その他の書簡

ヘブライ人への手紙

ΠΡΟΣ ΕΒΡΑΙΟΥΣ

第1章

1:1神は昔、預言者たちを通して、幾度にもわたり、さまざまな仕方で先祖たちに語られました。

1:2そして、この終わりの日々には、御子を通して私たちに語られました。神は御子をすべてのものの相続者に定め、御子を通して世界をも造られたのです。1

1:3御子は神の栄光の輝き、神の本質をそのまま映す刻印であり、力ある言葉によってすべてのものを支えています。御子はご自身によって罪の清めを成し遂げ、高い天におられる威厳ある方の右に座られました。2

1:4御子は、天使たちよりはるかに優れた名を受け継いでおられるのに応じて、それだけ天使たちよりも優れた方となられたのです。

1:5神は、天使たちの誰に、かつてこう言われたでしょうか。「あなたは私の子。今日、私はあなたを生んだ」。また、「私は彼の父となり、彼は私の子となる」と。3

1:6そして、最初に生まれた方を再び世界へ導き入れるとき、神は言われます。「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」。4

1:7天使たちについては、「神はご自分の天使たちを風とし、ご自分に仕える者たちを火の炎とする」と言われます。5

1:8しかし、御子についてはこう言われます。「神よ、あなたの王座は永遠に続く。あなたの王国の杖は、公正を示す杖。

1:9あなたは正義を愛し、不法を憎んだ。それゆえ神、あなたの神は、あなたの仲間たちにまさって、あなたに喜びの油を注いだ」。6

1:10また、こうも言われます。「主よ、あなたは初めに地の基を据え、天もあなたの手の業です。

1:11それらは滅びても、あなたはとどまります。それらは皆、衣のように古び、

1:12あなたはそれらを上着のように巻き、衣のように、それらは取り替えられます。しかし、あなたは変わらず、あなたの年月は尽きません」。7

1:13神は、天使たちの誰に、かつてこう言われたでしょうか。「私の右に座れ。私があなたの敵を、あなたの足を置く台とするまで」。8

1:14天使たちは皆、奉仕する霊であり、救いを受け継ぐことになる人々のために、仕えるよう遣わされているのではありませんか。

第2章

2:1だからこそ、私たちは聞いたことにいっそう心を留めなければなりません。流されて、それを離れてしまわないためです。

2:2天使たちを通して語られた言葉が確かなものであり、どのような違反も不従順も、当然の報いを受けたのなら、

2:3これほど大きな救いをなおざりにして、私たちはどうして逃れられるでしょう。この救いは、初めに主によって語られ、聞いた人々によって、私たちにも確かなものとして伝えられました。

2:4神も、しるし、不思議な業、さまざまな力ある業、そしてご自身の意志に従って聖霊を分け与えることによって、共に証ししてくださいました。

2:5私たちが語っている来るべき世界を、神は天使たちの支配の下には置かれなかったのです。

2:6ある人が、ある箇所でこう証言しています。「人とは何者なのでしょう、あなたが心に留めてくださるとは。人の子とは何者なのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。

2:7あなたは彼を、しばらくの間、天使たちより低い者とし、栄光と誉れの冠を授け、

2:8すべてのものをその足の下に従わせました」。すべてのものを彼に従わせたのですから、神は、従わないものを何一つ残されませんでした。しかし今、私たちはまだ、すべてのものが彼に従っているのを見てはいません。9

2:9けれども、しばらくの間、天使たちより低い者とされたイエスを見ています。死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を授けられたイエスです。それは、神を離れて、すべての者のために死を味わうためでした。10

2:10というのも、すべてのものがその方のために存在し、その方を通して存在する神が、多くの子らを栄光へ導くにあたり、彼らの救いを切り開く方を、苦しみを通して完成へ導かれたのは、ふさわしいことだったからです。11

2:11聖なる者とする方も、聖なる者とされる人々も、皆、一つの源から出ているからです。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としません。12

2:12こう言っておられます。「私はあなたの名を私の兄弟たちに告げ知らせ、集会のただ中で、あなたを歌いほめます」。

2:13また、「私はこの方に信頼を置きます」。さらに、「見よ、私と、神が私に与えてくださった子どもたち」と。13

2:14こうして子どもたちが血と肉を共有しているので、イエスご自身も同じように、それにあずかられました。死を通して、死の力を持つ者、すなわち悪魔を無力にし、

2:15死への恐れのために、生涯にわたって奴隷の状態に縛られていた人々を、解き放つためです。

2:16確かに、イエスが手を差し伸べてくださるのは天使たちではなく、アブラハムの子孫なのです。

2:17それゆえ、イエスはあらゆる点で兄弟たちに似た者とされる必要がありました。神にかかわる事柄において、憐れみ深く忠実な大祭司となり、民の罪を償うためです。14

2:18ご自身が試練に遭って苦しまれたからこそ、試練に遭う人々を助けることがおできになるのです。

第3章

3:1ですから、聖なる兄弟たち、天からの召しに共にあずかる人々、私たちが告白する使徒であり大祭司であるイエスを、よく見つめてください。

3:2イエスは、ご自分を任命した方に忠実な方です。モーセも、その方の家にあって忠実だったようにです。

3:3というのも、家を造った者が家そのものより大きな誉れを受ける分だけ、イエスはモーセより大きな栄光に値するとされているからです。

3:4どの家にも、それを造った者がいます。そして、すべてのものを造った方は神です。

3:5モーセは、後に語られる事柄を証しするため、仕える者として、神の家全体にあって忠実でした。

3:6しかし、キリストは御子として、その家を治める方です。そして、私たちが大胆さと、希望に基づく誇りをしっかり保つなら、私たちこそ、その家なのです。15

3:7だから、聖霊がこう言われるとおりです。「今日、あなたがたがその声を聞くなら、

3:8心をかたくなにしてはならない。神に逆らったときのように、荒れ野で神を試した日のように。

3:9そこで、あなたがたの先祖は私を試して確かめ、私の業を見た、

3:10四十年もの間。それゆえ私はこの世代に憤り、言った。『彼らはいつも心において迷い、私の道を知ることがなかった』。

3:11そして、怒りのうちに誓った。『彼らは決して私の安息に入ることはない』」。16

3:12兄弟たち、気をつけてください。あなたがたの誰のうちにも、不信仰の悪い心が生じ、生ける神から離れてしまうことのないように。

3:13むしろ、「今日」と呼ばれる時が続く限り、日々、互いに励まし合ってください。誰一人、罪に欺かれて、かたくなにならないためです。

3:14私たちは、初めに抱いた確信を最後まで揺るがず保つなら、キリストに共にあずかる者となっているのです。

3:15こう言われています。「今日、あなたがたがその声を聞くなら、神に逆らったときのように、心をかたくなにしてはならない」。

3:16聞いたのに逆らったのは、誰だったでしょうか。モーセに導かれてエジプトを出た、すべての人々ではありませんか。

3:17神は四十年もの間、誰に憤られたのでしょうか。罪を犯し、その遺体が荒れ野に倒れた人々ではありませんか。

3:18ご自身の安息に入ることはないと、神は誰に誓われたのでしょうか。従わなかった人々にではありませんか。

3:19こうして、彼らが入ることのできなかったのは、不信仰のためだったと分かります。

第4章

4:1ですから、神の安息に入るという約束がなお残されているのに、あなたがたの誰かがそれに届かなかったと見なされることのないよう、恐れをもって気をつけましょう。

4:2私たちにも、彼らと同じように、良い知らせが告げられたからです。しかし、聞いた言葉は彼らの益になりませんでした。信仰によって、それを聞き入れた人々と結ばれなかったからです。17

4:3信じた私たちは、その安息に入るのです。神が「怒りのうちに誓った。『彼らは決して私の安息に入ることはない』」と言われたとおりです。もっとも、神の業は世界の基が据えられた時から、すでに成し遂げられていました。

4:4ある箇所で、第七の日についてこう言われているからです。「神は第七の日に、ご自分のすべての業を終えて休まれた」。18

4:5また、この箇所では、「彼らは決して私の安息に入ることはない」と言われています。

4:6こうして、そこに入る機会は、ある人々のためになお残されています。そして、以前に良い知らせを受けた人々は、不従順のために入らなかったのです。

4:7だから神は、再びある日を、「今日」と定められました。それから長い時を経て、ダビデを通して、すでに引用したとおりに言われたのです。「今日、あなたがたがその声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」。

