公同書簡

ペテロの第一の手紙

ΠΕΤΡΟΥ Α

第1章

1:1イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラティア、カッパドキア、アジア、ビティニアに散らされて仮住まいをしている、選ばれた人々へ。1

1:2あなたがたは父なる神の予知に従い、霊によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、その血を振りかけられるために選ばれました。恵みと平和が、あなたがたに増し加えられますように。2

1:3私たちの主イエス・キリストの神であり父である方が、ほめたたえられますように。この方は、その豊かな憐れみによって、イエス・キリストが死者の中から復活されたことを通して、私たちを新たに生まれさせ、生きた希望を持たせてくださいました。

1:4また、朽ちることも、汚れることも、しぼむこともない相続財産を受け継ぐ者としてくださいました。それは、あなたがたのために天に保たれています。

1:5あなたがたは、終わりの時に現される用意のできた救いに至るために、信仰を通して神の力に守られています。

1:6このことを、あなたがたは大いに喜んでいます。今はしばらくの間、必要があれば、さまざまな試練の中で悲しんでいるとしても、そうなのです。

1:7それは、あなたがたの信仰の確かさが、イエス・キリストの現れる時に、称賛と栄光と誉れをもたらすものとして認められるためです。その確かさは、火で試されてもなお朽ちてしまう金より、はるかに尊いものです。3

1:8あなたがたはキリストを見たことがなくても愛し、今も見ていなくても信じて、言い表せない、栄光に満ちた喜びに躍っています。

1:9それは、あなたがたの信仰の行き着くところである、魂の救いを受け取っているからです。

1:10この救いについては、あなたがたに与えられる恵みを預言した預言者たちも、熱心に探り、調べました。

1:11彼らの内におられるキリストの霊が、キリストに及ぶ苦しみと、その後に続く栄光とをあらかじめ証しして、いつ、どのような時を示しておられるのか、探っていたのです。4

1:12そして、彼らがこれらの事柄をもって仕えていた相手は、自分たちではなく、あなたがただと示されました。それらは今、天から遣わされた聖霊によって福音を告げた人々を通して、あなたがたに伝えられました。御使いたちも、それらの事柄をのぞき込みたいと願っています。

1:13だから、心の腰帯を締め、冷静さを保ち、イエス・キリストの現れる時にあなたがたにもたらされる恵みに、すべての希望を置きなさい。5

1:14従順な子どもとして、かつて無知であった時の欲望に、自分を合わせてはなりません。

1:15むしろ、あなたがたを招いた方が聖なる方であるのに倣い、あなたがた自身も、生き方のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

1:16「あなたがたは聖なる者であれ。わたしが聖なる者だからだ」と書かれているからです。

1:17また、分け隔てせず、一人ひとりの行いに従って裁く方を父と呼び求めているのなら、寄留の日々を畏れをもって過ごしなさい。

1:18あなたがたは知っています。先祖から受け継いだ空しい生き方から買い戻されたのは、銀や金といった朽ちるものによるのではなく、

1:19傷も汚れもない小羊のような、キリストの尊い血によるのです。

1:20キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、時代の終わりに、あなたがたのために現されました。

1:21あなたがたはこの方を通して、神を信じる者となっています。神はこの方を死者の中から起こし、栄光をお与えになりました。それゆえ、あなたがたの信仰と希望は神に向けられています。

1:22あなたがたは、偽りのない兄弟愛に至るよう、真理に従って自分の魂を清めたのですから、心から、ひたむきに互いを愛しなさい。

1:23あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、神の、生きていつまでも続く言葉を通して、新たに生まれたのです。6

1:24なぜなら、「人間はみな草のようであり、その栄光はみな草の花のようだ。草は枯れ、花は散った。

1:25しかし、主の言葉は永遠に続く」からです。この言葉こそ、あなたがたに福音として告げられたものです。

第2章

2:1だから、あらゆる悪意、あらゆる欺き、偽善、ねたみ、そして一切の悪口を捨て、

2:2生まれたばかりの赤子のように、混じりけのない、霊的な乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いに至るためです。7

2:3あなたがたは、主が慈しみ深い方であることを味わったのですから。

2:4この方は生きた石であり、人々には退けられましたが、神のもとでは選ばれた、尊い石です。この方のもとに来て、

2:5あなたがた自身も、生きた石として、霊の家へと築き上げられています。それは、聖なる祭司の群れとなり、イエス・キリストを通して神に喜ばれる霊のいけにえを献げるためです。8

