保持した。2:13の εὐδοκία は本文では神の良い意向と読んだ。所有を示す代名詞はなく、「ご自身の」は主語である神との関係からの補い。同語は1:15では人々の好意を表すが、ここで共同体の善意に結び付ける別解の採否は未確定。 ↩
  14. 2:16の ἐπέχοντες は「しっかり保つ」と読んだ。「差し出す」という読みも可能。原文は分詞で、15節の輝くあり方を述べる文に続く。日本語でも15–16節を接続し、「命の言葉を保つ」こととのつながりを保持した。「私の誇りとなり」は εἰς καύχημα ἐμοί の関係を明示したもの。 ↩
  15. 2:17の σπένδομαι は祭儀で液体を注ぐ比喩。「信仰のいけにえと奉仕に添えて」と訳し、信仰がささげられることや信仰から生じる奉仕を視野に入れる。パウロ自身の死を含み得るが、確定した死刑やその時期は述べていない。 ↩
  16. 2:25の ἀπόστολος はこの文脈で「あなたがたからの使者」。特定の使徒集団の一員だという意味に限定しない。συστρατιώτης は「共に戦う仲間」で、軍人という断定ではない。28節の「送ります」は過去形 ἔπεμψα を受取人の視点で述べる書簡的な表現と読んだ。λειτουργός は2:17・30の λειτουργία と同系語。「あなたがた」を使者と奉仕する人の双方に結び付け、後者では「あなたがたを代表して」と明示した。 ↩
  17. 2:30の ὑστέρημα は奉仕に不足していた分。「あなたがたにできなかった分」は、離れた人々の奉仕をエパフロディトが補ったと読む翻訳判断。怠慢を責める意味や支援の金額を補っていない。παραβολευσάμενος τῇ ψυχῇ は命を危険にさらすこと。μέχρι θανάτου は2:8と同じ句。ここでは ἤγγισεν(近づいた)と結び付くので、死亡したという意味にはしない。 ↩
  18. 3:2の κύνας は「犬ども」という強い罵倒。κατατομή は切りつけること・切断を表し、3節の περιτομή(割礼)と響き合う。本文では抽象名詞が指す相手を「者たち」として表した。切り刻む対象は原文に明示されていないので補っていない。論敵の確定した所属や民族、2節と18節の人々の同一性は断定しない。翻訳は著者の攻撃的な修辞を伝えるもので、その対象への敵意を支持するものではない。 ↩
  19. 3:3–6の「肉」は、身体そのものの悪さを意味するとせず、出自・割礼・宗教的な経歴を信頼の根拠とすることに関わると読んだ。「ヘブライ人から生まれたヘブライ人」から特定の家庭言語を断定しない。「責められるところのない」は律法における義についてのパウロの自己評価で、あらゆる意味で無罪だという説明にはしない。 ↩
  20. 3:7–8は利益と損失の語彙を重ねる。σκύβαλα は捨てる物・ごみ・排泄物などの語義を持つと読んだ。本文の「汚物」は評価の強さを保つ選択で、排泄物だけに意味を確定するものではない。「すべて」は文脈の中での価値比較であり、具体的な財産処分の一覧を補わない。 ↩
  21. 3:9の διὰ πίστεως Χριστοῦ は「キリストへの信仰を通して」と読んだ。属格 Χριστοῦ を信仰の対象とする判断であり、「キリストの信実を通して」という読みも可能。続く ἐπὶ τῇ πίστει は「信仰に基づく」。同じ語形の一義的な意味を証明した訳ではなく、追加校閲を要する重要な判断。 ↩
  22. 3:10の「私が求めるのは」は、9節から続く目的・説明の不定詞 τοῦ γνῶναι を日本語の独立文にした補い。苦しみへの参与と死に同じ形にされることの両方を保持した。3:11の εἴ πως は「何とかして」という願い・留保を含む。τὴν ἐξανάστασιν τὴν ἐκ νεκρῶν は「死者の中からの復活」で、特別な別種の復活という体系的解釈は補わない。 ↩
  23. 3:12の「得た」「つかみ取る」の目的語は明示されていない。復活・キリストを知ること・その目標という文脈を保持し、具体的な一語を補わなかった。ἐφ’ ᾧ は本文では「つかまえられたから」と因果的に読んだが、「そのために私もつかまえられた」という目的・関係の読みも可能。ここでのSBLGNT本文は ὑπὸ Χριστοῦ で、「キリストによって」を表す。3:14の ἄνω は「上へ」と読んだが、「上から」とする分析も検討できる。διώκω は3:6では「迫害する」、3:12・14では「追い求める」となる同じ動詞で、追求の対象の転換が現れる。 ↩
  24. 3:15の τέλειοι は「成熟した者」。12節の「完成された」と同系語だが、完全に到達したという自己評価と同じ意味にしない。16節は、すでに到達したところに即して歩みを進めるよう求める、命令的な不定詞と読んだ。τῷ αὐτῷ は到達したところを受け直すものとして「そのまま」に反映した。στοιχεῖν の歩みの具体的な像は、語義資料による追加確認の対象。 ↩
  25. 3:20の πολίτευμα は本文では「国籍」。所属する共同体・国家という読みもあり、近代の国籍制度と同一だという説明はしない。1:27の市民としての生活と対応する。「来られる」は天から救い主を待つ方向を明示した補い。21節は私たちの低い状態にある体とキリストの栄光の体を対比するので、身体そのものを汚物とする意味には読まない。 ↩
  26. 4:3の γνήσιε σύζυγε は「真の同伴者」。σύζυγος は同じくびきを負う相手を表すと読んだ。固有名「シジゴス」とする可能性もあるが、本文では呼びかけとした。相手を配偶者や特定の人物と断定しない。女性形の関係代名詞と4:2の二人の名から、「彼女たち」とした。対立の原因や解決方法は補わない。μετά 句は本文では「奮闘した」に結び付けた。「助けてください」に結び付け、クレメンスたちと共に二人を助けるよう求める分析も可能。命の書に名がある「その人々」の範囲は、直前の同労者たちか関係者全体かを本文で限定しない。ἐν τῷ εὐαγγελίῳ は奮闘の領域を表すものとして「福音において」とした。 ↩
  27. 4:5の ἐπιεικές は「寛容さ」。節度・柔和さ・相手に配慮する穏当さも含む語として読んだ。「主は近くにおられる」は ὁ κύριος ἐγγύς の時間的・空間的な近さを限定しない表現。再来の時期を明示した文に置き換えていない。SBLGNTは「すべての人」の後を句点、「近い」の後を上点としており、主の近さは6節の思い煩わない勧めとも結び付けて読める。 ↩
  28. 4:11の αὐτάρκης は、その状況で足りているあり方。12節の μεμύημαι は秘儀への入門を連想させる語だが、本文は「心得を学ぶ」とし、宗教儀礼への参加を補わない。13節の πάντα は直前の満腹・飢え・豊かさ・不足のすべてを受けると読み、「これらすべてに対処できる」とした。あらゆる願望の実現を述べる訳にはしない。SBLGNTの ἐν τῷ ἐνδυναμοῦντί με は「私に力を与える方にあって」を表す。4:12の「乏しく暮らす」は ταπεινοῦσθαι をこの文脈で訳したもの。2:8の「自分を低くした」、3:21の「低い状態」と同系語だが、経済的な不足とキリストのへりくだりを同一視しない。 ↩
  29. 4:15・17の λόγος は与える・受けることや実りが記される「勘定」と読んだ。17節は受取人たちに増し加わる実りを求めるのであって、寄付に応じた特定の利率や利益を約束するものとは訳さない。18節の芳しい香りといけにえは彼らの贈り物を神への供え物として描く比喩。特定の旧約本文の引用確認は今回行っていない。4:15の「福音の初め」は、宣教の開始か受け手の福音受容の開始かを原文が明示しないため、本文では限定しない。 ↩
  30. 4:19の ἐν δόξῃ は「栄光のうちに」。神が必要を満たすあり方として訳したが、「栄光のうちにある豊かさ」と結び付ける読みも可能。ἐν Χριστῷ Ἰησοῦ を保持し、金銭的な繁栄だけに限定しない。 ↩
  31. 4:22の「カエサルの家」は家に属する人々を指す。皇帝の血縁者だけに限定せず、奉仕する人々を含み得る表現として読んだ。その身分・居住地や手紙の執筆地は、この挨拶から確定しない。4:23は主の恵みが受け手たちの霊と共にあるよう願う文で終わる。 ↩