4:8もしヨシュアが彼らに安息を与えていたなら、神はその後に、別の日について語られなかったでしょう。19

4:9ですから、神の民のためには、安息日の休みがなお残されています。

4:10神の安息に入った人は、神がご自分の業を終えて休まれたように、自分もその業を終えて休むからです。

4:11それゆえ、私たちはその安息に入ることを目指して励みましょう。誰も、同じ不従順の例にならって倒れることのないためです。

4:12神の言葉は生きており、力をもって働き、どんな両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるところにまで貫き、心の思いと意図を見分けるからです。

4:13神の前に隠れた被造物は一つもありません。私たちが申し開きをしなければならない方の目には、すべてが裸で、あらわにされています。

4:14こうして私たちには、もろもろの天を通って行かれた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、私たちの告白をしっかり保ちましょう。

4:15私たちの大祭司は、私たちの弱さに共感できない方ではありません。あらゆる点で、私たちと同じように試練に遭われましたが、罪はありませんでした。

4:16ですから、恵みの王座に大胆に近づきましょう。憐れみを受け、恵みを見いだし、必要な時に助けていただくためです。

第5章

5:1大祭司は皆、人々の中から選ばれ、人々のために、神にかかわる事柄を担うよう任命されます。罪のために、供え物といけにえをささげるためです。

5:2大祭司は、自分自身も弱さをまとっているので、無知な人や迷っている人に、穏やかに接することができます。

5:3そして、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。

5:4誰もこの誉れを自分のために勝手に得るのではなく、アロンのように、神から召されるのです。

5:5同じように、キリストも、大祭司となる栄光をご自分で自分に与えたのではありません。「あなたは私の子。今日、私はあなたを生んだ」と語りかけた方が、その栄光をお与えになったのです。

5:6別の箇所でも、神はこう言われます。「あなたは永遠に祭司である。メルキゼデクのあり方に従って」。20

5:7キリストは、肉にあって生きていた日々に、ご自分を死から救うことのできる方へ、激しい叫びと涙をもって、願いと嘆願をささげました。そして、その敬虔な畏れのゆえに、聞き入れられました。21

5:8御子でありながら、苦しまれたことを通して、従順を学ばれたのです。

5:9そして、完成へ導かれ、ご自分に従うすべての人々にとって、永遠の救いをもたらす方となられました。

5:10神から、メルキゼデクのあり方に従う大祭司と呼ばれたのです。

5:11このことについて、私たちには語るべきことが多くありますが、説明するのは難しいのです。あなたがたの聞く力が鈍くなっているからです。

5:12時間からすれば、すでに教える者になっているはずなのに、神の言葉の初歩の基礎を、もう一度誰かに教えてもらう必要があります。あなたがたは、固い食物ではなく、乳を必要とする者になってしまいました。

5:13乳を飲んでいる者は皆、義についての言葉に通じていません。まだ幼い子だからです。

5:14固い食物は、成熟した人々のためのものです。その人々は、習慣的な実践によって感覚を鍛え、善と悪を見分けることができます。

第6章

6:1ですから、キリストについての初歩の教えを離れ、成熟へと進んでいきましょう。死んだ業からの悔い改め、神への信仰、

6:2洗いの儀式についての教え、手を置くこと、死者の復活、永遠の裁きといった基礎を、もう一度据え直すのではありません。22

6:3神がお許しになるなら、私たちはそうするつもりです。

6:4一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、

6:5神の良い言葉と、来るべき世の力を味わったのに、

6:6その後に離れ去った人々を、もう一度新しくして、悔い改めに至らせることはできません。彼らは、自分たちの側で神の子を再び十字架につけ、公然と辱めているからです。23

6:7土地は、その上に繰り返し降る雨を吸い込み、耕されることで益を受ける人々に役立つ草を生じさせるなら、神から祝福を受けます。

6:8しかし、茨とあざみを生じさせるなら、役に立たないとされ、呪いが迫っています。その行き着く先は、焼かれることです。

6:9けれども、愛する人々、私たちはこのように語ってはいても、あなたがたについては、より良いこと、救いに結びつくことを確信しています。

6:10神は不義な方ではありませんから、あなたがたの働きと、神の名に対して示した愛を、お忘れにはなりません。あなたがたは聖なる人々に仕え、今も仕え続けているのです。

6:11私たちは、あなたがた一人ひとりが最後まで同じ熱意を示し、希望の確かさを十分に保ってほしいと願っています。

6:12鈍くならず、信仰と忍耐によって約束を受け継ぐ人々にならう者となるためです。

6:13神はアブラハムに約束されたとき、ご自身より偉大な者にかけて誓うことができなかったので、ご自身にかけて誓い、

6:14「私は必ずあなたを祝福し、必ずあなたを増やす」と言われました。24

6:15こうしてアブラハムは、忍耐の末に、約束されたものを得ました。

6:16人は自分より偉大な者にかけて誓います。そして誓いは、確証を与え、あらゆる言い争いに決着をつけるものです。

6:17そこで神は、約束を受け継ぐ人々に、ご自分の意図が変わらないことをいっそう明らかに示そうと願い、誓いをもって保証されました。

6:18それは、変わることのない二つの事柄によって、目の前に置かれた希望をしっかりつかもうと逃れて来た私たちが、強い励ましを得るためです。この二つにおいて、神が偽ることはありえません。25

6:19この希望を、私たちは魂の錨として持っています。それは安全で、揺るがず、垂れ幕の内側にまで入っていくものです。

6:20そこへイエスは、私たちのために先駆けとして入られました。メルキゼデクのあり方に従う永遠の大祭司となられたのです。

第7章

7:1このメルキゼデクは、サレムの王、いと高き神の祭司です。王たちを討って帰るアブラハムを迎え、祝福した人です。

7:2アブラハムは彼に、すべてのものの十分の一を分け与えました。その名を訳すと、まず「正義の王」、そしてサレムの王、すなわち「平和の王」です。

7:3父もなく、母もなく、系図もなく、日々の始まりも命の終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司であり続けます。26

7:4この人がどれほど偉大か、考えてみてください。族長アブラハムさえ、戦利品の最上のものから、彼に十分の一を与えたのです。

7:5レビの子らのうち、祭司の務めを受ける者たちは、律法に従って、民から十分の一を受け取るよう命じられています。民とは、彼らの兄弟たちです。彼らもまた、アブラハムから生まれた人々なのですが。

7:6しかし、この人はレビの子らに連なる系図を持たないのに、アブラハムから十分の一を受け取り、約束を持つ人を祝福しました。

7:7議論の余地なく、より小さい者が、より優れた者から祝福を受けるのです。

7:8一方では、死んでいく人間が十分の一を受け取りますが、他方では、生きていると証しされる者が受け取っています。

7:9いわば、十分の一を受け取るレビも、アブラハムを通して、十分の一を納めたのです。

7:10メルキゼデクがアブラハムを迎えたとき、レビはまだ、その先祖の体の内にいたからです。

7:11さて、もしレビ系の祭司職によって完成がもたらされるのなら、どうしてなお、アロンのあり方に従うとは呼ばれず、メルキゼデクのあり方に従う別の祭司が現れる必要があったのでしょうか。民は、レビ系の祭司職を基盤として、律法を与えられたのです。

7:12祭司職が変わるなら、必然的に、律法にも変更が生じます。

7:13これらのことが語られている方は、別の部族に属しています。その部族からは、誰も祭壇に仕えたことがありません。

7:14私たちの主がユダから出られたことは、明らかです。そして、モーセはこの部族について、祭司に関することを何も語っていません。

7:15メルキゼデクと同じような別の祭司が現れるなら、このことはいっそう明らかになります。

7:16この方は、肉にかかわる規定の律法によってではなく、滅びることのない命の力によって、祭司となられたのです。27

7:17この方について、「あなたは永遠に祭司である。メルキゼデクのあり方に従って」と証しされているからです。

7:18一方で、以前の規定は、その弱さと役に立たないことのために、廃止されます。

7:19律法は何ものも完成へ導かなかったからです。他方で、いっそう優れた希望がもたらされ、私たちはそれによって神に近づきます。

7:20しかも、これは誓いを伴っています。ほかの者たちは、誓いなしに祭司となりましたが、

7:21この方は、こう語られた方の誓いによって祭司となられました。「主は誓った。その決意を変えることはない。『あなたは永遠に祭司である』」。

7:22その分だけ、イエスは、いっそう優れた契約の保証人となられたのです。

7:23ほかの祭司たちは、多くの者が次々にその務めに就きました。死によって、続けることを妨げられたからです。

7:24しかし、イエスは永遠にとどまるので、その祭司職は変わることがありません。

7:25それゆえ、ご自分を通して神に近づく人々を、余すところなく救うことがおできになります。いつも生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。28