2:6聖書にこう記されています。「見よ、わたしはシオンに、選ばれた、尊い隅の親石を据える。この石を信じる者は、決して恥を受けない。」

2:7ですから、信じているあなたがたには誉れがあります。しかし、信じない人々にとっては、「建てる者たちが退けた石、それが隅の頭となった」のであり、

2:8また、「つまずきの石、転倒をもたらす岩」となったのです。彼らは言葉に従わず、つまずきます。そのことへと、彼らは定められてもいたのです。9

2:9しかし、あなたがたは選ばれた一族、王に属する祭司の群れ、聖なる国民、神の所有となった民です。それは、あなたがたを闇からご自分の驚くべき光へと招いた方の、優れた働きを告げ知らせるためです。

2:10あなたがたはかつて民ではありませんでしたが、今は神の民です。かつて憐れみを受けていませんでしたが、今は憐れみを受けました。

2:11愛する人たち、寄留者、仮住まいの者であるあなたがたに勧めます。魂に戦いを挑む、肉の欲望を避けなさい。

2:12異邦人の間で、立派な生き方を保ちなさい。それは、あなたがたを悪事を働く者としてそしる彼らが、あなたがたの立派な行いを目にして、神が訪れる日に神をあがめるようになるためです。10

2:13主のために、人間のあらゆる制度に従いなさい。上に立つ者である王にも、11

2:14悪事を働く者を罰し、善を行う者をたたえるために、王から遣わされる総督たちにも、従いなさい。

2:15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じること、それが神の御心だからです。

2:16自由な者として従いなさい。ただし、自由を悪の覆いにする者としてではなく、神の奴隷として従いなさい。

2:17すべての人を敬い、兄弟の群れを愛し、神を畏れ、王を敬いなさい。

2:18家の奴隷たち、十分な畏れをもって主人に従いなさい。善良で寛大な主人だけでなく、ひねくれた主人にも従いなさい。12

2:19神を意識して、不当に苦しみを受けながら悲しみに耐えるなら、それは喜ばれることだからです。

2:20罪を犯して殴られ、それを耐え忍んだところで、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の前で喜ばれることです。

2:21あなたがたが招かれたのは、このためです。キリストもあなたがたのために苦しみ、あなたがたがその足跡をたどるように、手本を残されたからです。

2:22この方は「罪を犯さず、その口に欺きは見いだされなかった」のです。

2:23侮辱されても侮辱を返さず、苦しめられても脅さず、正しく裁く方に委ねておられました。

2:24この方はご自身で、私たちの罪を、木の上でご自分の体に負われました。それは、私たちが罪から離れ、義のために生きるようになるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされました。13

2:25あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、あなたがたの魂の羊飼いであり、見守る方でもある方のもとへ帰ったのです。

第3章

3:1同じように、妻たち、自分の夫に従いなさい。たとえ言葉に従わない夫がいても、妻たちの生き方によって、言葉なしに彼らが得られるためです。

3:2あなたがたの、畏れを伴う清らかな生き方を、彼らが目にするからです。

3:3あなたがたの飾りは、髪を編み、金の装身具を着け、衣服をまとうという、外側のものであってはなりません。

3:4むしろ、柔和で静かな霊という朽ちないものを備えた、心の内に隠れた人を、あなたがたの飾りとしなさい。それこそ、神の前で大いに価値のあるものです。

3:5かつて、神に希望を置いた聖なる女性たちも、このように自分を飾り、自分の夫に従っていたのです。

3:6サラもアブラハムに従い、彼を主人と呼びました。あなたがたも、善を行い、どのような脅かしにもおびえないなら、サラの子どもとなっています。

3:7夫たちも同じように、理解をもって妻と暮らしなさい。女性がより弱い器であることをわきまえ、また、命の恵みをともに受け継ぐ者であることを認めて、妻を尊びなさい。あなたがたの祈りが妨げられないためです。14

3:8最後に、あなたがたは皆、心を一つにし、互いの思いをくみ、兄弟として愛し合い、情け深く、謙虚でありなさい。

3:9悪に悪を、侮辱に侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは、祝福を受け継ぐために招かれたのですから。