底本と翻訳について

底本はMichael W. Holmes編 The Greek New Testament: SBL Edition(SBLGNT、2010年、公式表示v1.2)。Copyright 2010 by the Society of Biblical Literature and Logos Bible Software。公式配布元の固定コミットのフィリピ書本文を用いました。SBLGNTはCC BY 4.0で提供されています。配布元のライセンス全文と無保証等の利用条件も参照してください。

本稿はギリシア語本文の日本語翻訳、章節ごとの整形、独自訳注の追加を含みます。原権利者・編集者・Faithlifeによる公認や推奨を示すものではありません。本日本語訳と独自訳注は、権利が成立し公開者に帰属する範囲で、CC BY 4.0により提供します。

AI利用について

2026年10月4日にCodexを用いて、SBLGNTのギリシア語本文から全4章104節の独立初稿を作成し、同じAIによる原文照合と自己点検を行いました。今回、近現代語のフィリピ書既訳は閲覧・入力・逐節照合していません。訳注は原文に対するAIの判断で、辞書・注解・歴史資料による独立検証、人間のギリシア語専門家による校閲、既訳との体系的な表現類似監査は未実施です。同日にClaude Code(Opus 5.5)による全104節・31注の校閲を受け、Codexが指摘を原文と照合し、採否を記録して本文・訳注を改訂しました。さらにClaude Code(Opus 5.5)による改訂稿全体の再校閲を受け、Codexが追加指摘の採否を記録して本文・訳注を更新しました。この追加改訂後の再々校閲は未実施です。なお誤りが残る可能性があります。

本書の奴隷への言及や論争相手に対する攻撃的表現は、古代本文の翻訳として保持しており、その制度や敵意への支持を意味しません。本稿は未公開の翻訳改訂稿です。