7:26このような大祭司こそ、私たちにふさわしい方でした。聖く、悪意がなく、汚れがなく、罪人たちから分けられ、もろもろの天よりも高くなられた方です。

7:27この方には、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次いで民の罪のために、日ごとにいけにえをささげる必要がありません。ご自身をささげることで、ただ一度、それを成し遂げられたからです。29

7:28律法は、弱さを持つ人間を大祭司に任命します。しかし、律法の後に与えられた誓いの言葉は、永遠に完成された御子を任命するのです。

第8章

8:1これまで述べてきたことの要点は、私たちにはこのような大祭司がおられる、ということです。この方は、天におられる威厳ある方の王座の右に座り、

8:2聖所と、真の幕屋に仕えておられます。その幕屋を建てたのは主であり、人間ではありません。

8:3大祭司は皆、供え物といけにえをささげるために任命されます。ですから、この方も、何かささげるものを持つ必要があります。

8:4仮に地上におられたなら、この方は祭司でさえなかったでしょう。律法に従って供え物をささげる者たちが、すでにいるからです。

8:5彼らが礼拝の務めを行うのは、天上のものの写しであり、影であるものにおいてです。モーセが幕屋を造ろうとしていたとき、神から指示を受けたとおりです。「心して、山であなたに示された型に従って、すべてを造りなさい」と言われたのです。30

8:6しかし今、この方は、いっそう優れた務めを得ておられます。それは、いっそう優れた約束に基づいて制定された、いっそう優れた契約の仲介者であられることに対応しています。

8:7もしあの最初の契約に欠けたところがなかったなら、第二の契約のための場所が求められることはなかったでしょう。

8:8神は彼らを責めて、こう言われるからです。「見よ、日々が来る、と主は言う。私はイスラエルの家とユダの家に、新しい契約を結ぶ。

8:9それは、彼らの先祖の手を取り、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らが私の契約にとどまらず、私も彼らを顧みなかったからだ、と主は言う。

8:10それらの日々の後、私がイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言う。私は自分の律法を彼らの思いの内に置き、その心に書き記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。

8:11もはや、同じ民の仲間や兄弟に、一人ひとりが『主を知れ』と教えることはない。小さい者から大きい者まで、彼らは皆、私を知るからだ。

8:12私は彼らの不義に対して憐れみ深くあり、彼らの罪をもはや決して思い起こさない」。31

8:13神は「新しい」と言うことで、最初の契約を古いものとされました。古くなり、老いていくものは、消え去る時が近づいています。32

第9章

9:1さて、最初の契約にも、礼拝の規定と、地上の聖所がありました。

9:2幕屋が設けられ、その最初の区画には、燭台と机、そして供えのパンが置かれていました。そこは「聖所」と呼ばれます。

9:3第二の垂れ幕の奥には、「至聖所」と呼ばれる幕屋の区画があり、

9:4金の香壇と、全面を金で覆われた契約の箱を伴っていました。箱の中には、マナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板がありました。33

9:5その上では、栄光のケルビムが、贖いの蓋を覆うように影を落としていました。今は、これらについて細かく述べることはできません。

9:6これらがこのように整えられた上で、祭司たちは、礼拝の務めを果たすため、いつも最初の区画に入ります。

9:7しかし、第二の区画には、年に一度、大祭司だけが入ります。必ず血を携え、自分自身のためと、民が知らずに犯した罪のために、それをささげます。

9:8聖霊は、このことによって示しておられます。最初の幕屋がなお存続している間は、聖所へ至る道が、まだ明らかにされていないということです。63

9:9この幕屋は、今の時のためのたとえです。この仕組みに従って供え物といけにえがささげられていますが、それらは、礼拝する人の良心を完成へ導くことができません。

9:10ただ、食べ物、飲み物、さまざまな洗いの儀式にかかわるものであり、秩序が改められる時まで課されている、肉に関する規定なのです。

9:11しかし、キリストは、すでに実現した良いものの大祭司として来られ、人の手で造られたのではない、つまりこの被造世界に属さない、いっそう大きく、いっそう完全な幕屋を通り、34

9:12山羊や子牛の血によってではなく、ご自身の血によって、ただ一度、聖所に入り、永遠の解放を獲得されたのです。

9:13山羊と雄牛の血、そして、汚れた人々に振りかけられる雌牛の灰が、人々を聖なるものとし、肉の清さをもたらすのなら、

9:14キリストの血は、なおさら、私たちの良心を死んだ業から清め、生ける神に仕えさせてくれるのです。キリストは、永遠の霊を通して、ご自身を傷のない者として神にささげられたのです。35

9:15それゆえ、この方は新しい契約の仲介者です。それは、最初の契約の下で犯された違反からの解放のために死が起こったことによって、召された人々が、約束された永遠の相続を受けるためです。

9:16遺言がある場合には、遺言をした者の死が確かめられる必要があります。

9:17遺言は、死があって初めて確かな効力を持つからです。遺言をした者が生きている間には、決して効力を持ちません。36

9:18だから、最初の契約も、血なしに開始されたのではありません。

9:19モーセは、律法に従って、すべての戒めを民全体に語った後、子牛の血を、水、赤い羊毛、ヒソプと共に取り、書そのものと民全体に振りかけ、

9:20「これは、神があなたがたに命じられた契約の血である」と言いました。37

9:21幕屋と、礼拝の務めに用いるすべての器具にも、同じように血を振りかけました。

9:22律法によれば、ほとんどすべてのものが血によって清められ、血を流すことなしに、赦しは生じません。

9:23ですから、天にあるものの写しは、これらによって清められる必要があり、天上のもの自体は、これらより優れたいけにえによって清められる必要があります。38

9:24キリストが入られたのは、真の聖所を写した、人の手で造られた聖所ではありません。天そのものに入り、今、私たちのために神の御前に現れてくださっているのです。

9:25大祭司が、年ごとに、自分のものではない血を携えて聖所に入るように、何度もご自身をささげるためではありません。

9:26もしそうなら、世界の基が据えられた時から、何度も苦しまなければならなかったでしょう。しかし今、時代の終わりに、ただ一度、ご自身のいけにえによって罪を取り除くために、現れたのです。

9:27人間には、一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定められています。

9:28同じように、キリストも、多くの人々の罪を担うために、一度ささげられました。そして二度目には、罪にかかわることを離れ、ご自分を待ち望む人々に、救いのために現れます。39

第10章

10:1律法が持っているのは、来るべき良いものの影であって、その実体を示す姿そのものではありません。ですから、年ごとに、いつまでもささげられ続ける同じいけにえによって、近づく人々を完成へ導くことは、決してできません。

10:2もしできたのなら、いけにえはささげられなくなったはずではありませんか。礼拝する人々が一度清められれば、もはや罪を意識することがなくなるからです。

10:3しかし、それらのいけにえによって、年ごとに罪が思い起こされるのです。

10:4雄牛と山羊の血が、罪を取り去ることはできないからです。

10:5それゆえ、キリストは世界に入るとき、こう言われます。「あなたはいけにえと供え物を望まず、私のために体を備えてくださいました。

10:6焼き尽くす供え物と、罪のためのささげ物を、あなたは喜ばれませんでした。

10:7そこで私は言いました。『見てください、私は来ました。巻物に私について書かれているとおりに、神よ、あなたの意志を行うために』」。40

10:8まず、「いけにえ、供え物、焼き尽くす供え物、罪のためのささげ物を、あなたは望まず、喜ばれなかった」と言っています。これらは、律法に従ってささげられるものです。