3:10「命を愛し、よい日々を見たいと願う者は、自分の舌を悪から遠ざけ、欺きを語らないように唇を制せよ。

3:11悪から離れ、善を行え。平和を求め、それを追い続けよ。

3:12主の目は正しい者たちに向けられ、その耳は彼らの願いに傾けられている。しかし、主の顔は悪を行う者たちに向けられる」からです。

3:13あなたがたが善に熱心であるなら、いったい誰があなたがたに害を加えるでしょう。

3:14しかし、たとえ義のために苦しむとしても、あなたがたは幸いです。彼らの脅かしを恐れず、心を乱してはなりません。

3:15むしろ、心の中でキリストを主として聖なる方とあがめなさい。あなたがたの内にある希望について説明を求める人には誰にでも、いつでも答えられるよう備えていなさい。

3:16ただし、柔和さと畏れをもって答え、良い良心を保ちなさい。それは、あなたがたがそしられる時、キリストにあるあなたがたの良い生き方を中傷する人々が、恥じることになるためです。

3:17神の御心がそう望むのであれば、悪を行って苦しむより、善を行って苦しむほうがよいのです。

3:18キリストも、正しい方として正しくない者たちのために、罪のためにただ一度苦しまれたからです。それは、あなたがたを神のもとへ導くためでした。この方は、肉においては殺されましたが、霊においては生かされました。15

3:19その霊において、この方は捕らわれている霊たちのもとにも行き、宣言されました。16

3:20この霊たちは、かつてノアの時代、箱舟が造られている間に、神が忍耐して待っておられた時、従わなかった者たちです。その箱舟の中で、少数の人々、すなわち八人が、水を通って救われました。

3:21これに対応する洗礼が、今、あなたがたをも救います。それは肉体の汚れを取り除くことではなく、良い良心を神に求めることです。イエス・キリストの復活を通して、救うのです。17

3:22この方は天に行き、神の右におられます。御使いたち、権威あるものたち、力あるものたちは、この方に従わされています。

第4章

4:1そこで、キリストが肉において苦しまれたのですから、あなたがたも同じ思いを武具として身に着けなさい。肉において苦しんだ者は、罪と手を切っているからです。18

4:2それは、肉にあって生きる残りの時を、もはや人間の欲望によらず、神の御心によって生きるためです。

4:3異邦人の望むことを行ってきた過去の時は、もう十分です。あなたがたは、放縦、欲望、深酒、浮かれ騒ぎ、酒宴、そして許されない偶像礼拝の中を歩んできました。

4:4彼らは、あなたがたが同じ放蕩の奔流へ一緒に走り込まないことを不審に思い、ののしっています。

4:5しかし彼らは、生きている者と死んだ者を裁く用意のできている方に、申し開きをすることになります。

4:6死んだ者たちにも福音が告げられたのは、そのためです。彼らが、肉においては人間に即して裁かれても、霊においては神に即して生きるようになるためでした。19

4:7すべてのものの終わりが近づいています。だから、祈りのために、思慮深くあり、冷静さを保ちなさい。

4:8何よりも、互いへの愛を絶やさず、ひたむきに保ちなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

4:9不平を言わず、互いを客として迎えなさい。

4:10それぞれ、賜物を受けたとおりに、その賜物をもって互いに仕えなさい。さまざまな形で与えられる神の恵みの、良い管理人としてそうしなさい。

4:11語る人は、神の言葉を語る者として語り、仕える人は、神が備えてくださる力によって仕えなさい。それは、すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に、栄光と力が世々限りなくあります。アーメン。20

4:12愛する人たち、あなたがたを試すために、あなたがたの間で起こっている火の試練を、何か思いがけないことが身に降りかかったかのように、不審に思ってはなりません。

4:13むしろ、キリストの苦しみにあずかる分だけ、喜びなさい。その栄光が現れる時にも、大いに喜び躍るためです。

4:14キリストの名のために侮辱されるなら、あなたがたは幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまっておられるからです。

4:15あなたがたのうち、誰も、人殺しや盗人、悪事を働く者、また他人のことに干渉する者として苦しむことがあってはなりません。21

4:16しかし、キリスト者として苦しむのなら、恥じてはなりません。むしろ、その名によって神をあがめなさい。

4:17神の家から裁きが始まる時が来たからです。まず私たちから始まるのなら、神の福音に従わない人々の行き着くところは、どうなるでしょう。

4:18また、「正しい者がかろうじて救われるのなら、不敬虔な者や罪人は、どこに姿を現すのか」。

4:19ですから、神の御心に従って苦しんでいる人々も、善を行いながら、真実な創造者に自分の魂を委ねなさい。

第5章

5:1そこで、あなたがたの中の長老たちに勧めます。私もともに長老であり、キリストの苦しみの証人、また、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。