10:9それから、「見てください、私は来ました。あなたの意志を行うために」と言っています。第二のものを立てるため、最初のものを取り除いているのです。

10:10この意志によって、私たちは、イエス・キリストの体がただ一度ささげられたことを通して、聖なる者とされています。

10:11どの祭司も、日ごとに立って務めを果たし、罪を決して取り除くことのできない、同じいけにえを何度もささげています。

10:12しかし、この方は、罪のために、いつまでも〔効力を持つ〕ただ一つのいけにえをささげ、神の右に座られました。41

10:13それ以後は、敵がご自分の足を置く台とされるまで、待っておられます。

10:14一つのささげ物によって、聖なる者とされる人々を、いつまでも完成された者とされたからです。

10:15聖霊も、私たちに証ししてくださいます。というのも、こう言われた後、

10:16「それらの日々の後、私が彼らと結ぶ契約はこれである、と主は言う。私は自分の律法を彼らの心に置き、その思いの内に書き記す」、

10:17「そして、彼らの罪と不法を、もはや決して思い起こさない」〔と言われるのです〕。

10:18これらが赦されるところでは、もはや罪のためのささげ物はありません。

10:19こうして、兄弟たち、私たちはイエスの血によって、聖所に入る大胆さを持っています。

10:20イエスは、垂れ幕を通る、すなわちご自身の肉を通る、新しい、生きた道を、私たちのために開いてくださいました。42

10:21そして、私たちには、神の家を治める偉大な祭司がおられます。

10:22ですから、真実な心で、信仰の確信に満たされて、近づきましょう。私たちの心は振り清められ、悪い良心から解き放たれ、体は清い水で洗われているのです。

10:23希望の告白を、揺らぐことなく、しっかり保ちましょう。約束された方は忠実だからです。

10:24また、互いによく心を配り、愛と良い業へと奮い立たせ合いましょう。

10:25ある人々の習慣になっているように、自分たちの集まりを捨ててしまわず、励まし合いましょう。その日が近づいているのを見るのですから、なおさらそうしましょう。

10:26真理を深く知るようになった後も、私たちが故意に罪を犯し続けるなら、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

10:27残されているのは、裁きを待つ恐ろしさと、敵対する者たちを焼き尽くそうとする、燃え盛る火だけです。

10:28モーセの律法を拒んだ者は、二人か三人の証人の証言に基づき、憐れみを受けずに死にます。

10:29では、神の子を踏みにじり、自分を聖なる者とした契約の血をありふれたものと見なし、恵みの霊を侮辱した者は、どれほど重い刑罰に値するとされるでしょうか。あなたがたは、どう思いますか。43

10:30私たちは、こう言われた方を知っているからです。「報復は私のもの。私が報いる」。また、「主はご自分の民を裁かれる」と。44

10:31生ける神の手に落ちることは、恐ろしいことです。

10:32しかし、以前の日々を思い起こしてください。あなたがたは光に照らされた後、苦しみの大きな闘いを耐え抜きました。

10:33あるときは、侮辱と苦難の中で見せ物にされ、あるときは、そのような扱いを受ける人々の仲間となりました。

10:34獄につながれた人々の苦しみを共にし、自分たちの財産が奪われても、喜んで受け入れたのです。あなたがた自身が、いっそう良い、いつまでも残る財産を持っていると知っていたからです。

10:35ですから、あなたがたの大胆さを捨てないでください。それには、大きな報いがあります。

10:36あなたがたには忍耐が必要です。神の意志を行い、約束されたものを受けるためです。

10:37「もう少し、ほんの少しで、来るべき方は来る。遅れることはない。

10:38私の正しい者は、信仰によって生きる。しかし、もし退くなら、私の心はその者を喜ばない」。45

10:39けれども私たちは、退いて滅びに至る者ではなく、信じて命を保つ者なのです。

第11章

11:1信仰は、希望していることの確かな支えであり、目に見えない事柄の確証です。46

11:2昔の人々は、この信仰によって証しを受けたのです。

11:3信仰によって、私たちは、世界が神の言葉によって整えられ、したがって見えるものが目に現れるものから生じたのではないことを理解します。

11:4信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神にささげました。それによって、正しい者であるとの証しを受けたのです。神が、彼の供え物について証ししてくださいました。そして、それによって、彼は死んだ後も、なお語っています。64

11:5信仰によって、エノクは移され、死を見ずに済みました。神が彼を移されたので、見つからなくなりました。移される前に、神に喜ばれたと証しされているからです。

11:6信仰なしに、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、ご自分を求める人々に報いてくださることを、信じなければならないからです。

11:7信仰によって、ノアは、まだ見えない事柄について神から警告を受け、畏れをもって、自分の家族を救うために箱舟を造りました。それによって世を罪ありとし、信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。65

11:8信仰によって、アブラハムは、召されたときに従い、相続として受けることになる土地へ出て行きました。どこへ行くのかを知らないまま、出て行ったのです。

11:9信仰によって、彼は約束の地に、よその土地にいるように寄留し、同じ約束を共に受け継ぐイサク、ヤコブと共に、天幕に住みました。

11:10神が設計し、造られる、基礎のある都を待ち望んでいたからです。

11:11信仰によって、アブラハムは、サラ自身との間に子をもうける力をも受けました。年齢の盛りを過ぎていましたが、約束された方は忠実だと考えたからです。47

11:12それゆえ、一人の人から、しかも命の力を失ったも同然の人から、天の星のように多く、海辺の砂のように数えきれない人々が生まれました。

11:13この人々は皆、信仰に従って死にました。約束されたものを受けなかったものの、それを遠くから見て迎え入れ、地上ではよそから来た者、仮住まいの者であると告白したのです。

11:14このように言う人々は、故郷を求めていることを、明らかにしています。

11:15もし、出て来た故郷のことを思っていたのなら、帰る機会はあったでしょう。

11:16しかし、彼らが切望するのは、いっそう良い故郷、すなわち天にある故郷です。それゆえ神は、彼らの神と呼ばれることを恥とされません。彼らのために都を備えられたからです。

11:17信仰によって、アブラハムは、試されたときにイサクをささげました。約束を受け入れたその人が、ただ一人の子をささげようとしたのです。48

11:18彼には、「イサクにおいて、あなたの子孫と呼ばれる者が生じる」と語られていました。

11:19それでも、神は死者の中からさえ起こすことがおできになる、と考えたのです。ですから、たとえとして言えば、彼はイサクを死者の中から取り戻したのです。

11:20信仰によって、イサクは、来るべきことについても、ヤコブとエサウを祝福しました。

11:21信仰によって、ヤコブは、死に際して、ヨセフの息子たちを一人ずつ祝福し、杖の先に寄りかかって礼拝しました。49

11:22信仰によって、ヨセフは、最期に際して、イスラエルの子らが出て行くことに言及し、自分の骨について指示しました。

11:23信仰によって、モーセは、生まれた後、両親に三か月間隠されました。両親は子の美しさを見て、王の命令を恐れなかったのです。

11:24信仰によって、モーセは、成長したとき、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒みました。

11:25罪の楽しみを一時の間味わうよりも、神の民と共に苦しめられることを選んだのです。

11:26キリストの辱めを、エジプトの宝より大きな富と考えました。報いに目を向けていたからです。50

11:27信仰によって、彼は、王の怒りを恐れず、エジプトを去りました。目に見えない方を見ているようにして、耐え抜いたからです。

11:28信仰によって、彼は、過越と血を注ぎかけることを行いました。最初に生まれた者たちを滅ぼす者が、彼らに触れないためです。

11:29信仰によって、人々は、乾いた地を通るように紅海を渡りました。しかし、エジプト人たちが同じことを試みると、のみ込まれました。

11:30信仰によって、エリコの城壁は、七日間、周囲を回られた後に崩れ落ちました。

11:31信仰によって、娼婦ラハブは、従わなかった人々と共に滅びませんでした。偵察に来た人々を、平和のうちに迎え入れたからです。

11:32これ以上、何を言いましょう。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、そして預言者たちについて語れば、時間が足りなくなるでしょう。

11:33彼らは信仰によって、王国を打ち破り、正義を行い、約束されたものを得、獅子の口を閉ざし、

11:34火の力を消し、剣の刃を逃れ、弱さから力を与えられ、戦いで強い者となり、異国の軍勢を退かせました。

11:35女たちは、死んだ身内を、復活によって取り戻しました。他方、拷問を受けても解放を受け入れなかった人々もいました。いっそう優れた復活を得るためです。

11:36また、あざけりや鞭打ちを経験し、そればかりか、鎖につながれ、獄に入れられた人々もいました。

11:37石を投げつけられ、のこぎりでひかれ、剣で殺されました。羊の皮や山羊の皮を着て歩き回り、乏しくされ、苦しめられ、虐げられました。

11:38世は、この人々にふさわしいものではありませんでした。彼らは荒れ野や山々、洞窟や地の穴をさまよったのです。

11:39この人々は皆、信仰によって証しを受けましたが、約束されたものを受け取りませんでした。

11:40神が、私たちのために、いっそう良いことをあらかじめ備えておられたからです。彼らが私たちを離れて完成されることのないためでした。

第12章

12:1ですから私たちも、これほど大きな、雲のような証人たちに囲まれているのですから、あらゆる重荷と、容易に絡みつく罪を取り除き、私たちの前に置かれた競走を、忍耐をもって走り抜きましょう。

12:2信仰を切り開き、完成へ導くイエスに、目を向けながら。この方は、目の前に置かれた喜びのゆえに、恥をものともせず、十字架を耐え抜き、神の王座の右に座しておられます。51

12:3罪人たちによる、彼ら自身に向かうこれほどの反抗を耐え抜いたこの方を、よく考えてください。あなたがたが心に疲れ、力を失ってしまわないためです。52

12:4あなたがたは、罪と闘う中で、まだ血を流すまで抵抗したことはありません。

12:5そして、あなたがたに子らとして語りかける励ましを、忘れてしまっています。「私の子よ、主の訓練を軽んじるな。主から正されても、力を失うな。

12:6主は愛する者を訓練し、受け入れる子を皆、鞭打たれるからだ」。53

12:7訓練として、耐え忍んでください。神はあなたがたを、子らとして扱っておられます。父から訓練を受けない子が、いるでしょうか。

12:8すべての子らがあずかっている訓練を受けないのなら、あなたがたは、正規の子として認められない者であり、子ではありません。

12:9さらに、私たちには、訓練してくれる肉の父たちがいて、私たちはその父たちを敬いました。そうであれば、霊たちの父には、なおさら従い、そして生きるのではありませんか。

12:10肉の父たちは、しばらくの間、自分たちが良いと思う仕方で訓練しましたが、神は、私たちの益のため、ご自身の聖さにあずからせようとして、訓練してくださるのです。

12:11どの訓練も、その時には、喜ばしいものではなく、悲しいものに思えます。しかし後には、それによって鍛えられた人々に、義という、平和をもたらす実を結ばせます。

12:12だから、力なく垂れた手と、弱って動かない膝を、まっすぐにし、

12:13あなたがたの足のために、まっすぐな道を造ってください。足の不自由な者が道をそれず、むしろ癒やされるためです。54

12:14すべての人との平和、そして聖なる者となることを追い求めてください。聖なる者となることなしには、誰も主を見ることはありません。

12:15気を配ってください。誰も神の恵みから取り残されないように。苦い根が生え出て悩ませ、それによって多くの人が汚されることのないように。

12:16また、誰も、不品行な者、あるいは、一食のために長子の権利を売ったエサウのように、聖なるものを軽んじる者とならないように。

12:17あなたがたも知っているとおり、彼は後になって、祝福を受け継ぎたいと願いましたが、退けられました。涙を流して求めても、思いを変える余地を見いだせなかったからです。55

12:18あなたがたが近づいたのは、手で触れられるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、

12:19角笛の響き、そして言葉を語る声ではありませんでした。その声を聞いた人々は、もうこれ以上、自分たちに言葉を語らないでほしいと願いました。

12:20「獣でさえ、山に触れるなら、石を投げつけられる」という命令に、耐えられなかったからです。

12:21その光景はあまりにも恐ろしく、モーセは「私は恐れ、震えている」と言いました。56

12:22そうではなく、あなたがたは近づいたのです。シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たち、

12:23天に名を記された長子たちの祝祭の集いと集会、すべての者の裁き主である神、完成された正しい人々の霊、

12:24新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルよりも優れたことを語る、振りかけられた血に。57

12:25気をつけて、語っておられる方を拒まないでください。地上で警告した方を拒んだ人々が逃れられなかったのなら、天から語る方に背を向ける私たちは、なおさら逃れられないでしょう。

12:26あの時、その声は地を揺り動かしました。しかし今、こう約束しておられます。「もう一度、私は地だけでなく、天をも揺り動かす」。58

12:27この「もう一度」という言葉は、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。揺り動かされないものが残るためです。

12:28ですから、揺り動かされない王国を受ける私たちは、感謝をささげましょう。その感謝をもって、敬虔な畏れと恐れのうちに、神に喜ばれる仕方で仕えましょう。

12:29私たちの神は、焼き尽くす火だからです。

第13章

13:1兄弟としての愛を、保ち続けてください。

13:2旅人をもてなすことを忘れないでください。それによって、知らずに天使たちをもてなした人々がいるからです。

13:3獄につながれた人々を、自分も共につながれているつもりで、心に留めてください。虐げられている人々も、自分たちも体を持つ者であることを思って、心に留めてください。

13:4結婚は、すべての人の間で重んじられ、その床は汚されないようにしてください。不品行な者と姦通する者を、神は裁かれるからです。

13:5金銭への愛に支配されない生き方をし、今あるもので満足してください。神ご自身が、こう言われているからです。「私は決してあなたを離さず、決して見捨てない」。

13:6ですから、私たちは勇気をもって言えます。「主は私の助け手。私は恐れない。人間が私に何をできるだろう」。59

13:7あなたがたに神の言葉を語った指導者たちを、思い起こしてください。その生き方が行き着いたところをよく見て、その信仰にならってください。

13:8イエス・キリストは、昨日も今日も、そして永遠に、同じ方です。

13:9さまざまな、異質な教えに流されないでください。心は食べ物によってではなく、恵みによって確かにされることが良いのです。食べ物についての〔規定に従って〕歩んだ人々は、それによって益を得ませんでした。

13:10私たちには祭壇があります。幕屋に仕える者たちには、そこから食べる権利がありません。60

13:11大祭司によって、罪のために血を聖所へ運び入れられる動物は、その体を宿営の外で焼かれるからです。

13:12それゆえ、イエスも、ご自身の血によって民を聖なる者とするため、門の外で苦しまれました。

13:13ですから、私たちも、イエスの辱めを担い、宿営の外へ、この方のもとへ出て行きましょう。

13:14私たちには、ここに永続する都はなく、来るべき都を求めているからです。

13:15ですから、イエスを通して、いつも神に賛美のいけにえをささげましょう。それは、神の名を告白する唇の実です。

13:16また、善を行うこと、分かち合うことを、忘れないでください。神は、このようないけにえを喜ばれます。

13:17あなたがたの指導者たちに従い、譲ってください。彼らは、申し開きをする者として、あなたがたの魂のために眠らず見守っているからです。嘆きながらではなく、喜んでこのことを行えるようにしてください。嘆きながら行うことは、あなたがたの益になりません。

13:18私たちのために祈ってください。私たちは、良い良心を持っていると確信しており、あらゆる点で良く生きたいと願っています。

13:19とりわけ、この祈りをお願いしたいのです。私がいっそう早く、あなたがたのもとへ戻れるように。

13:20平和の神は、永遠の契約の血によって、羊たちの偉大な羊飼い、私たちの主イエスを、死者の中から導き出されました。

13:21どうか、この神が、あらゆる良いものをもってあなたがたを整え、ご自身の意志を行えるようにしてくださいますように。イエス・キリストを通して、御前に喜ばれることを、私たちのうちに行ってくださいますように。この方に、永遠に栄光がありますように。アーメン。61