5:2あなたがたのもとにいる神の群れを養い、見守りなさい。強いられてではなく、神に従って自ら進んで、卑しい利益を求めてではなく、心を込めてそうしなさい。

5:3委ねられた人々を支配するのではなく、群れの手本となりなさい。22

5:4そうすれば、羊飼いの長が現れる時、しぼむことのない栄光の冠を受け取るでしょう。

5:5同じように、若い人たち、長老たちに従いなさい。また皆、互いに対して謙虚さを身にまといなさい。「神は高ぶる者には立ち向かい、へりくだる者には恵みを与える」からです。23

5:6だから、神の力強い手のもとで、へりくだりなさい。神が、ふさわしい時にあなたがたを高く上げてくださるためです。

5:7心配事をすべて神に委ねなさい。神が、あなたがたのことを気にかけてくださるからです。24

5:8冷静さを保ち、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえる獅子のように歩き回り、誰かをのみ込もうと探しています。

5:9信仰に堅く立って、この敵に抵抗しなさい。世界にいるあなたがたの兄弟の群れも、同じ苦しみを経験していると知っているのですから。25

5:10あらゆる恵みの神、キリストにあってご自分の永遠の栄光へあなたがたを招いた方が、しばらく苦しんだあなたがたを、ご自身で整え、支え、力づけ、堅く据えてくださいます。

5:11この方に、力が世々限りなくありますように。アーメン。

5:12私が信頼できる兄弟と認めるシルワノを通して、あなたがたに短く書きました。勧めを与え、これこそが神の真の恵みだと証しするためです。この恵みに踏みとどまりなさい。26

5:13バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた〔教会〕と、私の子マルコが、あなたがたに挨拶を送ります。27