13:22兄弟たち、この励ましの言葉を、どうか受け止めてください。あなたがたに書き送ったのは、短い言葉なのですから。

13:23私たちの兄弟テモテが解放されたことを、知っておいてください。彼が早く来るなら、私は彼と共に、あなたがたに会いに行きます。62

13:24あなたがたの指導者たち全員と、聖なる人々全員に、よろしく伝えてください。イタリアの人々が、あなたがたによろしくと言っています。

13:25恵みが、あなたがたすべてと共にありますように。

訳注

  1. 1:2。「世界」は αἰῶνες。複数形で「時代・諸時代」の意味も持つ。ここでは御子を通して造られた世界を、時間的な広がりも含む語として理解する。11:3も同じ語。「御子」は身分を示す無冠詞の υἱός を訳したもので、「ある一人の子」と不特定化しない。 ↩
  2. 1:3。ἀπαύγασμα は栄光の「輝き」、χαρακτήρ は刻まれた印・表現を指す。「本質」は ὑπόστασις。3:14の「確信」、11:1の「確かな支え」と同じ語だが、文脈に応じて訳す。「ご自身によって」は本底本にある διʼ αὑτοῦ を保持した。「威厳ある方」は μεγαλωσύνη による神の呼び方。 ↩
  3. 1:5。引用の作業上の同定は詩編2:7とサムエル記下7:14。「今日」の時点や「生んだ」の神学的意味を、訳文で特定の解釈に固定しない。 ↩
  4. 1:6。πάλιν を「再び導き入れる」にかけた。「さらに言う」と前後の引用の連続にかける読みも可能。「最初に生まれた方」は πρωτότοκος で、時間的先行だけでなく長子の地位にも関わる。引用は七十人訳系の申命記32:43、詩編97:7(ギリシア語番号96:7)との関係が考えられるが、今回、別の一次本文との逐語照合はしていない。 ↩
  5. 1:7。詩編104:4(ギリシア語番号103:4)と同定。πνεύματα は「風/霊」の両義を持つ。ここは自然現象を表す「風」、1:14は「霊」とした。旧約の翻訳文へ置き換えず、書簡の統語に従い、天使たちを風とするという形を保つ。 ↩
  6. 1:8–9。詩編45:6–7(ギリシア語番号44:7–8)と同定。ὁ θεός は形態上、主格にも呼びかけにも取れる。1:8では「神よ」という御子への呼びかけを採用する。「神があなたの王座である」という構文の可能性もあり、形態だけで一方を排除しない。1:9では「神、あなたの神」を油を注ぐ主語と読んだが、最初の「神」を呼びかけとする構文も可能。「仲間たちにまさって」は油を注ぐことを修飾し、独立した地位の付与を表す述語を加えない。 ↩
  7. 1:10–12。詩編102:25–27(ギリシア語番号101:26–28)と同定。1:12の「衣のように」は本底本にある語句を保持する。 ↩
  8. 1:13。詩編110:1(ギリシア語番号109:1)と同定。「足を置く台」は敵を服従させる比喩。後の大祭司の論証では同じ詩編の祭司への言葉が用いられる。 ↩
  9. 2:6–8。詩編8:4–6(ギリシア語番号8:5–7)と同定。βραχύ τι は「少し」の程度とも「しばらく」の期間とも取れる。2:9でのイエスへの適用とその後の栄冠を踏まえ、期間として訳す。引用での「人」「人の子」から、2:9で名を明示されるイエスへと進む構成を保つ。 ↩
  10. 2:9。本底本の採用本文は χωρὶς θεοῦ、「神を離れて/神なしに」。この採用本文をそのまま訳し、別の読みを混ぜない。本訳は神から隔てられた状態を表す「神を離れて」としたが、「神を除いて」という除外の意味で取る可能性もある。その場合、近接する「すべての者」との結びつけも検討の対象となる。「神に見捨てられて」とまでは補わない。ὑπὲρ παντός は「すべての者のため」としたが、文法上「すべてのもののため」も可能。校異装置・異読の内容は今回確認しておらず、ここでは採用本文の解釈だけを示す。 ↩
  11. 2:10。ἀρχηγός は先導者・創始者。ここでは「救いを切り開く方」とし、12:2でも同じ動詞表現を用いた。「完成へ導く」は τελειόω。罪のある者が道徳的に改善されたという意味を加えず、苦しみを通して救いの使命が成就される文脈で読む。5:9、7:28、10:14の関連語もこの観点から区別する。ἀγαγόντα は対格の分詞で、本訳は不定詞 τελειῶσαι の意味上の主語である神を受け、「多くの子らを栄光へ導く」を神の行為とした。分詞を対格の「救いを切り開く方」にかけ、御子が子らを導くと読むことも可能。 ↩
  12. 2:11。「一つの源」は ἐξ ἑνός。神、共通の祖、人間としての共通の出自など、指すものには解釈の幅がある。本文では「一人の父」と限定しない。「聖なる者とする」は神に属する者とすることを含み、単なる品行の改善に狭めない。 ↩
  13. 2:12–13。作業上の同定は、詩編22:22(ギリシア語番号21:23)、イザヤ書8:17–18。「集会」は ἐκκλησία。2:13の第一の短い引用には類似表現がほかにもあり、同定の確実性を一律に扱わない。 ↩
  14. 2:17。ἱλάσκεσθαι は罪に関して償い・贖いを行う語。「神の怒りをなだめる」と対象や機構を本文へ補わず、「民の罪を償う」とした。2:18、4:15の πειράζω は試す・誘惑するの両義を含み、「試練」と訳した。 ↩
  15. 3:1–6。「家」は建物だけでなく、そこに属する家族・民をも指す。建てる者と家、仕える者と御子という対比を保つ。3:1の ὁμολογία は4:14、10:23と同じ「告白」。3:1では使徒・大祭司としてのイエスを告白することと読み、πίστις の訳語「信仰」を加えない。3:6の条件節を落とさず、本底本にない語句を慣れた表現から補わない。モーセの忠実さについては民数記12:7との関係が考えられる。 ↩
  16. 3:7–11。詩編95:7–11(ギリシア語番号94:7–11)と同定。3:9の「私を」は文脈から神を目的語として補った。ἐν δοκιμασίᾳ は試す行為の仕方を示すと読み、「試して確かめ」とした。意図だけを表す「確かめようとした」とはしない。3:10冒頭の「四十年」は、直前の「私の業を見た」に続け、底本の句読法に従った。「決して入ることはない」は、εἰ を用いた誓いの定型の否定的意味を訳したもので、単なる「もし入るなら」としない。入る動詞の主語である「彼ら」を保ち、4章の引用でも揃える。 ↩
  17. 4:2。συγκεκερασμένους は複数対格で、人々を受ける。本訳は、不信の人々が、聞き入れた人々と信仰によって結び合わされなかったと読む。「聞いた言葉が信仰と結びつかなかった」とする別の文型へ置き換えない。「聞き入れた」は、単に音を聞いた全員と、信仰をもって聞く者との文脈上の区別を示す訳。 ↩
  18. 4:4。創世記2:2と同定。神の休みは、4:9の「安息日の休み」へと結びつく。4:10の安息に入る者を、本文だけから特定の一人に限定しない。 ↩
  19. 4:8。Ἰησοῦς は「イエス」と同じギリシア語名だが、ここでは約束の地に導いたヨシュアを指す。人物を混同しない。 ↩
  20. 5:6。詩編110:4(ギリシア語番号109:4)と同定。「あり方」は τάξις。順序・序列・秩序などの意味を持つ。7章が血統による祭司職と対照させるため、「メルキゼデクの血統」とは訳さない。5:10、6:20、7章でも統一する。 ↩
  21. 5:7–9。ἐκ θανάτου は「死から」。死そのものを避けることか、死から救い出されることかを、この語句だけで限定しない。ἀπὸ τῆς εὐλαβείας は聞き入れられた理由として読み、「敬虔な畏れのゆえに」とした。「畏れから解放された」という読みも考えられる。5:8の「学ばれた」を、それ以前に不従順だったとの説明に変えない。 ↩
  22. 6:1–2。「死んだ業」は νεκρὰ ἔργα。6:1と9:14で保持する。「洗いの儀式」は βαπτισμοί の複数形。洗礼のみと一義的に限定しない。原文では6:1にある「基礎をもう一度据えるのではなく」を、日本語の列挙をつなぐため6:2の末尾へ置いた。対格の διδαχήν は、属格で列挙される語とは形が異なる。「教え」を洗いに限って取る読みと、その後の手を置くこと・復活・裁きも教えの内容として取る読みが可能。本訳は初歩の事柄を並列して示し、後者の区切り方においても内容を失わないが、同格の範囲や列挙の階層は一義的に確定していない。 ↩
  23. 6:4–6。離れ去った人々を悔い改めに至らせることが「不可能」とする構文を、単に「難しい」と弱めない。ἀνασταυροῦντας と παραδειγματίζοντας は現在分詞で、再び十字架につけ、公に辱める行為を述べる。本訳は理由としてつなぐ。時間的に「そうしている間は」と取る可能性もあるが、その限定を本文へ補わない。「自分たちの側で」は再帰代名詞の与格 ἑαυτοῖς を、行為者自身との関係を示すものとして訳した。「自分たちの利益になるため」という目的は加えない。救済論上の結論や、個々人の最終的運命を訳注で判定するものではない。 ↩
  24. 6:14。創世記22:17と同定。祝福と増加を強調する同語根の反復を「必ず」で示す。 ↩
  25. 6:18–20。「二つの事柄」は、前段の約束と誓いと理解する。6:18の κρατῆσαι は、逃れて来ることの目的と読み、「希望をしっかりつかもうと」とした。「希望をつかむようにとの励まし」と、励ましの内容にかける読みも可能。いずれの場合も、私たちが励ましを得ることが6:17から続く目的節の内容である。希望という錨が地上の海底ではなく、垂れ幕の内側へ入る比喩を保つ。本文では6:19の「垂れ幕」を説明に置き換えず、9–10章の聖所への道につなげる。6:20の「永遠」は、大祭司としてのあり方の持続を表す。 ↩
  26. 7:1–3。メルキゼデクとアブラハムの出会いは創世記14:18–20と同定。「父もなく、母もなく」は原文の強い表現を保持する。系図・生涯の始終を述べない聖書の叙述から祭司の持続を論じる読みが可能だが、「記録がない」という説明を本文へ代入しない。神の子に「似た者とされる」方向を保ち、メルキゼデクを神の子本人と断定しない。 ↩
  27. 7:16。「肉にかかわる」は σαρκίνη。直前の部族・血統の議論に沿い、身体的な出自にかかわる規定を指すと読む。「罪深い規定」などの価値判断に置き換えない。 ↩
  28. 7:24–25。「変わることがない」は ἀπαράβατος。「他者へ移らない/侵されない」などの意味の幅がある。「余すところなく」は εἰς τὸ παντελές。「完全に」と「いつまでも」の意味の幅を持ち、永続する命と執り成しの文脈を含む。 ↩
  29. 7:27。「それ」は τοῦτο。直前に自分と民の罪が列挙されるが、キリスト自身に罪があるという意味は加えない。4:15、7:26に即し、民のためのささげ物を自分自身の奉献によって成し遂げたと読む。 ↩
  30. 8:5。出エジプト記25:40と同定。写し・影・型の三つの語を、同じ説明語に均さない。 ↩
  31. 8:8–12。エレミヤ書31:31–34(ギリシア語番号38:31–34)と同定。8:9の「私も彼らを顧みなかった」は、書簡の引用にある ἠμέλησα を訳す。別の旧約本文の文言に合わせない。8:8では本底本の αὐτούς を受け、「彼らを責めて」とする。8:12の ἵλεως ἔσομαι は不義に対して憐れみ深くあること。罪を思い起こさないという οὐ μή の強い否定を「決して」で示し、10:17でも揃えた。 ↩
  32. 8:13。契約についての著者の論証を訳しており、ユダヤ人やユダヤ教そのものが消滅すべきだという主張を訳者が追加するものではない。 ↩
  33. 9:4–5。θυμιατήριον は香をたく器具で、「香壇」と「香炉」の両方の解釈がある。本訳は香壇を採用。ἔχουσα は「持つ」で、物理的に至聖所の内部に置かれたという読みと、至聖所に属するという読みがあり、本文では「伴っていました」とした。ἱλαστήριον は契約の箱の贖いに関する蓋。別資料の配置へ合わせて書簡本文を修正しない。 ↩