5:14愛の口づけをもって、互いに挨拶しなさい。キリストにあるあなたがたすべてに、平和がありますように。

訳注

  1. 1:1「散らされて仮住まいをしている」は、διασπορά(離散)とπαρεπίδημος(異郷に一時滞在する者)を訳したもの。ここから受取人全員の民族的出自や、実際の移住歴を確定することはできない。「アジア」は列挙された地域名の一つで、現代のアジア大陸全体を意味しない。
  2. 1:2 原文は1節の「選ばれた人々」を説明する句が続くため、日本語では「選ばれました」を補って文を分けた。Ἰησοῦ Χριστοῦは直接には「血」に結びつくが、本文では「従う」の対象もイエス・キリストと読んだ。「霊によって聖なる者とされ」はἐν ἁγιασμῷ πνεύματοςの訳で、神の霊による聖別と解した。
  3. 1:7 τὸ δοκίμιον τῆς πίστεωςは、信仰が試されること、または試されて明らかになる真正さを表し得る。ここでは、後続する「認められる」とのつながりから「信仰の確かさ」とした。金については「朽ちる」と「火で試される」がともに修飾しており、火で試せば朽ちなくなるという意味には取らない。
  4. 1:11 εἰς τίνα ἢ ποῖον καιρόνを「いつ、どのような時」とした。τίναを独立して「誰」と取る余地もあるが、本文では二つの疑問表現がκαιρόν(時)に関わると読んだ。「キリストに及ぶ」はτὰ εἰς Χριστὸν παθήματαで、キリストと苦しみの関係を明示する。
  5. 1:13「心の腰帯を締め」は、行動に備えて衣の裾をまとめる身体動作を思考に適用した比喩。τελείως(完全に)は「冷静さを保つ」に結びつけることもできるが、本訳では命令「希望を置く」に結びつけ、「すべての希望を」とした。
  6. 1:23 ζῶντος(生きている)とμένοντος(とどまる)は、形の上では「言葉」にも「神」にも関わり得る。ここでは24–25節の、草のはかなさと主の言葉の持続の対比に従い、「言葉」を修飾すると読んだ。1:24の「人間」は直訳すれば「すべての肉」。 1:23の「言葉」はλόγος、1:25ではῥῆμαという別の語だが、25節後半で福音として伝えられた言葉に結びつけられているため、日本語ではともに「言葉」とした。
  7. 2:2 λογικόςは、思考・理性・言葉との関係を持つ語。ここでは身体の乳と対比される比喩として「霊的な乳」とした。「御言葉の乳」という読みも可能だが、この節自体にλόγος(言葉)という名詞があるわけではない。2:3は条件形だが、1–2節の勧めの前提として「味わったのですから」と訳した。 ἄδολος(混じりけのない)は2:1のδόλος(欺き)と同じ語根の否定形である。乳の比喩に合わせて訳し分けた。また、λογικόςは2:5のπνευματικός(霊の)とは別の語である。
  8. 2:5 οἰκοδομεῖσθεは「築き上げられている」とも「築き上げられなさい」とも取れる形。本訳は前者を採用した。ἱεράτευμαは祭司の集団を表すため「祭司の群れ」とした。2:9のβασίλειονはその集団を「王に属する」と限定するものと読んでいる。 2:4の「来て」は分詞προσερχόμενοιを訳し、2:5の「築き上げられています」へつないだ。
  9. 2:8「そのことへと」の先行内容を、原文は明示的な名詞で限定していない。つまずくこと、あるいは不従順とつまずきの一連の事柄が候補になる。本訳では「不信仰になるよう定められた」などの説明を加えない。2:7のτιμήは、信じる者に与えられる「誉れ」と取ったが、石の「尊さ」に重点を置く理解も可能。
  10. 2:12 ἐπισκοπήは、訪れること、顧みることを表す。「神が訪れる日」が裁きか救いか、この句だけでは限定されないため、「裁きの日」などに置き換えなかった。
  11. 2:13 ἀνθρωπίνη κτίσιςは、直訳に近く取れば「人間の被造物/創設物」。続く王と総督の列挙を踏まえ、「人間の制度」とした。あらゆる個々の人を指す理解もあり、「国家」という語が原文にあるわけではない。 2:16の「…として」は、2:13の「従いなさい」に結びつく表現であり、自由と神への帰属が、従う者のあり方を示している。
  12. 2:18 οἰκέταιは家に属する奴隷たちを指す。自由な雇用契約を前提とする「従業員」とはしなかった。2:19のχάριςは、2:20のπαρὰ θεῷ(神の前で)と併せ、「喜ばれること」と訳した。古代の支配関係の記述を訳すものであり、翻訳者による奴隷制や虐待の支持ではない。 2:19のσυνείδησιςは神への意識・自覚として訳した。3:16と3:21では同じ語を、ἀγαθή(良い)との組み合わせに従い「良心」と訳している。
  13. 2:24 ἀνήνεγκενには「運び上げる/負う/献げる」の意味の広がりがある。本文では罪を担う意味を採り、ἐπὶ τὸ ξύλονを「木の上で」とした。「木の上へと運び上げた」と方向性を出す訳も可能。「木」はここでは処刑の木を指す。「罪から離れ」はἀπογενόμενοιで、罪に対して死んだという強い断絶の意味も含み得る。
  14. 3:7 原文は女性を比較級で「より弱い器」と呼ぶが、何において弱いのかは明記しない。本訳は身体的・社会的・道徳的な弱さのどれかに確定する補足を加えない。同じ文は妻を「命の恵みの共同相続人」として尊ぶよう求める。3:1–7の古代の家族秩序の翻訳は、現代の権利の不平等を翻訳者が支持することを意味しない。 3:6の「なら」は、善を行うこととおびえないことを表す分詞を条件として読んだもの。サラの子である者の生き方を描く表現と読む余地もある。