  34. 9:11–12。本底本は γενομένων、「すでに生じた/実現した」を採用している。未確認の異読をここで説明せず、採用本文を訳す。9:11の「来られ」は分詞 παραγενόμενος、主動詞は9:12の「聖所に入った」。幕屋の διά は通過する場所として訳し、血の διά は手段として訳したが、前者を手段として読む可能性もある。どちらも主動詞への関係を保つ。「永遠の解放」は λύτρωσις で、贖いによる解放を指す。 ↩
  35. 9:14。「永遠の霊」は πνεῦμα αἰώνιον。聖霊を指すか、キリストの霊的なあり方を指すかは解釈が分かれるため、本文では「聖霊」と限定しない。本底本の ἡμῶν に従い、「私たちの良心」とする。 ↩
  36. 9:16–17。ここで「遺言」と訳した διαθήκη は、ほかで「契約」と訳す語と同じ。死と相続を用いた説明として遺言の語義を採り、9:18で契約の締結に戻ると読む。全体を契約とその死による批准の説明と読む可能性もある。本訳が一つの解釈を採ったことを明示し、神自身が死ぬという説明へ進めない。 ↩
  37. 9:19–21。9:20の言葉は出エジプト記24:8と同定。周囲には水、羊毛、ヒソプ、書、幕屋・器具も述べられる。別の旧約箇所の記述と一致させるために、これらを削らない。9:19では本底本にない山羊を追加しない。 ↩
  38. 9:23。天上のもの自体が清められる必要を述べる原文を保つ。天に道徳的な汚れがあるとの説明を補わず、祭儀的な清め・奉献・接近の文脈として読む。「いけにえ」はここでは複数形。キリストの奉献が繰り返されるという意味にはせず、9:25–28の一回性と共に読む。 ↩
  39. 9:28。χωρὶς ἁμαρτίας は直訳すれば「罪なしに/罪を離れて」。4:15の無罪性とは異なり、ここでは最初の出現で罪を担い、第二の出現では救いをもたらすという対比を踏まえ、「罪にかかわることを離れ」と訳した。「罪を担うためではなく」という理解が背景にある。 ↩
  40. 10:5–7。詩編40:6–8(ギリシア語番号39:7–9)と作業上同定。「体を備えて」は書簡にある σῶμα δὲ κατηρτίσω μοι を訳す。原文が明示する体から、10:10の体の奉献への論証を保つ。他の本文形態との比較は未実施。 ↩
  41. 10:12–18。「いつまでも」は εἰς τὸ διηνεκές。10:1、12、14の反復を保つ。10:12ではいけにえの永続する効力にかけ、その解釈を明示する補い「効力を持つ」を〔 〕に入れた。「いつまでも座った」にかける構文も可能。いけにえを繰り返しささげ続けるという意味ではない。10:14の完了形「完成された者とした」と現在分詞「聖なる者とされる」の違いを保持する。10:15の「言われた後」に続く主動詞は、10:17で省略されていると読み、補った言葉を〔 〕に入れた。10:16の「主は言う」を後続部分の主動詞として、引用を途中で区切る構文も可能だが、本訳は10:16を一つの引用として保つ。 ↩
  42. 10:19–22。10:20の「すなわちご自身の肉」は、直前の垂れ幕を説明する同格と読んだ。イエスの体を通した接近を示すが、具体的な機構を本文へ補わない。「振り清められた心」と「洗われた体」という二つの像も、ただの内面的決意に変えない。 ↩
  43. 10:26–29。10:26の現在分詞は故意の罪を続けることを表す。10:29の「自分を聖なる者とした」は、ἡγιάσθη の省略主語を、直前の背く者として読む。動詞の三人称単数という形だけでは省略主語を確定できないが、この構文では同一の行為者を保つ。研究史上の別解を外部資料で確認したとの主張ではない。「ありふれた」は κοινός で、聖なるものと区別される通常のものの意味。 ↩
  44. 10:30。申命記32:35–36と同定。「裁く」は民のための裁き・弁護を含みうるが、ここでは前後の警告を踏まえて訳した。 ↩
  45. 10:37–38。ハバクク書2:3–4との関係を作業上の同定とする。「来るべき方」「私の正しい者」という書簡の引用形態を保持し、別の旧約本文の語順や代名詞へ合わせない。10:39の「命」は ψυχή で、6:19、12:3などの「魂/心」と文脈によって訳し分ける。 ↩
  46. 11:1。ὑπόστασις は確信・実質・基盤などの意味を持つ。「確かな支え」は、希望が空想にとどまらず信仰によって支えられる面を示す訳。「確信」とする主観的な読みも可能。ἔλεγχος は証明・確証で、「確証」とした。信仰を視覚的な証拠そのものと同一視する説明は補わない。 ↩
  47. 11:11。本底本は αὐτῇ Σάρρᾳ と与格で記している。ここでは前段からアブラハムを主語として、与格をサラとの関係を示すものと読み、「サラ自身との間に」とした。καταβολὴ σπέρματος は種を置くこと・子をもうけること。この与格の処理は難所であり、専門家の再確認を要する。11:12の「一人の人」は男性形で、アブラハムを指すと読む。καί は前段からの追加を示す「も」で訳した。異読の内容や他版の構文は今回確認していない。 ↩
  48. 11:17–19。「ただ一人の子」は μονογενής。単純にほかの子の存在を否定する補足はせず、約束にかかわるイサクの唯一性の表現として読む。11:18は創世記21:12と同定。「たとえとして」は ἐν παραβολῇ で、イサクが実際に死んだとの記述にしない。 ↩
  49. 11:21。杖の先で礼拝する表現は、創世記47:31との関係が考えられる。ただし引用先の別一次本文との逐語照合は未実施。書簡にある ῥάβδος、「杖」を保持し、他の本文形態の文言を代入しない。 ↩
  50. 11:26。「キリストの辱め」は τὸν ὀνειδισμὸν τοῦ Χριστοῦ。属格は、キリストが受ける辱めを共に担うこと、キリストのために受ける辱めなど、関係の幅を持つ。本文ではその幅を残し、13:13の「イエスの辱め」との呼応を保つ。モーセと神の民の苦難をキリストに結びつける著者の視点を保持し、モーセが歴史上イエスの名を知っていたという説明を加えない。 ↩
  51. 12:2。ἀρχηγός と τελειωτής は信仰を始め、完成に至らせる方を示す。2:10と表現を揃えた。「喜びのゆえに」は ἀντὶ τῆς … χαρᾶς を、目の前に置かれた喜びを得るための対価・交換として読む。「喜びの代わりに」として、選ばなかった喜びとの交換と読む可能性もある。κεκάθικεν は完了形で、座した結果の持続を「座しておられます」とした。 ↩
  52. 12:3。本底本は複数の再帰代名詞 ἑαυτούς を採用する。罪人たちを受け、「彼ら自身に向かう」と訳した。ご自身が耐えた反抗が罪人たち自身をも害する、という理解は可能だが、その因果説明を本文へ足さない。「これほど」は τοιαύτην の訳。反抗の矛先・帰結をどう日本語化するかは難しく、本訳の解釈は専門家による再確認を要する。異読の内容は確認しておらず、採用本文の複数形に基づく判断である。 ↩
  53. 12:5–11。12:5–6は箴言3:11–12と同定。παιδεία は教育・養育・矯正を含み、「訓練」とした。12:7の ὑπομένετε は命令法と直説法が同形。本訳は「訓練として耐え忍んでください」という勧めとしたが、「あなたがたは訓練のために耐えている」という叙述も可能。εἰς παιδείαν は苦難を訓練として受け止める文脈で読む。鞭打ちの表現は原文にあるため保持する。12:8の νόθοι は当時の家族制度で正規の子と認められない者を指す強い比喩。本訳はその制度や、現代の子どもに対する暴力・差別への支持を意味しない。 ↩
  54. 12:12–13。手と膝の表現はイザヤ書35:3、足の道は箴言4:26との関係が考えられる。τὸ χωλόν は足の不自由なもの・者・部分、ἐκτραπῇ は道をそれる・関節が外れるなどの幅がある。ここは「足の不自由な者が道をそれる」と読んだ。「不自由な足が関節を外す」と読む可能性もある。共同体の弱い者への配慮にもつながる比喩だが、それを本文の説明に置き換えない。 ↩
  55. 12:17。μετάνοια は悔い改め・考えの変更。「思いを変える余地」とし、エサウ自身の悔い改めか、父の祝福の決定の変更かを限定しない。末尾の αὐτήν も祝福または思いの変更を受けうるため、目的語を補わず「求めても」とした。悔い改めようとする者は誰も赦されないという一般命題に拡張しない。 ↩
  56. 12:18–21。シナイでの顕現を背景とする。12:20は出エジプト記19:12–13、12:21は申命記9:19との関係が考えられるが、後者の状況・文言の対応は今回、一次資料で確認していない。12:18には本底本に「山」の名詞がないため、直接補わず「手で触れられるもの」とした。 ↩
  57. 12:22–24。πανήγυρις は祝祭の集い。底本は「天使たち」の後にコンマを置き、「祝祭の集いと集会」を続けている。本訳はこの句読に従い、両方を「長子たち」に結びつけた。日本語の語順のため12:22にある「祝祭の集い」を12:23に置いた。句読を変え、祝祭の集いを天使たちにかける構文も可能。「アベルより」は原文の人物名の比較を保持し、「アベルの血より」と本文で補わない。創世記4:10の血の叫びとの関係が考えられる。 ↩
  58. 12:26。ハガイ書2:6と同定。12:29の焼き尽くす火は申命記4:24との関係が考えられる。12:28の ἔχωμεν χάριν は「感謝をささげよう」と読んだ。「恵みを持とう」という読みも可能。 ↩
  59. 13:5–7。見捨てないとの約束は申命記31:6、8、ヨシュア記1:5などとの関係が考えられる。13:6は詩編118:6(ギリシア語番号117:6)と同定。13:7の「生き方が行き着いたところ」は人生の終結または生き方の結果を指しうる。殉教とまで断定しない。 ↩
  60. 13:9–13。祭壇から食べることと、罪のための血を運び入れられた動物の体を外で焼くことの対比を保つ。「祭壇」を、聖餐の祭壇や十字架など、特定の一つの説明へ本文で置き換えない。13:9の「規定に従って」は食べ物にかかわる歩みという原文を説明する解釈的補いで、〔 〕を用いた。 ↩
  61. 13:20–21。13:20の ἐν αἵματι διαθήκης αἰωνίου を、死者から導き出す行為に結びつけた。羊飼いの働きとの結びつけも可能。13:21の「この方」は、直前のイエス・キリストを受ける読みを第一とするが、祈りの主語である神への栄光と読む余地もある。本底本に従い「私たちのうちに」とし、別の代名詞へ置き換えない。 ↩
  62. 13:23–24。ἀπολελυμένον は解放された・放免された・送り出されたなどの意味を持つ。本文には牢獄を明示する語がなく、ここでは「解放された」とした。「イタリアの人々」は οἱ ἀπὸ τῆς Ἰταλίας。出身・所属・到来を表す幅があり、「来た」という移動を本文で特定せず、執筆地も確定しない。 ↩
  63. 9:8。ἡ πρώτη σκηνή は9:2、6の「最初の区画」と同じ語句。9:8では最初の契約の幕屋全体を指すと読み、「最初の幕屋」とした。外側の区画がなお存続している間と読む構文も可能。9:9の「この幕屋」は、この語句を受けるとした。 ↩
  64. 11:4。διʼ ἧς と διʼ αὐτῆς の代名詞は女性単数で、「信仰」と「いけにえ」のどちらにも文法上つながる。本文では「それによって」とし、信仰を通して証しされたという読みと、ささげたいけにえを通して証しされたという読みの両方を残す。 ↩
  65. 11:7。διʼ ἧς の代名詞は女性単数で、「信仰」と「箱舟」のどちらにも文法上つながる。本文では「それによって」とし、信仰または箱舟の建造を通して世が罪ありとされたという読みを、一つに限定しない。 ↩