  15. 3:18 SBLGNT本文はἔπαθεν(苦しんだ)とὑμᾶς(あなたがた)を採用しており、そのとおり訳した。σαρκίとπνεύματιは並行する与格。本文では「肉において/霊において」としたが、後者を「霊によって」とする理解もある。ここからキリストの身体と霊のあり方を一義的に説明する補足は加えていない。
  16. 3:19 ἐν ᾧは直前のπνεύματιを受けると読んだ。ἐκήρυξενは「告げる/宣言する」で、宣言の内容はこの文には明記されない。「福音を告げた」「救いを与えた」とは補わない。霊たちの正体、訪れた時期、「捕らわれている」場所の特定にも解釈の余地がある。20節との文法的なつながりは保持するが、「地獄」「堕天使」「死者の魂」のいずれかを本文に書き込まない。
  17. 3:21 ἀντίτυπονは先行する出来事に対応するものを表す。ここでは水による救出と洗礼との対応として訳した。ἐπερώτημαは「願い求めること」と取り、良い良心を求める願いとした。「良い良心から出る神への応答/誓約」という理解も可能で、良心を表す属格の関係と語義に検討の余地がある。「救う」は原文の表現を保持し、洗礼の効力について独自の説明を本文に追加していない。
  18. 4:1「肉において苦しんだ者」は原文でも一般形の表現で、直前のキリストを中心に読むか、キリストに従って苦しむ者にも適用して読むかが問題になる。πέπαυταιは「やめて、その状態にある」という完了形を持つ。2節の生き方の転換と結びつけて訳し、肉体的な苦痛を経験すれば誰でも無罪になる、という補足は加えない。
  19. 4:6「死んだ者たち」が福音を聞いた時にも死者であったか、聞いた後に死んだ人々かは、この文の時制だけでは確定できない。また、κατὰ ἀνθρώπους/κατὰ θεόνは対比される基準を表し、裁きの行為者を明示する「人間によって」とは異なる。本文ではやや硬い「人間に即して/神に即して」を残し、「肉/霊」の対比も保持した。
  20. 4:11「神の言葉」の原語はλόγιαで、1:23などのλόγοςとは別の語。ここでは神からの言葉・託宣を表すと読んだ。頌栄の「この方に」は関係代名詞ᾧの訳で、直前のイエス・キリストを指す読みと、文全体の主語である神を指す読みがある。本文では一方の名に置き換えなかった。
  21. 4:15 ἀλλοτριεπίσκοποςは、他人に属することを監督する者、という語構成を持つ。「他人のことに干渉する者」と訳したが、干渉の具体的な内容は原文に明示されていない。
  22. 5:3「委ねられた人々」はκλῆροιの訳。この語は割り当てられた分・持ち分を表す。2節の「神の群れ」と3節の「群れの手本」という文脈から、長老たちに任された人々を指すと読んだ。原文に「人々」という別の名詞があるわけではない。
  23. 5:5 πρεσβυτέροιςは、1節との連続から「長老たち」とした。ただし「若い人たち」と対比して「年長者たち」と理解する余地もある。
  24. 5:7「委ねなさい」は、直訳すれば「投げかけて」という分詞ἐπιρίψαντεςによる表現。原文では5:6の「へりくだりなさい」に結びつき、心配を神に委ねることと、神のもとでへりくだることが一続きに描かれる。日本語では文を分けた。「委ねる」は心配を投げかける比喩の意味を訳したもの。
  25. 5:9 原文は「同じ苦しみが、あなたがたの兄弟の群れにおいて遂行されている」に近い構造。本文では苦しみを受ける人々を主語にして訳した。ἐπιτελεῖσθαιには成し遂げられるという意味の広がりがあるが、この一語から苦難の終わる時期や定められた総量を確定する説明は加えない。
  26. 5:12「シルワノを通して」はδιὰ Σιλουανοῦ。手紙の運搬、筆記、作成への関与のどれを意味するか、この表現だけでは決められない。「これこそ」は手紙で証しされた恵みを指すと読んだ。
  27. 5:13 原文は女性単数形で「バビロンにいる、ともに選ばれた者」とのみ記し、「教会」という名詞はない。共同体を指すと解して〔教会〕を補った。女性個人とする読みも文法上は可能。「バビロン」の地理的・象徴的な指示対象、マルコとの親子関係が文字どおりか比喩かは、本文に説明を加えず残した。 「あなたがたと」は、宛先の人々も選ばれた者とされる1:1を踏まえ、συν-(ともに)の相手を明示した補い。

底本・翻訳について

底本:Michael W. Holmes編、The Greek New Testament: SBL Edition(SBLGNT、2010年。公式リポジトリ表示v1.2)。Copyright 2010 by the Society of Biblical Literature and Logos Bible Software。公式配布元固定本文を使用。

SBLGNTはCreative Commons Attribution 4.0 International(CC BY 4.0)で提供されています。配布元のライセンス全文・無保証等の条件を参照してください。本稿は、そのギリシア語本文を日本語に翻訳し、句読法・段落を整え、独自の訳注を追加したものです。原権利者・編集者・Faithlifeによる公認訳ではありません。

AI利用について

本稿はGPT Astraを用いて作成し、Claudeによる原典校閲の指摘を選別して改訂した日本語訳です。今回の作業では第一ペテロ書の近現代語訳を翻訳入力として参照せず、SBLGNT本文から訳しました。旧約引用も本書のギリシア語形から訳しており、旧約側の校訂本文との照合は別工程です。