底本・翻訳について

底本は、Michael W. Holmes編 The Greek New Testament: SBL Edition(SBLGNT、2010年、公式配布版v1.2)のヘブライ書本文です。固定コミットは c4d241a9c1c479a55b989ba35a4976c1d0b8052c。Copyright 2010 by the Society of Biblical Literature and Logos Bible Software。底本はCC BY 4.0で提供されています。公式ライセンス本文には無保証等の条件があります。

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草稿作成・自己点検にはAI(Codex)を使用し、その後、Claude CodeのClaude Opus 5.5による原典対照校閲を受け、指摘を原文と照合して選別反映しました。今回、近現代語のヘブライ書既訳を閲覧・入力して訳したものではありませんが、モデルの既訳知識の影響を完全に排除した証明や、体系的な表現類似監査は行っていません。

全13章303節・65訳注の未公開改訂稿です。Claudeによる校閲は節ごとに原語解析を先行させた照合であり、訳稿を完全に隔離した解析ではありません。改訂稿のClaude再校閲、人間のギリシア語専門家による校閲、引用の典拠を別の一次資料で逐語照合する作業は未実施です。訳注の引用先は作業上の同定であり、その未確認範囲を含みます。翻訳上の不確実性は、とくに2:9、9:16–17、11:11、12:3などの注に残しています。